A:遺跡・遺物等の考古資料から
遺跡所在件数・・・・1997年(平成5年)3月 文化庁調べ
全国370,840 カ所
  1 位 兵庫県 25,406 カ所
  2 位 千葉県 25,131 カ所
  3 位 福岡県 16,968 カ所
  4 位 静岡県 14,149 カ所
  5 位 鳥取県 13,192 カ所
鳥取県は平成5年の遺跡所在件数で全国第5位。


1:旧石器時代
旧石器時代の伯耆国
大山丘陵地帯に旧石器時代の遺跡。
   大山町門前第2遺跡では、22,000年前のナイフ形石器製作の跡が見つかっている。
   大山山麓の標高100mほどの丘陵地を中心に、旧石器時代から縄文草創期の石器が見つかっている。
   中尾遺跡、長谷遺跡から石器遺物が出土。

夜見ケ浜人
   鳥取県境港市外江(とのえ)の砂浜で、下顎骨の左半分の破片が発見された。
   中国地方で唯一の旧石器人化石である。
   
上記のごとく、旧石器時代から西伯耆には人々が暮らしていた。

旧石器時代の伯耆国の遺跡
中尾遺跡  長谷遺跡  淀江町原畑遺跡など


2:縄文時代
縄文時代の伯耆国
旧石器時代の終わりから縄文時代の初め、大山山麓に人々が住み始めた。
縄文人は、季節に合わせて狩りや漁、採集を行った。県内でも、狩りや漁の道具が発見されている。
縄文時代後期には、ラグーン(潟湖)周辺と河川の流域を中心に人々の生活範囲が急速に広がっていった。
遺跡は舄湖周辺、即ち現在の淀江、中海、あるいは東郷湖に徐々に移動。

縄文時代の伯耆国の遺跡
茶畑山道遺跡(大山町)  目久美遺跡(目久美町)  
上福万遺跡(上福万)  泉中峰前田遺跡(泉)  喜多原第4遺跡(泉喜多原)など


3:弥生時代
弥生時代の伯耆国
遺跡の多くが再び微高地に移る。
いわゆる倭国大乱の影響とされる高地性集落が散見される。

弥生時代の伯耆国の遺跡
弥生前期
目久美遺跡(目久美町)  池ノ内遺跡(美吉)  長砂第1・第2遺跡(長砂)  尾高御立山遺跡(尾高)  
日下寺山遺跡(日下)

弥生中期
四日市町遺跡(四日市町)  久米第1遺跡(久米町)  青木遺跡(青木永江)  東宗像遺跡(長砂町・宗像)
妻木晩田遺跡  喜多原第2遺跡(泉喜多原)  日下遺跡(日下)  石州府第1遺跡(石州府)

弥生後期
陰田遺跡群(陰田)  福市遺跡(福市)  尾高浅山遺跡(尾高)  陰田第6遺跡  奈喜良遺跡(奈喜良)  下安曇遺跡
日下墳墓群(日下)  岡成第9遺跡(岡成)  洞の原1-18号墓(淀江町福岡)

妻木晩田遺跡
妻木晩田遺跡とは
纒向遺跡に次ぐ国内最大級の弥生集落遺跡。(全国2位、弥生時代では最大)
遺跡の面積は170haにもなり、これは発掘当時国内最大級と喧伝された吉野ヶ 里遺跡(当初32ha、現在は60ha)の3倍にも及ぶ大規模なものである。

遺跡の特徴
弥生時代後期を中心に中期終わり頃から古墳時代前期初頭にわたって営まれていた遺跡。
いわゆる倭国大乱の影響とされる高地性集落。
鉄器の産出点数は日本最多

弥生中期末(AD0年頃)
  妻木に人が暮らし始める。

弥生後期初頭(AD50頃)
  洞ノ原西側丘陵に環壕が掘られ、洞ノ原東側丘陵に四隅突出型墳丘墓がつくられる。
  このとき、妻木晩田遺跡に住んだ人々は、ここから東に700mほど離れた妻木新山地区、妻木山地区、松尾頭地区
  に住まいを構えた。

弥生後期後葉(AD180頃)
  住まいの範囲が遺跡全体に広がる。

弥生終期(AD180頃)
  この時期を境に、妻木晩田のムラは少しずつ衰えていく、

古墳時代前期初頭(AD250頃)
  古墳時代の初め頃には住まいがほとんど見られなくなる。
  なぜかAD250年頃衰退。


伯耆国と鉄器産出量
鉄器の出土とその時代的変遷
  弥生時代中期
    北部九州(博多湾沿岸)
  弥生時代後期
    北部九州(博多湾沿岸、筑紫平野)  石見  伯耆  丹後  播磨
  弥生時代終期
    北部九州(博多湾沿岸、筑紫平野) 阿蘇  国東半島周辺  備前  播磨  伯耆  但馬  丹後  敦賀  
    三浦半島  鹿島灘
  古墳時代前期
    大和に集中
  古墳時代後期
    日本列島全体に広がる

伯耆国と鉄器
弥生時代を通して、山陰地方では西伯耆が鉄器産出量は最多であり、出雲のそれを遙かに凌いでいる。
一説によれば、弥生後期の西伯耆に鉄器が多く産出されるのは、瀬戸内海を利用した北部九州から大和への流通が遮断され、その経由地としての機能を西伯耆が担っていたとする説もある。
図は下記論文より引用させて頂きました。
   「弥生・古墳時代における鉄器文化」     第1回東アジア鉄文化研究会,P141-P156
                              広島大学大学院文学研究科  野島 永氏


伯耆国と四隅突出型墳丘墓
四隅突出型墳丘墓とは
弥生時代中期から吉備・山陰・北陸の各地方で行われた墓制。
方形墳丘墓の四隅がヒトデのように飛び出した特異な形の大型墳丘墓で、その突出部に葺石や小石を施すという墳墓形態をいう。
山陰地方東部から北陸地方南部にかけての首長の間に強い結びつきがあり、政治的勢力の同盟関係があったのではないかとと推測をさせる遺跡である。

発達過程  
四隅突出型墳丘墓は、出雲地方を中心として山陰で多く造られた弥生時代の墳丘墓とされている。
しかし、その経時的変化を眺めると、概ね以下の様になる。

  三次(弥生Ⅳ期)→伯耆・因幡(Ⅴ期1,2)→出雲(Ⅴ期2,3)→北陸(Ⅵ期)→東北(古墳前期)

すなわち、出雲地方より伯耆地方の発達時期の方が早い
また、丹波・但馬・若桜地方に四隅突出型墳丘墓は存在しない。


4:古墳時代
日本の古墳所在件数・・・・2001年(平成13年)文化庁調査
全国合計 161,560基
   1位 兵庫県 16,577基
   2位 千葉県 13,112基
   3位 鳥取県 13,049基
   4位 福岡県 11,311基
   5位 京都府 11,310基
鳥取県は平成13年度の古墳所在件数で全国第3位。

古墳時代の伯耆国
古墳規模では傑出した大きさのものはないが、数では日本第3位。
前方後円墳の経時的発達も、四隅突出型墳丘墓と同様に、概ね(西伯耆)→安来→松江→出雲となる。   

また、西伯耆では古墳時代後期に向山古墳群、宗像遺跡群が築かれる。
米子平野周辺では,向山古墳群を築いた勢力が弱まり,各地の有力集団が古墳を築いたことが想定できる。
また,この中にも,宗像1号墳や別所1号墳のように前方後円墳を築く日野川左岸~法勝寺川下流域と,石州府1号墳や岸本7号墳のように大型円墳を築く日野川右岸地域とがあった。
         日野川左岸(西側)・・・前方後円墳を築く勢力
         日野川右岸(東側)・・・円墳を築く勢力

古墳時代の伯耆国の遺跡
古墳前期
  日原6号墳(日原)  普段寺1号墳(会見町寺内)  研石山1号墳  青木F2号墳  青木F1号墳
  浅井11号墳(会見町浅井)
  石州府119号墳(石州府)  石州府29号墳(石州府)  日下25号墳(日下)  日下39号墳(日下)

古墳中期
  陰田41号墳  三崎殿山古墳(会見町三崎)  新山山田7号墳  青木B1号墳
  尾高19号墳(尾高)  日下45号墳(日下)  日下44号墳(日下)  晩田山3号墳(淀江町福岡)
  上ノ山古墳(淀江町福岡)  向山4号墳(淀江町福岡)

古墳後期
  東宗像5号墳  東宗像6号墳  東宗像2号墳  陰田37号墳  宗像1号墳  別所1号墳
  日下12号墳  長者ケ平古墳   石馬谷古墳  岩屋古墳  石州府1号墳(石州府)  石州府56号墳

向山古墳群と石馬
向山古墳群
古墳群は通称「向山」と「瓶山」と呼ばれる丘陵上を中心に、現在までに前方後円墳9基、円墳5基、方墳2基、不明1基の、計17基が確認されている。

岩屋古墳(向山1号墳)
全長52メートル、高さ6メートルを測る前方後円墳で、更に後円部に15メートル四方の張り出しが付く。
6世紀後葉の築造と考えられる。
墳丘は2段で、葺石を有する。
明和元年(1764年)に記された『伯路紀草稿』に「岩屋」の記載があり、すでに江戸時代中頃には石室が開口していたことがわかる。
石室は全長9メートルを測る複室構造の横穴式石室で、整備な石棺式石室である。
前方部が削られた際に、箱式石棺が発見され、礫敷の上に2体を埋葬、鉄刀1点が副葬されていたと伝えられる。
周溝からは、土器や円筒埴輪の他に、人物、馬、水鳥など多くの形象埴輪も出土している。

長者ヶ平(ちょうじゃがなる)古墳(向山5号墳)
全長48mを測る帆立貝式の前方後円墳である。6世紀中頃の築造と考えられる。
中央には、明治2年に発見されたという大規模な畿内型の横穴式石室が開口している。
内部はベンガラで塗られ、鉄刀や鉄鉾が壁に立てかけられ、奥には石棺が置かれていたという記録が残る。
また、現在は消滅しているが、明治34年には、その東側で小規模な石槨が発見され、希少な金銅製冠や三累環頭太刀などが出土した。

石馬谷古墳
全長約61メートルの前方後円墳。墳丘は二段になっており、墳丘全体に石が敷き詰められていた。
六世紀の中頃に築かれたと考えられる。
有名な「石馬」は、この古墳に立てられていたという。 

石馬
角閃石安山岩を彫って作られた体長約150cm、高さ約90cmの石製の馬。
前足を欠いているが、馬の特徴をよくとらえており、手綱や鞍などの馬具も細かく表現されている。
石馬は北部九州には数例あるが、本州では唯一の出土品である。

宗像古墳群
宗像古墳群は5基の前方後円墳を含む42基の古墳からなり,丘陵麓には式内社宗形神社が存在する。
   
  宗像1号墳(6世紀後葉中葉) 前方後円墳
    墳丘全長は37m。
    後円部の径28m、高66mで、前方部の最大幅は17m、高さ4.5m。
    後円部にある埋葬施設は第1主体とよばれ横穴式石室となっている。
    横穴式石室は全長3.2m幅1.95m高さ1.4m。

  東宗像2号墳(6世紀中葉) 前方後円墳
 
  東宗像5号墳(6世紀前葉) 円墳
  東宗像6号墳(6世紀前葉) 円墳

宗像1号墳に最初に埋葬された人物は,法勝寺川下流域を支配していた勢力の中でも大きな力を持った首長と考えらている。
古墳の築造時期は概ね550~600年頃。

向山古墳群、宗像古墳群と磐井の乱
向山古墳群の石馬と岩戸山古墳
石馬は福岡・熊本・大分3県に見られ,福岡県の岩戸山古墳のものが有名とされている。
本州では、米子市淀江町の石馬谷古墳のものが唯一の例である。
また向山古墳群および石馬谷古墳が築かれたのが、550年から600年頃で、磐井の乱の直後とされている。
岩戸山古墳は磐井の墓とされ、両者に石馬が存在するということは、両地域の密接な関係が考えられる。

宗像古墳群と磐井の乱
宗像古墳群も6世紀前葉から後葉頃に造られたとされている。
また、丘陵麓には式内社、宗形神社が存在する。
宗像族の本拠地は北部九州であり、磐井の乱の直後に西伯耆に宗像族の流入があったと考えられる

北部九州と西伯耆の関係
磐井の乱の後、西伯耆の向山、宗像に北部九州からの流入があった事は考古資料より明らかといえる。
それ以前の北部九州と西伯耆との関係は定かではないが、この流入が仮に回避的な目的のものであったならば、磐井の乱以前から北部九州と西伯耆の間には密接な関係が有ったことも考えられる。
      磐井の乱→北部九州の人々あるいは宗像族の西伯耆への流入

弥生後期の鉄器産出量と併せて考えれば、磐井の乱の起こる以前から西伯耆と北部九州との間には密接な交流が有ったと思われる。


5:飛鳥時代
上淀廃寺
法隆寺金堂壁画と並ぶ日本最古級の仏教壁画が初めて出土。
寺域は天平尺で東西約2町(212メートル)、南北1町(106メートル)の規格とみられ、ほぼ中央に半町(53メートル)四方の中心伽藍が位置する。
伽藍配置は南を正面として、東西棟の金堂の東側に、南北に3基の塔を並べる設計とみられる。
ただし、北塔については心礎と造成のみで基壇は未確認である。
計画のみとしても3塔を配置する例は無く、2塔でも南北に配置する古代寺院は他に無い。
基壇の規模は、金堂が東西14.2メートル、南北12.5メートル、塔はいずれも9.5メートル四方を測る。
金堂及び中・南塔の基壇は瓦積みの周囲に石列を設置する二重基壇で、百済の寺院に多く見られる様式である。

年代
紀年銘瓦等の遺物から飛鳥時代後期(7世紀後葉)の建立、8世紀中頃の改修を経て、平安時代中期(11世紀前葉)に焼失したものと考えられる。

遺構
金堂の東に南北3塔を配する設計(独特の伽藍配置) 

遺物
壁土(壁画)片5,500点、塑像片3,300点、鉄製品、青銅製品など。 

補足
国内初の仏教壁画が出土。
当寺は仏教壁画では法隆寺と並ぶ国内最古級とされる。



B:文献的史料から
1:記紀と出雲神話
古事記の話の三分の一は出雲神話に関するものだとも言われている。
しかし、さらに記紀神話を読み進めてみるとその舞台は現在の島根県出雲地方ではなく、因幡・伯耆といった鳥取県にその話の中心があるようにも感じられる。
因幡の素兎、大国主命の手間山での受難、黄泉の国の話など、果たして当時の出雲神話の舞台は本当に出雲を中心とした島根県だったのかと疑ってみたくもなる。

その他の記紀の記載に、伯耆国の傑出した内容は見受けられない。

須佐之男命
須佐之男命の降臨地


須佐之男命、伯耆安綱、酒呑童子、八岐大蛇
酒呑童子は、一説では越後国の蒲原郡中村で誕生したと伝えられている。
伊吹山の麓で、『日本書紀』などで有名な伝説の八岐大蛇が、スサノオとの戦いに敗れ、出雲国から近江へと逃げ、そこで富豪の娘との間で子を作ったといわれ、その子供が酒呑童子という説もある。
また、八岐大蛇の眷属が伯耆(八橋郡伊勢村?)に棲んでいたとの伝承が因幡誌に残っている。
伯耆安綱が造った名刀「鬼切り」によって酒呑童子は切られたとされる。
   須佐之男命と、八岐大蛇
   孝霊天皇と、鬼住山の鬼 
   伯耆安綱と、鬼住山の鬼
   酒呑童子と八岐大蛇と伯耆安綱

これら伝承が残った背景には、何らかの意味があったのではなかろうか。

大国主命
大国主命になる以前、即ち未だオオナムチと言われていた頃の伝承の多くは鳥取県をその舞台とする。

少名彦名命
大国主と共に国造りをした少名彦名命を祀る粟島神社は西伯耆にあり、その所在地を現代でも彦名という。


2:伯耆誌と孝霊天皇
孝霊天皇
孝霊天皇は欠史八代の天皇とされ、記紀には事績の記載がほぼ皆無である。
しかし、鳥取県日野郡日南町、日野町、西伯郡伯耆町には孝霊天皇に関わる伝承が多く残されている。
特に、1926年に発行された日野郡誌には、孝霊天皇の事績が詳細に記載されている。


3:その他の史料
太平記:伯耆安綱
伯耆安綱とは
大原安綱(おおはらやすつな)ともいう。本名、横瀬三郎太夫。
安綱は、「太平記」に「伯耆国会見郡に大原五郎大安綱と云鍛冶・・・」と記されており、その代表作には大江山で酒呑童子を切ったという源氏代々の宝剣「鬼切」(国宝)がある。
となりの丸山地区にはたたら製鉄跡もあることから、「大原鍛冶」の言い伝えで有名なこの地が古くより刀鍛冶の文化が盛んであったことを物語っている。

伯耆安綱と鬼伝承
孝霊天皇に退治された鬼住山の鬼の末裔が、刀剣の作成を手伝ったと言う伝承が残っている

伯耆安綱と西伯耆
伯耆安綱の生年は806年頃する説と、980年頃とする説がある。
また、その出自についても、伯耆の人ではなく、俘囚であったとする説もある。
安綱に関しては多くの伝承が残っており、全てを信じることは出来ない。
いずれにせよ、安綱が西伯耆のこの地で日本刀を製作したことはおそらく史実であり、当地が鍛冶文化の先駆け的存在であったことはをう余地は少ない。



C:伯耆国の歴史的素地
考古資料から分かること
今までに発掘されている考古資料は、西伯耆が弥生時代中期から古墳時代、飛鳥時代を経て平安初期に至るまで、決して文明から見放された地域では無いことを如実に物語っている。
特に、出雲地方に特有とされる四隅突出型墳丘墓の経時的変遷を見てみると、妻木晩田遺跡を中心とした西伯耆から、順次西の出雲地方、あるいは東の因幡地方へと進展している事実がある。
弥生後期の鉄器についても、伯耆、因幡での発掘量は出雲のそれを遙かにしのぐと言える。


文献的史料から分かること
考古資料が伯耆国の繁栄を示すのに反し、文献的史料からは傑出した記載は見あたらない。


まとめ
考古学的観点に立てば、特に弥生時代の西伯耆はかなり高い繁栄度を誇っていた地域であると推測される。
古墳時代、飛鳥時代においても決して後進的な地域ではなかったと考えられる。
しかし文献的史料からは、考古資料に匹敵するような伯耆国に関する傑出した記載は見あたらない。

上記の様に、考古資料と文献的史料の間には、大きな乖離が存在すると思われる。


参考資料-2
「新修米子市史」  第一巻 通史編 原始・古代・中世
「新修米子市史」  第六巻 自然編
「新修米子市史」  第七巻 資料編 原始・古代・中世
「鳥取県誌」 第一巻 原始古代 (1972)
「鳥取県神社誌」 (澤田文精堂 1934)
「鳥取県の歴史」 (山川出版 1997)
「鳥取県の歴史散歩」 (山川出版 1994)
「弓浜物語」 (伯耆文庫第6巻 今井書店 1989)
「ふるさとの古代史」 (伯耆文庫第9巻 今井書店 1994)
「大山をめぐる山々」 (伯耆文庫第4巻 今井書店 1988)
「日野川の自然」 (富士書店 2000 藤島弘純)
「大山・日野川・中海学」 (鳥取県教科図書販売 2009)
「とっとり民俗文化論」 (伯耆文化研究会 2008 坂田友宏)
「日野郡誌」 (名著出版社 1972)
「因伯叢書第4巻 伯耆誌」 (名著出版社 1972)


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結果2-7:式内社数の多寡に影響すると思われる要因・・・・伯耆国の歴史的素地
式内社数の多寡に影響すると思われる要因としては以下の項目が考えられる。

  1:令制国の面積が小さい。 
  2:令制国の人口が少ない。
  3:郡数、郷数が少ない。
  4:経済力が弱い・・・・農業力
  5:都(中央)からの距離が遠い。  
  6:律令が定めた国力
  7:伯耆国に歴史的素地がない。
  8:その他 ・・・・政治色、人間(氏族)関係など(考察へ)

伯耆国に式内社が少ない理由として、その歴史的素地の検討も行う必要があると考える。
もし式内社選定までの間に、伯耆国が歴史的に不毛の地であったなら、式内社数が少なくても納得がいくかもしれない。
本稿では統計学的検討は控えて、式内社制定までの伯耆国の歴史を振り返ってみたいと思う。

A:遺跡・遺物等の考古資料から
   1:旧石器時代   2:縄文時代   3:弥生時代   4:古墳時代   5:飛鳥時代   

B:文献的史料から
   1:記紀と出雲神話     2:伯耆誌と孝霊天皇    3:太平記と伯耆安綱