三代格式
格式(きゃくしき)とは
律令の補完の為に出された法令あるいはそれらを纏めた法令集の事を指す。
  (きゃく)は律令の修正・補足のための法令(副法)を指す。
  (しき/のり)は律令の施行細則を指す。


三代格式(さんだいきゃくしき)とは
  三代格式
平安時代に編纂された弘仁格式貞観格式延喜格式の三つの格式の総称。
なお、弘仁・貞観・延喜とは、それぞれの格式が編纂された年代の元号であるが、実際の完成には時間がかかっている。
弘仁格式は、、延喜格式はである。

弘仁格式嵯峨天皇が藤原冬嗣に編纂させたもの) 
 嵯峨天皇の時代に「造格式所」を設置して、藤原冬嗣を総裁として藤原葛野麻呂・秋篠安人・藤原三守・橘常主・興原敏久らと事にあたらしめてから編纂事業が本格化した。
 原文は全巻亡失おり、九条家本『延喜式』の紙背文書に偶々遺された。
 巻十九式部下と巻二十五主税上の断簡及び、諸書に見える逸文のみが知られているに過ぎない。

弘仁格
   701年(大宝元年)から819年(弘仁10年)の間の格を編纂したもの。一部現存。 

弘仁式
   701年(大宝元年)から819年(弘仁10年)の間の式を編纂したもの。一部現存。
   820年撰進。830年施行。

貞観格式(清和天皇が藤原氏宗に編纂させたもの)
 清和天皇の貞観年間に藤原氏宗・南淵年名・大江音人・菅原是善・紀安雄・大春日安永・布瑠道永・山田弘宗の8名によって編纂が行われ、871年に奏進され、同年施行された。
 既存の『弘仁式』を増訂・追補した諸規定・細則を集めて編纂し、『弘仁式』を廃止することなく、両方を併用する方式を採った。
 却って不便を生じ、後に全面的改訂を施した『延喜式』を編纂して、『弘仁式』・『貞観式』の施行を停止する一因となった。
 現在では一部が逸文として残されているものの、大部分が散逸している。

貞観格
   820年(弘仁11年)から868年(貞観10年)の間の詔勅官符集。
   869年(貞観11)完成の格。現存せず。

貞観式
   871年(貞観13)完成の式。現存せず。

延喜格式醍醐天皇が藤原時平に、編纂させたもの)
 編纂者を直接示す記録は無いが、臨時格を追加したときに編纂に関与した人物として左大臣藤原時平が総裁を務め、藤原定国(大納言・右近衛大将)・三善清行(文章博士)・大蔵春行(民部大輔)・藤原善経(明法博士)が挙げられており、「延喜格」本文の編纂もほぼ同じ人員構成であったと考えられている。
 時平の死後は藤原忠平が編纂に当たり、927年(延長5年)に一応完成した。その後も改訂が加えられ、40年後の967年(康保4年)より施行された。

延喜格
   869年(貞観11年)から907年(延喜7年)の間の詔勅官符集。
   908年(延喜8年)に施行された。

延喜式

   905年(延喜5年)から編纂され、927年(延長5年)に完成。
   967年(康保4年)に施行された。全50巻から成る。


延喜式
編纂経緯
  編纂目的
貞観式』制定後も同式に規定のない事項については、従来通り『弘仁式』を用いる事となっていたために混乱が生じた。
このため、改めて統一的な『延喜式』が編纂されて、以後『弘仁式』・『貞観式』は用いられなくなった。

編纂経過

905年(延喜5年)
醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始めた。

927年(延長5年)
時平の死後は藤原忠平が編纂に当たり、このときから本格的な編纂となった。
927年(延長5年)に一応完成した。

967年(康保4年)
その後も改訂が加えられ、40年後の967年(康保4年)より施行された。


構成
全50巻、約3300条からなる。
   巻1~10    神祇官関係の式、
   巻11~40   太政官八省関係の式、
   巻41~49   その他の官司関係の式、
   巻50      雑式


神祇官関係の式
巻8
祝詞が掲載されている。

巻9・10
神名帳(神社の一覧表)となっていて、祈年祭奉幣を受けるべき2861社の神社が記載されている。
延喜式神名帳に記載のある神社を一般に式内社と言って社格の一つとされ、当時朝廷から重要視された神社であることを示している。
現在では消滅したり不明となっている神社も多い。


太政官八省関係の式
巻22
民部省上の中に、「凡諸国部内郡里等名 並用二字 必取嘉名」とあり、全国の地名が変更された。

巻23
民部省下である。

巻24
主計寮上には、全国への庸、調、中男作物の割り当て等が書かれており、当時全国の農産物、漁獲物、特産物を知ることができる。

巻25
主計寮下である。

巻28
兵部省に関わるものである。
その中の諸国駅伝馬条には五畿七道の402ヶ所にのぼる宿駅の名称と備えるべき駅馬や伝馬の数が記載されている。



延喜式神名帳
延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)とは
『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧である。
延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。

元々「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成していた官社の一覧表のことで、官社帳ともいう。国・郡別に神社が羅列されており、祭神、社格などが記されている。
延喜式神名帳とは、延喜式がまとめられた当時の神名帳を掲載したものである。
延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社であり、そこに鎮座する神の数は3132座である。


式内社と式外社

式内社
延喜式がまとめられた10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社であり、その選定には政治色が強く反映されている。

式外社(しきげしゃ)
当時すでに存在したはずであるのに延喜式神名帳に記載されていない神社を式外社という。
式外社には、以下の神社が含まれる。
  朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持っていた神社(熊野那智大社など)
  神仏習合により仏を祀る寺であると認識されていた神社
  僧侶が管理をしていた神社(石清水八幡宮など)
  正式な社殿を有していなかった神社など。

式外社であるが六国史にその名前が見られる神社のことを特に国史現在社(国史見在社とも)と呼ぶ(広義には式内社であるものも含む)。


式内社の社格
官幣社(573社737座)
官社とは、神祇官から幣帛(へいはく)を受ける神社。
毎年2月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社のことであり、各神社の祝部が神祇官に集まって幣帛を受け取っていた。

国幣社(2288社2395座)
国幣社とは、その国の国司から幣帛を受ける神社。
延暦17年(798年)、それまで通り神祇官から幣帛を受ける官幣社と、その国の国司から幣帛を受ける国幣社とに分けられた。
国幣社が設けられたのは、遠隔地の神社では祝部の上京が困難であるためとされているが、遠隔地でも重要な神社は官幣社とされている。

大社と小社
この別はその神社の重要度や社勢によって定められたと考えられている。
官幣社・国幣社および大社・小社は全ての式内社について定められているので、式内社は以下の4つのいずれかに分類されることになる。

  官幣大社-198社304座
  国幣大社-155社188座
  官幣小社-375社433座
  国幣小社-2133社2207座

式内社の中には、祈年祭以外の祭にも幣帛に預かる神社があり、社格とともに記されている。
  名神 -- 特に霊験著しい「名神」を祀る、臨時祭の名神祭が行われる神社。
        全てが大社であることから名神大社(名神大)という
  月次 -- 月次祭(6月と12月の年2回行われる祭)に幣帛を受ける神社
  相嘗 -- 相嘗祭(新嘗祭に先立ち新穀を供える祭)が行われる神社
  新嘗 -- 新嘗祭(毎年11月に行われる一年の収穫を祝う祭)に幣帛を受ける神社。


参考資料
「延喜式」 (吉川弘文館 2008 虎尾俊哉)


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延喜式
905年(延喜5年)から編纂され始めた律令の補完の為の法令集。
927年に完成し、全50巻、約3300条からなる。