法勝寺川下流域にある神社
高良(こうら)神社
所在地
鳥取県米子市兼久114番

社格
村社

祭神
武内宿禰神、保食神、猿田彦神、天照大神、天津彦火瓊々岐尊、誉田別尊

歴史:鳥取県神社誌より
創立年代詳ならざるも、最も旧社にして、往古より高良大明神と称し、現在の社地を去ること凡そ三町余字宮田と云ふ地に鎮座、一村の氏神として崇敬せしが、享保3年法勝寺川洪水の時より瘻々水害を被りしを以て、享保20年本村の農民来海久左衛門なる者之を嘆き村民に議し、同4年4月現今の地を設け奉還すと云ふ。
明治維新の際、高良神社と改称せらる、保食神以下の諸神は元当社の摂社なりしを明治元年合祀す。
明40年四月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

補足:鳥取県神社誌より
境内坪数=308坪   崇敬戸数=58戸 


青木神社
所在地 
鳥取県米子市青木1157番

社格
旧村社

祭神
句々能智(クグノチ)命、豊受姫命、伊弉那岐尊、伊弉那美尊、天照大御神、素盞鳴尊

歴史:鳥取県神社誌より
創立年月詳ならざるも、社伝に拠れば旧社にして国司の信仰厚く、天文年間(1532--1554)の造営の際には尼子晴久本村会来山の城主青木勘解由なる者をして米銭若干を寄附せしめ寛文元年(1661)3月因伯国主より榎原郷大社と定められ毎に金銭を寄附せられしと言ふ。
明治4年4月村社に列す。
伊弉那岐尊以下の神は旧摂社なりしを合祀せるものなり。
明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

補足:鳥取県神社誌より
境内坪数=1045坪  崇敬戸数=161戸


實久神社
所在地 米子市榎原766番

社格

祭神
主祭神=誉田別尊
合祀=武内大神、天照大御神

歴史:鳥取県神社誌より
当社の棟札に拠れば永禄三年本村の浪士大坪甚兵衞一正(因幡私都の城主大坪¬甚兵衞一之の長子なり、一之の破れて藝州に走るや一正を遺して本村に居らしむ、子孫今尚存す)なる者主として創立し八幡宮と号す。
元青木神社の摂社たり。
明治維新の際、今の社号にあらためらる。
天照大御神は旧摂社なり。
武内大神は旧末社にして天正年間本村の浪士三吉太郎右衞門勝高出雲国意宇郡武内神社より勧請せるもの、共に明治維新の際合祭す。

補足:鳥取県神社誌より
建造物=本殿、拝殿   境内坪数=117坪   崇敬戸数 16戸


上安曇 楽々福(ささふく)神社
  所在地
米子市上安曇

祭神 大日本根子彦大瓊尊(第七代孝霊天皇)、細媛命、福媛命

補足:米子市HP 「米子の民話散歩道」より
門松を立てない村:上安曇(かみあずま)
上安曇の氏神さんは、なかなかの美男子で村の中に彼女がおられたそうな。
ある年の大晦日(おおみそか)の晩にも、明日は元旦だがマア鶏の鳴く前にお宮に帰りやぁ良いわい、と思って彼女の家に行って泊まらんしたそうな。
とこうが、まんだ夜が明けん真夜中に鶏が鳴いてしまった。
神さんは、やれコリャしまった寝過ごした、と慌てて彼女の家を飛び出っさったところ、暮れからこしらえてあった門松の松で眼を突かれ大怪我(おおけが)をされた。
出てみると外はまだ真っ暗闇。お気の毒なことで。
それで上安曇の氏神さん(楽楽福(ささふく)神社)は片眼がつぶれたそうだし、それから後は村では門松を立てんようになったし、憎っくき鶏を飼うことも、鶏の卵を食うことも戦後のしばらくまでしなかった。
今は鶏も飼うし卵も食うが、門松だけはいまだに作りませんぜ。

楽々福神社の詳細は、「日南町の神社-東西楽々福神社」


浦木神社
所在地 米子市浦木293番

社格

祭神

歴史:鳥取県神社誌より

補足:鳥取県神社誌より
境内坪数 坪
崇敬戸数  戸

稲荷神社
所在地 
鳥取県米子市別所1012番

社格

祭神
倉稲魂命、天照大日尊、素盞鳴尊

歴史:鳥取県神社誌より
創立年月不詳。
往古より郷社八幡神社にして稲荷大明神と称せしを明治元年神社改正の際、今の社号に改められる。
天照大日尊、素盞鳴尊は当社の末社なりしを此の時合祀せらる。

補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿、拝殿、神楽殿
境内坪数 163坪   崇敬戸数 40戸



参考史料
「日本の神々 神社と聖地 第7巻 山陰」 (白水社 2007 谷川健一 坂田友宏 川上迪彦他)
「鳥取県神社誌」 (澤田文精堂 1934)  
「日野郡誌」 (名著出版社 1926) 
「因伯叢書第4巻伯耆誌」 (名著出版社 1972)
「神社辞典」 (東京堂出版 1997)  

Wikipedia 「神社一覧」


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2:米子市周辺の神社-C:法勝寺川流域の神社
1:米子周辺の式内社

2:米子市周辺の神社 
  A米子市中心部、B加茂川流域、C法勝寺川流域、D日野川下流域 E佐陀川上流域 
  F淀江町周辺(佐陀川下流域 宇田川流域 天井川流域)・西伯郡日吉津村、G弓浜半島
   
3:境港市の神社
現代の市制
鳥取県ホームページ より引用
米子市(旧米子市、淀江町、西伯郡日吉津村)  境港市

西伯郡
南部町(旧会見町、旧西伯町) 伯耆町(旧溝口町、旧岸本町)


大山町(旧大山町、旧名和町、旧中山町) 

日野郡
江府町  日野町  日南町
令制下の旧国
伯耆国-河村郡、久世郡、八橋郡、会見郡、入汗(あせり)郡、日野郡 

式内社=6社  

河村郡 2社(並小)  久米郡 2社(並小)  会見郡 2社(並小)
古来より日本人は、故郷の神社を移り住んだその土地に勧請し祀ってきた。
従ってその地域の神社を調査することで、その地域の人々の故地を推測する事が出来る可能性もある。
同時に、その御祭神の調査で、同族関係も検証できるものと思われる。