和妙抄について
概要
和妙抄
和名類聚抄は「倭名類聚鈔」「倭名類聚抄」とも書かれ、その表記は写本によって一定してしない。
一般的に「和名抄」「倭名鈔」「倭名抄」と略称される。
巻数は十巻または二十巻で、その内容に大きく異同があるため十巻本、二十巻として区別され、それぞれの系統の写本が存在する。
狩谷棭斎は、十巻本を底本としている。
国語学者の亀田次郎は、二十巻本は後人が増補したものとしている。

中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている。
名詞をまず漢語で類聚し、意味により分類して項目立て、万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で、漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁をとる。
今日の国語辞典の他、漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴。


構成
本書の構成は大分類である「部」と小分類の「門」より成っており、その構成は十巻本・二十巻本によってそれぞれ異なる。

十巻本
24部128門より成り、各部は下記の順に配列されている。

二十巻本
十巻本に比べ部の分割・統合・付加、名称や配列の異同があり、32部249門より成っている。
二十巻本は古代律令制における行政区画である国・郡・郷の名称を網羅しており、この点でも基本史料となっている。



和妙抄の構成内容
十巻本
   1: 天地部=天文、気象、神霊、水、土石      13:燈火部=燈火
   2: 人倫部=人間、家族                14:調度部=日用品
   3: 形体部=体の各部                 15:羽族部=鳥
   4: 疾病部=病気                    16:毛群部=獣一般
   5: 術芸部=武芸、武具                17:牛馬部=牛・馬    
   6: 居処部=住居、道路                18:竜魚部=爬虫類・両生類
   7: 舟車部=船・車                   19:魚貝部=魚類・海棲動物
   8: 珍宝部=金銀、玉石                20:虫豸部=虫類
   9: 布帛部=布                      21:稲穀部=稲・穀物
  10:装束部=衣類                      22:菜蔬部=野菜
  11:飲食部=食物                     23:果瓜部=果物
  12:器皿部=器、皿                    24:草木部=草木


二十巻本
  1: 天部=天文、気象                  17:宝貨部=金銀・玉石
  2: 地部=土石                      18:香薬部=香
  3: 水部=水                        19:燈火部=燈火
  4: 歳時部=暦                      20:布帛部=布
  5: 鬼神部=神霊                     21:装束部=衣類
  6: 人倫部=人間                     22:調度部=日用品
  7: 親戚部=家族                     23:器皿部=器、皿
  8: 形体部=身体の各部                24:飲食部=食物
  9: 術芸部=武芸、武具                 25:稲穀部=稲、穀類
  10:音楽部=音楽、楽器                26:果瓜部=果物
  11:職官部=官庁、官職名               27:菜蔬部=野菜
  12:国郡部=国名、郡名・郷名            28:羽族部=鳥類
  13:居処部=住居、道路                29:毛群部=獣一般
  14:船部=船                       30:鱗介部=爬虫類、両生類、魚類、海棲動物
  15:車部=車                       31:虫豸部=虫
  16:牛馬部=牛、馬                   32:草木部=草木



和妙抄に記載のある国と郡数・郷数と式内社数
畿内・東海道・東山道・山陰道

畿内 東海道 東山道 山陰道
国名 郡数 郷数 式社 国名 郡数 郷数 式社 国名 郡数 郷数 式社 国名 郡数 郷数 式社
山城 8 78 120 伊賀 4 18 25 近江 12 93 142 丹波 6 68 69
大和 15 89 90 伊勢 13 94 232 美濃 18 131 38 丹後 5 35 64
河内 14 80 216 志摩 2 14 2 飛騨 3 13 8 但馬 8 59 113
和泉 3 24 94 尾張 8 69 121 信濃 10 67 46 因幡 7 50 42
摂津 13 78 53 参河 8 69 28 上野 14 102 12 伯耆 6 48 6
遠江 13 96 60 下野 9 70 11 出雲 10 78 187
駿河 7 59 22 陸奥 36 188 100 石見 6 37 34
伊豆 3 21 88 出羽 11 71 9 隠岐 4 12 15
甲斐 4 31 20
相模 8 67 13
武蔵 21 118 43
安房 4 32 6
上総 11 76 5
下総 11 91 11
常陸 11 153 27

合計 53 349 573 合計 128 1008 703 合計 113 735 366 合計 52 387 530
平均 10.6 69.8 114.6 平均 8.5 67.2 46.9 平均 14.1 91.9 45.8 平均 6.5 48.4 66.3
SD 5.0 26.0 61.5 SD 5.0 39.8 61.0 SD 9.8 51.6 49.8 SD 1.9 20.7 59.4

山陽道・南海道・西海道・北陸道

山陽道 南海道 西海道 北陸道
国名 郡数 郷数 式社 国名 郡数 郷数 式社 国名 郡数 郷数 式社 国名 郡数 郷数 式社
播磨 12 98 47 紀伊 7 55 28 筑前 15 102 11 若狭 3 21 41
美作 7 64 10 淡路 2 17 13 筑後 10 50 4 越前 6 55 114
備前 8 51 21 阿波 9 46 46 豊前 8 43 6 加賀 4 30 42
備中 9 72 18 讃岐 11 90 24 豊後 8 47 5 能登 4 26 43
備後 14 65 17 伊予 14 72 24 肥前 11 44 4 越中 4 42 33
安芸 8 63 3 土佐 7 43 21 肥後 14 90 4 越後 7 34 54
周防 6 45 8 日向 5 28 4 佐渡 3 22 9
長門 5 40 3 大隈 8 37 5
薩摩 13 35 2
壱岐 2 11 24
対馬 2 9 29

合計 69 498 127 合計 50 323 156 合計 96 496 98 合計 31 230 336
平均 8.6 62.3 15.9 平均 8.3 53.8 26.0 平均 8.7 45.1 8.9 平均 4.4 32.9 48.0
SD 3.0 18.1 14.3 SD 4.1 25.2 11.0 SD 4.5 28.7 9.0 SD 1.5 12.2 32.3



和妙抄に記載のある国と郡名・郷名
伯耆国の郡名・郷名
河村郡(加波无良 かはむらぐん)
概要
三朝町、湯梨浜町(東郷町・泊村・羽合町)、および倉吉市の一部。
明治29年久米郡、八橋郡と合併して東伯郡となった。

=8
  1:笏賀(くつか・くつが)郷
  2:舎人(とねり)郷
  3:多駄(ただ)郷
  4:埴見(はなみ)郷
  5:日下(くさかべ)郷
  6:河村郷
  7:竹田郷
  8:三朝(みささ)郷

郡家
河村郷(一説に多駄郷とも)に置かれ、笏賀郷付近には笏賀駅(『延喜式』)があった。

補足
このうち、多駄郷は少なくとも平安時代の康和5年(1103年)以前に東郷と改称された。
また、これとほぼ同時期に日下郷の南部も西郷と改められた。

地名由来
川沿いの村、または川漁を生業とする民の村の意とする説がある。

久米郡(くめぐん)
概要
倉吉市、北栄町の一部、関金町

=10
  1:八代郷          
  2:立縫(たてぬい)郷
  3:山守郷
  4:大鴨郷
  5:小鴨(おがも)郷
  6:勝部郷
  7:久米郷
  8:神代郷
  9:下神(しもつわ)郷
 10:上神(かずわ)郷

郡家
なお、久米郷には郡家が置かれたと考えられている。

補足
地名由来
 ①久米(くめ)部が居住したことに由来する。
   この久米部は、肥(クマ)で肥人すなわち熟化した隼人を組織化し大伴氏の指揮下に置かれた軍事集団とする
   説がある。
 ②クミ(入り組んだところ)、クルメキ(川などの転回するところ)」が転じてクルメ、クメとなつたとする説がある。

八橋郡(夜波志 やはし)
概要
琴浦町、北栄町の一部、大山町の一部

=6
  1:方見(かたみ)郷
  2:由良(ゆら)郷
  3:荒木郷
  4:古布(こう)郷
  5:八橋(やはし)郷
  6:箆津(のつ)郷

郡家・駅
延喜式に見える清水駅は同郡内(現在の琴浦町八橋付近)に存在したとされる。

補足
夜波志(やはし)と訓じ、中世以降は「やばせ」と呼ばれたとされる。

地名由来
 ①ヤ(海岸の湿地)・ハシ(端。または砂丘の段=階(はし))」から
 ②ヤ(数多い)・ハシ(砂丘の段=階(はし))」からという説がある。

汗入郡(安世利 あせり)
概要
米子市、淀江町、大山町の一部  下記の6郷が記されている。

=6
  1:束積(つかづみ)郷
  2:汗入(あせり)郷
  3:奈和(なわ)郷
  4:尺度(さかと)郷
  5:高住(たかずみ)郷
  6:新井(にい)郷

郡家
郡の郡家は汗入郷に置かれたと見られるが、現在では汗入郷の遺称地が存在しておらず、確定までには至っていない。
 (そもそも汗入郷の位置や郷域自体が確定していない)
そのため、所在地については旧中山町逢坂、旧名和町名和(いずれも現・大山町)、旧淀江町福岡(現・米子市)など諸説がある。

補足
地名由来
  ①アセ(畦)・リ(裡、うち)」で水田に関係する地名
  ②アセはアサ(低湿地、崖地)」の転、「セリ(せり出した地)」で、海岸、平野などに山が迫つた地の称との説がある。

會見郡(安不美 あふみ あいみ)
概要
米子市の境港側、境港市、南部町、大山町の一部。

=12
  日下(くさか)郷
  細見郷
  美濃郷
  安曇(あずみ)郷
  巨勢(こせ)郷
  蚊屋(かや)郷
  天万(てま)郷
  千太(ちた)郷
  会見郷
  星川郷
  鴨部郷
  半生(はにゅう)郷

郡家

補足
伯耆国風土記逸文、和名抄などでは相見と記され、「あふみ」(おうみ)の訓が付けられている。
古代から中世にかけては会見もしくは相見と両方の表記が存在し、会見(あいみ)の表記に統一されたのは近世以降。

地名由来
 ①イザナギとイザナミの再会に関して、古事記に「妹伊邪那美命を相見むと欲ひて」とある。
   この地方にイザナギがイザナミに会いに行ったという伝説があり、この町の名前が付いたとする説。
 ②海湾を抱擁する地であって、「大海」の意から会見としたする説。

日野郡(比乃 ひの)
概要
伯耆町、日野町、日南町

=6
  1:葉侶(よころ・はろ)郷
  2:野上郷
  3:神戸(かんべ)郷
  4:阿太郷
  5:武庫(むこ)郷
  6:日野郷

郡家

補足
地名由来
 ①出雲国風土記』大原郡斐伊郷の条に「樋速日子命がここに住んだので「樋(ひ)」という」とあり、出雲・伯耆
   両国境の鳥髪山(船通山)付近を源とし、出雲国を流れるのが斐伊川、伯耆国を流れるのが日野川で
   あることから当地を日野とする説。
 ②山間の最奥部にあることからヒナ(鄙)の意により、転じて日野になったとする説。
 ③日当たりの良い土地の意から。
 ④烽火を置いた野から、火野、日野となったとする説。
 ⑤日野神社の所在地、または日野氏の居住地などの説がある。

因幡国
巨濃郡(こののこおり)(いわいぐん)    
『和名抄』には蒲生(がもう)、大野、宇治、日野、石井(いわい)、高野の6郷が記載されている。
郡家の所在地は現在の岩美町岩井とする説や同町新井とする説がある。

法美郡(ほうみぐん)
『和名抄』には大草(おおかや)、罵城(とき)、広西(ひろせ)、津井(つのい)、稲羽、服部(はとり)の6郷が記載されている。
このうち、国府(因幡国庁跡)は稲羽郷に所在した。
また、郡家も同郷内に置かれたと見られるほか、『延喜式』に見える佐尉(さい)駅も同郡内に置かれたとされる。
中世にかけては因幡守護・山名氏の守護所が置かれたとされ、長い間に渡って因幡国の中心地として栄えた。
1896年(明治29年)3月29日 邑美郡・岩井郡と合併して岩美郡となった。

八上郡(やがみぐん)
和名抄には若桜、丹比(たじひ)、刑部、亘理(わたり)、日部(くさかべ)、私部(きさいべ・きさいちべ)、土師、大江、散岐、佐井、石田、曳田(ひけた)の12郷が記されており、因幡国内で最大規模の郡であった。
郡家の所在地は万代寺遺跡(現・八頭町)とされるほか、同町福井にある西ノ岡遺跡も一時期、郡家であったとする説もある。
延喜式などに見える莫男(まくなむ)駅は八上郡家付近に所在したと考えられる。

八東郡(はっとうぐん)
和名抄に記載された私部(きさいべ・きさいちべ)、刑部、曰理(わたり)、日部(くさかべ)、丹比(たじひ)、若桜の6郷が平安時代末期に八上郡より分離し、成立した。

智頭郡(ちずぐん)
和名抄には美成(みなり)、佐治(さじ)、土師、日部(くさかべ)、三田(みた)の5郷が記されている。
郡家は三田郷(現・智頭町智頭付近)に置かれ、延喜式・日本後紀などに見える道俣(みちまた)駅も郡家付近に設置されたものと推測されている。

邑美郡(おうみぐん) 
和名抄には美和、古市、品治(ほんじ)、鳥取、邑美の5郷が記載されている。
郡家は美和郷(一説に邑美郷)に置かれたとされ、因幡国の有力豪族である伊福部氏が代々郡司を務めた。
また、延暦3年(784年)に成立したとされる『伊福部臣古志』によれば、同郡は因幡国最初の郡であった水依評が分割されて成立したものであるという。

高草郡(たかくさぐん)
当郡一帯は大化の改新以前より、因幡国の有力な在地首長一族であった因幡国造氏の本拠地が置かれていた。
延喜式神名帳には郡内の神社7座が記載され、薬師寺、国隆寺などの寺院も存在していた。

また、天平勝宝8年(756年)には東大寺領高庭荘が成立、地元の豪族である国造難磐の協力を得て、開墾が進められた。
延暦3年(784年)に成立したとされる伊福部臣古志によれば、646年に伊福部都牟自が「水依評」の督に任ぜられたとあり、658年には「始壊水依評、作高草郡」と記されている。
一説に水依評が高草郡となったとも言われるが、新編鳥取市史などでは水依評は法美郡・邑美郡に分割され、次いで高草郡が成立したとする説を採っている。
また、国府町誌によれば、郡の成立年代については、意図的に縁起の良い年を選んでおり、史実かどうか疑わしいという。
和名抄には神戸(かんべ)、倭文(しとり)、味野、古海、能美(のみ)、布勢、野坂、刑部(おさかべ)の8郷が記載されている。
郡家は古海郷に所在していたとされ、山陰道の敷見(しくみ)駅が設けられていた。

気多郡(けたぐん)
和名抄』には大原、坂本、口沼(かぬ)、勝見(かちみ)、大坂、日置、勝部の7郷が記載されている。
郡家は大坂郷内に所在していたとされ、発掘調査によって上原遺跡(現・鳥取市気高町上原)に比定されている。
また、鳥取市気高町上光にある戸島遺跡も古代の官衙跡として発掘されており、坂本郷の郷衙跡とする説もあるが、確定までには至っていない。
このほか、所在地は不明であるが、郡内には山陰道の柏尾(かしわお)駅が設けられていた。


参考資料
「和名類聚抄郷名考證」 (吉川弘文堂 1966 池邊彌)
「和名類聚抄郡郷里駅驛名考證」 (吉川弘文堂 1981 池邊彌)
「鳥取県誌」 第一巻 原始古代 (1972)
「鳥取県の歴史」 (山川出版 1997)

ウキペディア 「山陰道」 「伯耆国」 「因幡国」


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   米子(西伯耆)・山陰の古代史   





和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう) 米子(西伯耆)・山陰の古代史
和妙抄
平安時代中期に作られた辞書。
承平年間 (931年 - 938年) 、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。