令制国:令制下の旧国 米子(西伯耆)・山陰の古代史
令制国とは
律令制に基づいて設置された日本の地方行政区分。
奈良時代から明治初期まで、日本の地理的区分の基本単位であった。
律令国(りつりょうこく)ともいう。
 


 
図は、星田桂氏のHP、「アイテムギャラリーホワイトウィンド」より引用させて頂きました。 

日本人の「自由」の歴史―「大宝律令」から「明六雑誌」まで




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古代幻想―今、甦る東山道




完全踏査 続古代の道―山陰道・山陽道・南海道・西海道










令制下の地方官制
古代日本の地方官制
日本国の古代の時代において施行されていた地方行政の制度る。

令制国成立以前
土着の豪族である国造(くにのみやつこ)が治める国と、県主(あがたぬし)が治める県(あがた)が並立した段階があった。
それに対して、令制国は、中央から派遣された国司が治める国である。

令制国の成立
令制の国が何時成立したについての定説はまだないが、天武朝の初め675年前後には成立していたと考えられている。

『日本書紀』には、645年の大化の改新の際に、東国に国司を派遣したという記事があり、飛鳥京跡から出土した木簡削片に「伊勢国」「近淡□(海)」などと書かれていることが分かっている。
令制国が確実に成立したと言えるのは、701年(大宝元年)に制定された大宝律令からである。
故に、令制国の成立時期は早ければ645年、遅ければ701年となる。
この間の段階的な制度変化の結果であった可能性も高い。

701年(大宝元)
大宝律令で国・郡・里の三段階の行政組織に編成された。
広域地方行政区画として五畿七道(ごきしちどう)を定めた。

715年(霊亀元)
里を郷に改め、郷を2・3の里に分ける。

740年(天平12)頃
里は廃止され郷制に移行した。


国郡里制
国郡里制
地方を、その下に、さらにその下にを設ける行政組織に編成された。
里は戸からなり、50戸で1里が形成されていた。
正丁(せいてい)成年男子を三丁ないし四丁含むような編成を編戸(へんこ)といい、一戸一兵士という、軍団の兵士を選ぶ基礎単位になった。
それぞれ国司・郡司・里長が置かれた。

地方の役所
官衙(かんが)といい、国と群に置かれ、国府(国衙)・群家(郡衙)といった。
地方の行政機関は、庶民を統制して、租税を収奪する機構である。


国と国司
国庁(こくちょう)
令制国の行政機関を国府または国衙(こくが)という。

国衙の役人
国衙には、律令の規定に基づいて守・介・掾・目の国司四等官と、書記官である史生が勤務した。
この他の国衙職員としては、国博士・国医師・国師といった専門職員や雑徭によって徴発された徭丁らがいた。
合計すると小国では数十人、大国では数百人とかなりの規模の人数が勤務しており、国衙を中心に都市的な領域が形成されていた。

国府
国衙の所在地や国衙を中心とする都市域
国府は府中と呼ばれることもあった。

国司
四等官制は、長官・二等官・三等官・四等官の4等級から構成されており、令において、それぞれの分掌事務が定められていた。守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)・史生(しせい)が置かれた。
国司は、中央から天皇のミコトモチ(御言持)として交替で赴任し、郡司を指揮して国内の支配に当たった。

補足:軍団
諸国には軍団が設置され、国司がこれを統率した。
軍団は、兵士千人で構成され、大毅(だいき)一人・少毅二人がおかれた。
その内部は、五十人で一隊(騎兵隊・歩兵隊)で構成され、隊正(たいせい、五十長)が隊を、旅帥(りょそち、百長)が二隊(百人)を、校尉(こうい、二百長)が四隊をそれぞれ統率した。
そのほかに事務職員の主張が一人置かれた。
実際は千人に満たない軍団もあった。
六百人以上の場合は、大・少毅各一人置かれた。
五百人以下ならば、ただ毅が一人置かれた。
大毅・少毅(あわせて軍毅という)もまた郡領と同じく在地の首長層から任命された。
国司四等官

官司 かみ
長官
すけ
次官
じょう
判官
さかん
主典
国司 大国 大掾 少掾 大目 少目
上国
中国 -
下国 - -
郡司 大郡
上郡
中郡
大領 少領 主政 主帳
下郡 大領 少領 - 主帳
小郡 大領 - - 主帳
  軍団 大毅 少毅 - 主帳

郡(ぐん、こおり:旧仮名遣:こほり)と郡司

郡は二十里、二十里は千戸を上限として、その領内に含まれる里数によって五等級に区分される。
  大郡は十六〜二十里
  上郡は十二〜十五里
  中郡は八〜十一里
  下郡は四〜七里・・・・下郡には主政が置かれず
  小郡二〜三里・・・・小郡では大領・少領を区別せずにただ領一人を置いた。

郡は、六世紀の中葉頃の欽明朝に屯倉の設置が拡大されていき、ヤマト政権の地方政治組織となっていった。
史の支配の及ぶ土地と人間の総体を指して「コオリ」と呼んだらしい。
コオリの称は、律令制下の郡の和訓とされ、現代まで受け継がれている。
郡の制度は701年(大宝元)施行の大宝令に始まるが、それ以前の地方行政組織は「評」と書かれ、「コオリ」と称された。

郡司
大領(だいりょう)・少領(しょうりょう)・主政(しゅせい)・主帳(しゅちょう)が置かれた。
大領・少領を合わせて郡領という。
郡領にはかつての国造一族などの在地首長が任ぜられた。終身の職であった。

補足:評(こおり、ひょう)
646年改新の詔から、701年大宝律令制定以前は「評」と表現される地方行政組織が存在したと考えられている。
評は、国造のクニを分割・再編しながら、大化・白雉年間(645〜654) ごろ、全国的に実施されたと推測されている。
それまで国造や県主であったり、部民や屯倉を管理していた地方豪族のうち、有力者が評家(コホリノミヤケ)を建て、評の官人(評造・評督・助督)となった。
評の長官を評督(ひょうとく、こおりのかみ)・次官を助督(じょとく、こおりのすけ)を置き、その下に評史(ひょうし、こおりのふひと)などの実務官がいた


里と里長

五十戸で構成された。

里長

その統率者が里長で末端行政を担った。

715年(霊亀元)に里は郷(ごう)と改称され、郷里制に変わった。
郷は2〜3里に分かれ統率者は郷長であった。里には里正が置かれた。
740年(天平12)頃を境に里は廃止され郷制に移行した。



令制国(りょうせいこく)
令制国の数
令制国は、奈良時代までと明治時代に大きな改廃がなされたが、その間の平安時代から江戸時代までの長期にわたって変更がなかった。その数は68であるが、66とされることも多かった。

66国の場合
対馬・壱岐が「嶋」としてはずれる
備前・備中・備後をまとめて吉備とする(ただし、備前から分かれた美作はそのまま)など無理に2国減らして66にすることも行われた。


国等級区分
大国・上国・中国・下国
各国は国力等の経済上の基準で大国(たいごく)・上国(じょうごく)・中国(ちゅうごく)・下国(げこく)の4等級に区分され、この各区分毎に適正な納税の軽重が決められた。
この区分は各国の国情、時勢により変動した。
また、国司の格や人員も(大国の守は従五位上だが上国の守は従六位下、中国・下国には介は置かないなど)これに基づいた。

大国(13カ国)
大和国・河内国・伊勢国・武蔵国・上総国・下総国・常陸国・近江国・上野国・陸奥国・越前国・播磨国・肥後国

上国(35カ国)
山城国・摂津国・尾張国・三河国・遠江国・駿河国・甲斐国・相模国・美濃国・信濃国・下野国・出羽国・加賀国・越中国・越後国・丹波国・但馬国・因幡国・伯耆国・出雲国・美作国・備前国・備中国・備後国・安芸国・周防国・紀伊国・阿波国・讃岐国・伊予国・豊前国・豊後国・筑前国・筑後国・肥前国

中国(11カ国)
安房国・若狭国・能登国・佐渡国・丹後国・石見国・長門国・土佐国・日向国・大隅国・薩摩国

下国(9カ国)
和泉国・伊賀国・志摩国・伊豆国・飛騨国・隠岐国・淡路国・壱岐国・対馬国


近国・中国・遠国
律令制のもとで国家体制を整えていた古代の日本において、地方行政区画の一環として、畿内からの距離によって国を分けた。

近国
近い位置にある国が近国とされた(畿内の国は分類されない)。
中国
畿内からの距離が近くもなく遠くもない「中ぐらいの距離にある国」を意味する。
遠国
遠い位置にある国が遠国とされた。「近国」「中国」「遠国」の3分類の中で最も数が多い。


  
畿  内
東海道
北陸道
東山道
山陰道
山陽道
南海道
西海道
大国 畿内 近国 中国 遠国
大和国 伊勢国 越前国 武蔵国
河内国 近江国 上総国
播磨国 下総国
常陸国
上野国
陸奥国
肥後国
13 2 3 1 7

上国 畿内 近国 中国 遠国
山城国 尾張国 遠江国 相模国
摂津国 三河国 駿河国 下野国
美濃国 甲斐国 出羽国
備前国 信濃国 越後国
美作国 加賀国 安芸国
但馬国 越中国 周防国
因幡国 伯耆国 伊予国
丹波国 出雲国 筑前国
紀伊国 備中国 筑後国
備後国 豊前国
阿波国 豊後国
讃岐国 肥前国
35 2 9 12 12

中国 畿内 近国 中国 遠国
若狭国 能登国 安房国
丹後国 佐渡国
長門国
石見国
土佐国
日向国
大隅国
薩摩国
11 0 2 1 8

下国 畿内 近国 中国 遠国
和泉国 伊賀国 伊豆国 壱岐国
志摩国 飛騨国 対馬国
淡路国 隠岐国
9 1 3 2 3


五畿七道
五畿七道の原型は天武天皇の時代に成立したと言われている。
当初は全国を、都(平城京・平安京)周辺を畿内五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。

畿内五国
都(平城京・平安京)周辺を畿内五国(山城・大和・河内・和泉・摂津)

七道
七道の各国の国府は、それぞれ同じ名の幹線官道で結ばれていた。
七道は大路、中路、小路に分けられていた。



令制国一覧(五畿七道)
畿内(きない、うちつくに)
畿内
都(平城京・平安京)周辺を五国

畿内の諸国
山城国(京都府京都市以南。ただし左京区広河原、右京区京北は山陰道丹波国)
大和国(奈良県)
河内国(大阪府東部)
和泉国(大阪府南西部)
摂津国(大阪府北中部および兵庫県神戸市須磨区以東)


東海道(とうかいどう、うみつみち)
東海道
東海道は、畿内から東に伸びる、本州太平洋側の中部を指した。
これは、現在の三重県から茨城県に至る太平洋沿岸の地方に相当する。

東海道の諸国
伊賀国(三重県の西部)
伊勢国(三重県の中部)
志摩国(三重県の東部と愛知県の伊良子岬付近)
尾張国(愛知県の西部)
三河国(愛知県の中部と東部)
遠江国(静岡県の西部)
駿河国(静岡県の中部及び東部)
伊豆国(伊豆半島及び伊豆諸島)
甲斐国(山梨県)
相模国(神奈川県)
武蔵国(東京都と埼玉県、神奈川県東部の一部。初めは東山道)
安房国(千葉県の南部)
上総国(千葉県の中部)
下総国(東京都の隅田川東岸、千葉県の北部、茨城県の一部)
常陸国(茨城県)


東山道(とうさんどう、やまのみち)
東山道
本州の内陸側を東西に横断する地方

東山道の諸国
近江国(江州,滋賀県)
美濃国(濃州,岐阜県南部)
飛騨国(飛州,岐阜県北部)
信濃国(信州,長野県)
上野国(上州,群馬県)
下野国(野州,栃木県)
武蔵国(771年から東海道に属す,埼玉県、東京都の隅田川より東の地域と島嶼を除く部分)
出羽国 (羽州,山形県、秋田県の一部)
陸奥国 むつ(陸州,福島県、宮城県、青森県、岩手県、秋田県北東部)
   石城国(磐州) - 718年に陸奥国より分立。
   陸前国 りくぜん(陸州)- 1869年に陸奥国より分立。
   陸中国 りくちゅう(陸州)- 1869年に陸奥国より分立。


北陸道(ほくりくどう、くぬがのみち)
北陸道
畿内から北に伸びて、本州日本海側の中部を総めた行政区画であった。
明治以後では「北陸四県」と呼ばれる地方に相当する。

北陸道の諸国
若狭国(福井県南部)
越前国(福井県北部)
加賀国(石川県南部)
能登国(石川県能登半島)
越中国(富山県)
越後国(新潟県本州部分)
佐渡国(新潟県佐渡島)


山陰道(さんいんどう) あるいは背面道(そとものみち)
山陰道
本州日本海側の西部を指す。
畿内の西に伸びており、現在の北近畿から島根県までに相当する。

山陰道の諸国
丹波国(京都府中部,兵庫県東辺の一部,大阪府高槻市の一部,大阪府豊能郡豊能町の一部にあたる)
丹後国(京都府北部)
但馬国(兵庫県北部)
因幡国(鳥取県東部)
伯耆国(鳥取県西部)
出雲国(島根県東部)
石見国(島根県西部)
隠岐国(島根県隠岐島)


山陽道あるいは影面道、光面道(かげとものみち)
山陽道
本州の瀬戸内海側を指しており、畿内の西に位置し、現在の兵庫県西部から山口県までに至る瀬戸内海沿岸

山陽道の諸国
播磨国(兵庫県南西部)
美作国(岡山県東北部)- 和銅6年(713年)に備前国より分割された。
備前国(岡山県東南部,香川県小豆郡と直島諸島,兵庫県赤穂市の一部)
備中国(岡山県西部)
備後国(広島県東部)
安芸国(広島県西部)
周防国(山口県東南部)
長門国(山口県西部)


南海道(なんかいどう、みなみのみち)
南海道
紀伊半島、淡路島、四国、列びにこれらの周辺諸島を指す。

南海道の諸国
紀伊国(紀州、和歌山県,三重県南部)
淡路国(淡州、兵庫県淡路島,沼島)
阿波国(阿州、徳島県)
讃岐国(讃州、香川県)
伊予国(予州、愛媛県)
土佐国(土州、高知県)


西海道(さいかいどう、にしのみち)
西海道
九州とその周辺の島々を指す。後に琉球も追加された。

西海道の諸国
豊前国(豊州、福岡県東部,大分県北部)
豊後国(豊州、大分県中央部から南部)
筑前国(筑州、福岡県西部)
筑後国(筑州、福岡県南部)
肥前国(肥州、佐賀県,長崎県の対馬と壱岐以外)
肥後国(肥州、熊本県)
日向国(日州、向州、宮崎県)
大隅国(隅州、鹿児島県東部,奄美)
薩摩国(薩州、鹿児島県西部)
壱岐国(壱州、長崎県壱岐島)
対馬国(対州、長崎県対馬)
琉球国(沖縄県)



参考資料  


Wikipedeia 「国・郡・里制」 「令制国」


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