多里・矢戸・生山 周辺の神社
東(西) 楽楽福(ささふく)神社  (宮内)
所在地
鳥取県日野郡日南町宮内  東宮=1065番  西宮=236番地

社格  県社

祭神
東楽々福神社(東宮)
  大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、福姫命、若建吉備津彦命

摂社:若宮神社
  磯城県主大目命 鬱色雄(うつしこお)命 大矢口宿禰命 大水口宿禰命

末社:木野山神社
  大山命神 木花開耶姫(このはなさくやひめ)命

西楽々福神社(西宮)
  大日本根子彦太瓊命 細姫命 大吉備津彦命 彦狭島命 ?某弟(はえいろど)命 大山祇命  
              

歴史
神社としての創建は仁和2年(886)との口伝がある。
以後、日野郡中総氏神として日野大社笹福大明神と称した。

明治 元年  楽楽福社と改称
明治 5年   縣社に列格
明治 7年   楽楽福神社と改称
明治40年   神饌幣帛料供進神社に指定される
大正 8年   近隣鎮座の村社6社、無格社1社が合祀された
昭和15年   本殿を造営
戦後は神社本庁の包括神社となり、例祭(春季大祭・五月一日)には神社本庁より献幣使が参向し幣帛料を奉る

平成16年   西楽楽神社を東楽楽神社に合祀

由緒より
当社は大日本根子彦太瓊尊、即ち人皇第7代孝霊天皇を主神とし、皇后、皇妃、皇子及びその一族を祀る。
孝霊天皇は少年の御時、楽楽清有彦命(ササフクキヨアリヒコ)と申し、又笹福(ササフク)と号し奉る。
御即位2年細媛を立てて皇后と為し給ふ。
大吉備津彦命、若健吉備津彦命は共に孝霊天皇の皇子にて四道将軍として吉備の国を平定し給ふ。
細媛命は孝霊天皇の御后にて國牽(クニクル)皇子、即ち第八代孝元天皇の御母にあたり、磯城県主大目命の女なり。
福媛命は孝霊天皇の妃にて彦狭島命の御母なり。
彦狭島命は歯黒皇子と申し孝霊天皇の皇子なり。
孝霊天皇巡幸して西の国々を治め給ふ時、隠岐國の黄魃鬼(コウバツキ)を退治し給ひて伯耆國に渡らせ給ひし時日野川上に至り給ひて、今の溝口町鬼住山並に日南町の鬼林山に邪鬼ありて人民を悩ますよしを聞召して歯黒皇子他重臣を従へ彼の邪鬼を退治し、其の首領を其の地に埋葬し給ふ。
又その頃、備中國に石蟹魁荒仁(イシガタケルコウジン)というものありて天皇が近郷に居給ふ由を聞き國中の凶徒を集め兵を起こして天皇を襲ひ奉らんとす。
天皇夙(ハヤ)くも此の事を聞召給ひて歯黒皇子を軍将として数多の兵を従へ之を征伐し給ふ。
かくして出雲振根等各地の凶賊を悉く言向けやはして地方を平定し、王化を布き給へり。
これより先皇后細媛命は天皇の御跡を慕ひあすを知るべに尋ね給ふに御産のなやみありて石の上に憩はせ給ふ時、頃は五月のなかばにして雨多く降りければ里人菅の蓑笠を奉るも川の水音高く聞こゆる故「水音喧(ミズオトカマ)」と詔り給へば水音やむに依って日野川のこの部分を音無川と称す。

皇后其の地を立たせ給ひし時の御歌
 「むら雨の露のなさけの名残をばここにぬぎおく菅の蓑笠」

それより川上に上り給ひて帝に会い給ひ、日野川上宮内の里はよき宮所なりとて皇后を定め給ひて多く年月を茲(ココ)に送り給へり。
皇后は御歳百拾歳にて孝霊天皇即位七拾壱年辛巳四月二十一日を以って此の地にかくれ給ふ。
今日崩御山と申す山は皇后の御陵なりと傳ふ。
即ち当社は地方開拓に御功績ありし祖神の偉大なる御神徳を追慕景仰して鎮祭し奉れる所にして且つ皇后御陵のある聖地なり。
爾来皇國の鎮護として皇室の隆昌寶祚の無窮を守り萬民の幸福を護り給へり。
されば上下の尊崇甚だ厚く神威洵にあらたかにして遠近の賽者常に絶えず。
第十代崇神天皇の御代当社の神戸として今の石見谷一圓を奉献せられし由傳ふ。
又和銅天平の御勅使御差遺御綸旨奉納のことあり傳ふ。
又國主の崇敬殊に厚く代々の祈願所にて社殿の修復料の奉納、社領米の寄進のこと等あり、日野郡中総氏神として
日野大社笹福大明神と称した。

明治元年楽楽福社とせられ、同4年県社に列格、同7年楽楽福神社と改称し奉る。
同40年神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
戦後は神社本庁の包括神社となり、例祭(春季大祭・五月一日)には神社本庁より献幣使が参向し幣帛料を奉る。


補足1
日野郡内には孝霊天皇とその一族を祭った楽々福神社と称される神社が多数ある。
東楽々福神社・西楽々福神社と共に伯耆町宮原の楽々福神社は「日野郡三楽々福神社」に数えられ、日野大社と呼ばれる。

楽々福神社の所在地一覧 (坂田友宏氏 「日本の神々 神社と聖地 山陰」より引用)

①鳥取県
東楽々福神社(東宮) 日南町宮内 祭神:大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、福姫命、若建吉備津彦命
西楽々福神社(西宮) 日南町宮内 祭神:大日本根子彦太瓊命、細姫命、大吉備津彦命、彦狭島命
楽々福神社 日南町印賀 祭神:媛姫命(福姫命)
楽々福神社 溝口町宮原 祭神:大日本根子彦太瓊命、細比女命
楽々福神社 西伯町篠相 祭神:大倭根子彦太瓊命
楽々福神社 米子市安曇 祭神:大日本根子彦太瓊命、細媛姫命、福姫命

②島根県
佐々布久神社 島根県野義郡広瀬町石原 祭神:大日本根子彦太瓊命

③楽々福神社の関連社
日谷神社 日南町笠木 祭神:大日本根子彦太瓊命、細比売命、彦五十狭彦命 (楽々福大明神勧請の社)
菅福神社 日野町上菅 祭神:大日本根子彦太瓊命、細姫命、福姫命、阿礼姫命、吉備津彦命、稚武彦命、彦狭島彦命、百襲姫命、稚屋姫命
山田神社 溝口町栃原 祭神:大日本根子彦太瓊命
高杉神社 大山町宮内 祭神:大日本根子彦太瓊命、本姫(細姫)
余子神社 境港市栄町 正神:孝霊天皇 

補足2
①伯耆志より
今当社に福姫命一座とす 社山を貴宮山と号し、福姫命の御墓と称し、また崩御山と云へるもあれど、凡て信じ難し当社もと榎垣内村一條山に在しを、応永四年一條山の城主肥前守沙彌道栄 今の社地に移すと云減り、当時社頭焼失せしによりて道栄神体を新たに再造し奉るといふ、今古棟札存せず、慶長三年以後是を存す、民諺記に紀するものあり、溝口村郷社楽楽福神社の所に記す参照すべし

補足3
鬼林山
非火山性孤立峰。標高1,031m。鬼退治の伝説がある。
福塚から山頂には自動車で行ける。

こんな山奥に、こんな立派な神社があることに感銘。
昔は、相当裕福な土地柄だったのだろうと、当時に思いが馳せ参じます。


生山(しょうやま)神社
所在地
鳥取県日野郡日南町生山90番

社格

祭神
譽田別命(第15代応神天皇)

補足
伯耆民談記
当社の山上に「柴瀧」というあり。
孝霊天皇の皇女福姫命爰誕生ありしによりて、後世是を生山と号し・・・」とある。


霞神社
所在地
鳥取県日野郡日南町霞402番

社格


祭神

歴史:鳥取県神社誌より

補足:
鳥取県神社誌より


丸山神社
所在地
鳥取県日野郡日南町丸山373番

社格


祭神
大山祇命 素盞鳴尊

歴史:鳥取県神社誌より
創立年月不詳、旧丸山大明神と称へしを明治元年神社改正の際丸山と改められ同五年村社に列す。
同七年丸山神社と称
す素盞鳴尊、大山祇命は本社の摂末社なりしを明治元年合祭す。
昭和七年七月十五日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

補足:鳥取県神社誌より
本殿、拝殿、神楽殿、随神門 境内坪数 634坪 氏子数  57戸


厳島神社
所在地
鳥取県日野郡日南町丸山770番


多里神社
所在地
鳥取県日野郡日南町新屋70番

社格  旧村社

祭神
倉稲魂命ほか43柱
保食命、稚産霊命、菅原道真、大山祇命、伊弉冉神、速玉男命、事解男命、稲背萩命、猿田彦命、蛭子命、菊理姫命、大己貴命、天穂日命、天津児屋根命、稚日女命、金山彦命、倭武命、誉田別命、阿遇突智命、興登魂命、五十猛命、大屋津姫命、抓屋津姫命、泉津事佐加男命、大日孁命、大年命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、天照大神、忍穂耳命、瓊瓊杵尊、彦火々出見命、鸕鶿草葺不合命、天地加流美頭姫命、經津主命

歴史1:鳥取県神社誌より
創立年月不詳
旧多里荘大社稲倉大明神と称す。
明治元年神社改正の際、稲倉社と改称。
同5年村社に列す。
同7年稲倉神社と改めらる。
明治41年11月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
大正3年3月12日、多里村大字多里字上町へ側鎮座無格社稲荷神社(祭神 倉稲魂命、菅原道真、大山祇命、伊弉冉神、速玉男命、事解男命、稲背萩命、猿田彦命、蛭子命)を合併す。
同4年9月
  同村大字萩原字正音寺鎮座村社大蔵神社(祭神 大年命、 天地加流美頭姫命、大山祇命、經津主命、
  阿遇突智命、 猿田彦命、金山彦命 )
  同村大字湯河字宮ノ前鎮座村社岩崎神社(祭神 天穂日命、天津児屋根命、稚日女命、菅原道真、
  倉稲魂命、保食命)   
  同村大字新屋字上橋鎮座無格社稲荷神社(祭神 国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、
  大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、天照大神、忍穂耳命、瓊瓊杵尊、
  彦火々出見命、鸕鶿草葺不合命 ) 
  同村大字同字宮ノ段鎮座無格社青瀧神社(祭神 伊弉冉神、泉津事佐加男命、速玉男命、大日孁命) 
  同村大字同字小寺鎮座大歳神社(祭神 大年命、大山祇命) 
  同村大字上萩山字明谷新鈩床鎮座無格社金子神社(祭神 金山彦命、大山祇命) 
  同村大字同字中善蔵鎮座無格社奥萩神社(祭神 大山祇命、天穂日命) 
  同村大字同字反田鎮座無格社西垣内神社(祭神 菊理姫命、大己貴命、大山祇命) 
  同村大字湯河字容戸鎮座無格社柳本神社(祭神 猿田彦命、大山祇命、金山彦命 )
  同村大字同字岩田鎮座無格社湯谷神社(祭神 倭武命、誉田別命、阿遇突智命、大山祇命、興登魂命、
  五十猛命、大屋津姫命、抓屋津姫命、金山彦命)を、合併す。
大正9年11月11日 多里神社と改称す。
 伯耆民談記に「鎮座の山を御笠山といふ此の山に孝霊天皇稲を積せられし、蹟ありと山の形稲隈の如し此の故に稲蔵大明神と号し奉る」といへり。

歴史2
創建 1591年

補足1:鳥取県神社誌より
例祭日  11月16日
建造物 本殿、拝殿、幣殿、神饌所、神輿庫、 随神門
境内坪数 1032坪
氏子戸数 198戸

補足2
伯耆民談より
鎮座の山を御笠という。
この山に孝霊天皇が稲を積せられし蹟ありという。
山の形稲隈の如し、此の故に稲荷大明神と号し奉る。



菅沢・印賀・阿毘緑・茶屋 周辺の神社
菅沢神社 (聖滝伝説)
所在地
鳥取県日野郡日南町菅沢465番

社格

祭神
磐長姫(いわながひめ)、金山彦命、大山祇命、猿田彦命、活津彦根命、雅武彦命、
境内神社=雅宮神社 祭神 雅武彦命

歴史:鳥取県神社誌より
当社は大正6年9月
  大宮村大字菅沢字本山鎮座村社本山神社(旧称、本山権現)
  同村大字同字菅原鎮座無格社菅沢神社(旧称、山の神)
  同村大字同字呼子社鎮座無格社呼子神社(旧称、智明権現)
  同上秋原神社(旧称、山の神)の四神社を合併菅沢神社と改正せるものなり。
右の四社共創立年代詳ならざれども往古より産土神として崇敬せる社なり。

補足1:鳥取県神社誌より
例祭日  11月13日
建造物 本殿、拝殿、随神門
所境内坪数 562坪
崇敬者戸数  90戸


補足2:聖(ひじり)滝の伝説(菅沢神社 祭神ものがたり)
菅沢・秋原川中流の聖滝は、神話・天の国のあったところといわれている。
磐長姫(いわながひめ)、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の姉妹が住んでいたという。
倭の国王・ににぎのみことと木花咲耶姫の結婚式が行われた地ともいう。
菅沢神社の祭神は、姉姫・磐長姫であるという。


楽々福(ささふく)神社  (印賀)  (孝霊天皇の皇女福姫の御陵墓)

 
所在地
鳥取県日野郡日南町印賀1494番1

社格  村社

祭神
主祭神=媛姫命(福姫命)
合祀=素盞鳴尊、大山祇命、金山彦命、事代主命、天種子命、軻隅槌命、菅原道真
境内神社=稚宮神社(祭神 稚武彦命)     金刀比羅神社(祭神 大物主命)

歴史1:鳥取県神社誌より
祭神 媛姫命は孝霊天皇の皇女なり、此地に於て甍せらると云ふ。
社背山林中に御陵墓と称ふる地あり。
村民産土神と崇敬楽楽福大明神と称せしを、明治元年神社改正の際楽楽福社と改められ、摂末社の神を合祭す。
同5年村社に列す、同六年楽楽福神社と改称す。
明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、
大正2年12月8日
  大宮村大字印賀字立石 鎮座地 無格社榎垣内神社(祭神 素盞鳴尊、大山祇命、事代主命、金山彦命)
  同村大字寶谷字糖谷林 鎮座無格社寶谷神社(祭神 天種子命、大山祇命)
  同村大字折渡字栗谷山 鎮座無格社 山口神社(祭神 大山祇命、軻隅槌命、金山彦命)  
  同村大字折渡字奥栗谷 鎮座無格社 金屋子神社(祭神 大山祇命、金山彦命)を合併す。

歴史2:伯耆志より
今当社に福姫命一座とす社山を貴宮山と号し、福姫命の御墓と称し、また崩御山と云へるもあれど、凡て信じ難し当社もと榎垣内村一條山に在しを、応永4年一條山の城主肥前守沙彌道栄 今の社地に移すと云減り、当時社頭焼失せしによりて道栄神体を新たに再造し奉るといふ、今古棟札存せず、慶長3年以後是を存す。
民諺記に紀するものあり、溝口村郷社楽楽福神社の所に記す参照すべし。

補足1:鳥取県神社誌より
建造物 本殿 幣殿、拝殿 随神門、手水舎
境内坪数 348坪   氏子戸数 318戸

補足2:孝霊天皇の皇女福姫の伝説
えんどう豆の収穫時に支えの竹で目をつき、それが元で15歳で亡くなった
印賀の住人は竹を植えないしまた竹の箸を使わないという。
背後の山林に御陵墓と称する箇所がある。


印賀楽々福神社

印賀製鉄所跡


 
日谷神社
所在地
鳥取県日野郡日南町笠木248番

社格  郷社

祭神
大日本根子彦太瓊命、細比売命、彦五十狭彦命、素戔嗚尊
大国主命、阿遇突智命、大山祇命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、大日孁命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天彦火瓊瓊杵命、彦火火出見命、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、大白星、木花開耶姫命、稲背萩命、金山彦命、素盞鳴命、菅原道真、天八十萬日魂命、倉稲魂命、建御名方命

歴史1:鳥取県神社誌より
創立年代詳ならず。
元笠木郷氏神王宮大明神と号す、(伯耆誌に曰く、当社今大を王字に替へて王宮大明神とするは例の社家の杜撰なり応永の古文書に拠るに楽々福大明神勧請の地と云へり)。
明治元年神社改正の際日谷社と改称せられる。
同5年郷社に列す。
同6年日谷神社と更めらる。
倉稲魂命以下の神は往古より当社の末社として村内各所に鎮座ありしを明治元年本社を合祭す。
明治40年12月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
大正3年6月
  山上村大字笠木字水谷鎮座無格社水谷神社(祭神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、大山祇命) 
  同村大字同字荒神脇鎮座無格社小雀神社(祭神 素盞鳴命、大日孁命) 
  同村大字同字土小笹鎮座無格社 山口神社(祭神 大山祇命、金山彦命、菅原道真) 
  同村大字同字南波道上鎮座無格社 大原神社(祭神素盞鳴命) 
  同村大字同字庄川鎮座無格社塩川神社(祭神 素盞鳴命) 
  同村大字同字釜田鎮座無格社鉄穴内神社(祭神 素盞鳴命) 
  同村大字福萬来字ヲキアミ鎮座無格社山口神社(祭神 大山祇命、稲背萩命、金山彦命) 
  同村大字同字宮ノ前鎮座無格社下多田神社(祭神 大白星 ) 
  同村大字同字見田平ル林 鎮座無格社 山口神社(大山祇命) 
  同村大字同字権現前鎮座無格社 山根田神社(祭神 国常立命、国狭土命、国常立命、国狭土命、豊斟渟命、
  泥土煮命、沙土煮命、大戸道命、大苫辺命、面足命、惶根命、伊弉諾命、伊弉冉神、大日孁命、
  正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天彦火瓊瓊杵命、彦火火出見命、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、大山祇命) 
  同村大字同字助市家ノ奥鎮座無格社 葉侶神社(祭神 木花開耶姫命、大山祇命) 
  同村大字同字山王﨏鎮座無格社二部神社(祭神 国主命、阿遇突智命、大山祇命) 
  同村大字同字寺廻リ鎮座無格社狩場神社(祭神 大山祇命) 
  同村大字茶屋字寺﨏鎮座無格社大戸神社(祭神 天八十萬日魂命) を合併す。

補足1:鳥取県神社誌より
例祭日  4月19日
建造物 本殿、拝殿(兼神楽殿、参籠所) 随神門
境内坪数 281坪  氏子戸数 185戸


補足2
楽々福大明神勧請の社


上阿毘緑(かみあびれ)神社
所在地
鳥取県日野郡日南町阿毘緑224番

社格  村社

祭神
闇山祇命
合祀=金山彦命、猿田彦命、大山祇命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年代不詳。
元々智明大権現と称せしを、明治元年神社改正の際、上阿毘縁社と改号せられる。
同5年村社に列せらる。
同6年上阿毘縁神社と改めらる。
金山彦命以下の神は往古より当社の摂社として村内に鎮座ありしを明治元年本社に合祭せらる。 

補足:鳥取県神社誌より
例祭日   11月6日
建造物   本殿、幣殿、拝所、神楽殿
境内坪数  1632坪
氏子戸数    89戸


下阿毘縁(しもあびれ)神社
所在地
鳥取県日野郡日南町阿角縁374番

社格  村社

祭神
誉田別命
大合祀=山祇命、猿田彦命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年代不詳
当社は元王子大権現と称せしを、明治元年神社改正の際、下阿毘縁社と改号せられる。
同5年村社に列す。
同6年下阿毘縁神社と改めらる。
大山祇命以下の神は当社の摂社として村内に鎮祭せしを明治元年本社に合祭す。

補足:鳥取県神社誌より
例祭日=10月30日
建造物=本殿、神楽殿、随神門
所境内坪数=300坪   氏子戸数=73戸


熊野神社
所在地
鳥取県日野郡日南町下阿毘縁2489番

社格  村社

祭神
伊弉冊命(いざなみのみこと)、速玉男命、倉稲魂命、金山彦命、大山祇命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年代詳ならず。
元熊野大権現と称せしを、明治元年神社改正の際熊野社と改号せられる。
同5年村社に列す。
同6年熊野神社と改められる。
口碑に拠れば昔時該神社は現今の社地より八九町、山奥の出雲国に境せる地に御墓と称する地ありて、此の地に伊弉冉命を祀りしを中古村民参拝の不便なるより今の地に移せし云ふ。
往古より当社の摂社にして村内に鎮座ありしを明治元年合祭せらる。

補足1:鳥取県神社誌より
例祭日  10月20日
建造物 本殿、拝殿、随神門
境内坪数=567坪   氏子戸数=29戸

補足2:伯耆志より
伯耆志曰く
当社出雲国能義郡比婆山熊野神社に同し。
彼社は延喜式に久米神社と見えたるを後世熊野に作れり(久米久麻音相通れり) 
蓋伊弉冉尊の葬地比婆山と古事記に見えたる如く、当社は同尊を祭れる事論なし。
然るに同国意宇郡熊野神社にもこの尊を祭れるに就いて、久米を熊野に改めたるに歟。
かくて当社比婆山熊野権現と同しきに就て按に、当村の地方出雲国に接して殊に比婆山にもほと遠からさるによりて、古事記に出雲興る伯耆境とある伊弉冉尊の葬地は此地ならんといへる一説なとありて、爰にも熊野神社を祭れるものにや、後世の勧請なる事は論なし。
今の社説に此社を正しく伊弉冉尊崩御の地なりといへるは強言なる上に傍示字オハカと云へる山を古く御墓山と唱へたるか、近年土民此の山脚を掘りて轡及び古銭の類を出せり、此事権現の神主内藤氏に告げるに、神主直ちに小祠を勧請し日輪山神社と号けたりとぞ(日輪は比婆の訓に常たるなり) 如此の誕妄近世家の邪癖なれば社説更に信すべからす但出雲接近の地なれば神代の事蹟に於ては猶よく考ふへき事にてはあるなり。
熊野大権現という。
口伝によるとお墓山にあったものを中古、参拝者のために現在地に移したという。

補足3
お墓山(大菅)
比婆山伝説の地(山)。758.3m。
島根県広瀬町比田と砺波の県境の山。
伊邪那美尊(いざなみみこと)が猿隠山で他界し、葬られた山といわれ、御陵でもある。
熊野神社の祭神でもある。
イザナミは、火の神「カグツチ」を生んでその炎の災いにより死んだとされ、古事記には「出雲の国と伯耆の国の境なる山に葬し、祀った」とある。
「伯耆誌」では、大菅村の記述中「当村が出雲に接し比婆山にも遠くないので葬地はここという一説であり、強言である」としている。
また、島根県口碑伝集や比田村史では「此の山が古事記にあるイザナミ終焉の地で、比婆山はこの御墓山である」と記述している。


山口神社
所在地
鳥取県日野郡日南町下阿毘縁2087番

社格  村社

祭神
大山祇命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年代不詳
元山神社と称せしを、明治元年神社改正の際山口社と改号せられる。
同5年村社に列せらる。
同6年山口神社と改めらる。

補足:鳥取県神社誌より
例祭日  10月5日
建造物 本殿、神楽殿
境内坪数 187坪   氏子戸数 22戸


稲荷神社
所在地
鳥取県日野郡日南町下阿毘縁1741番

社格


祭神
主祭神=倉稲魂命
合祀=金山彦命、大山祇命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年代不詳。
元稲荷大明神と称せしを、明治元年神社改正の際稲荷社と改号せられる。
同6年稲荷神社と改めらる。
金山彦命以下の神は村内にありしを明治元年当社に合祭せらる。

補足:鳥取県神社誌より
例祭日   11月8日
建造物   本殿、神楽殿
境内坪数  103坪   氏子戸数  53戸


三所神社 (旧茶屋郷大社三社大明神)
所在地
鳥取県日野郡日南町茶屋1346番
社格

祭神
大物主命、大年命、大国命、大山祇命、金山彦命、素盞鳴命、市杵島命、倉稲魂命、底津少童命、猿田彦命、細女命、菅原道真公

歴史
天平17年(766)大和国大神神社および大和神社の両神社より勧請。
永正13年(1517)の古棟札に尼子伊予守経久・領主亀井能登守秀綱とある。
亀井氏は、尼子一族で、弓ヶ浜合戦で戦死。
長女は山中鹿之助、次女は亀井茲矩に嫁ぐ。

補足




細屋神社
所在地
鳥取県日野郡日南町茶屋2541番

社格  村社

祭神
經津主命、武甕槌命、天児屋根命、軻隅槌命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年代不詳、旧二社大明神と称す。
明治元年神社改正の際細屋社と改号。
同5年村社に列し、同6年細屋神社と改めらる。
天児屋根命以下の神は当社の摂社なりしを明治元年本社に合祭せらる。
昭和6年1月16日神饌幣帛料供進神社に指定せらる

補足:鳥取県神社誌より
例祭日  4月15日
建造物 本殿、幣殿兼拝殿、神楽殿、随神門
境内坪数=446坪  氏子戸数=47戸


矢原神社
所在地
日野郡山上村大字茶屋

社格  村社

祭神
大物主命、大年命、大国玉命、大山祇命、金山彦命、素盞鳴命、市杵島命、倉稲魂命、底津少童命、猿田彦命、鈿女命、道眞

歴史:鳥取県神社誌より
天平17年乙酉9月29日、大和国大神及び大和の両神社より勧請せるものとして旧称を茶屋郷大社三社大明神と称せし。
明治元年神社改正の際矢原社と改号せられる。
同5年村社に列す。
同6年矢原神社と改称せらる。
往古より当社の摂社として村内各所に鎮座ありし神を明治元年本社に合祭せらる(境内末社十一、所属摂社十六) 
明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
大正3年6月
  山上村大字福壽実字宮ノ谷鎮座無格社小濁神社(祭神 素盞鳴命、大山祇命、市杵島命、倉稲魂命) 
  同村大字同字荒神ノ下モ鎮座無格社狩屋原神社(祭神 素盞鳴命) 
  同村大字同字カナヤ床鎮座無格社山口神社(祭神 大山祇命、金山彦命) 
  同村大字茶屋字壇ノ木鎮座無格社大内神社(祭神 猿田彦命、鈿女命、大山祇命) 
  同村大字佐木谷宮ノ前鎮座無格社赤木神社(祭神 底津少童命、大山祇命、金山彦命、倉稲魂命) 
末社摂社49社を合併す。

永正13年5月3日の古棟札あり、尼子伊予守経久、領主亀井能登守秀綱と記す。
亀井氏は尼子の一族にて当地より備後にかけ五万三千石を領す。
弓浜合戦の際戦死す。
其の長女は山中鹿之助の妻となり、次女は鹿之助の養女に嫁す石見大倉銀山を経営せしことありと云ふ。

補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、随神門
境内坪数=958坪   氏子戸数=140戸



神福・石見・神戸 周辺の神社
大石見神社
  所在地
鳥取県日野郡日南町上石見819番

社格


祭神


補足
大国主2度目の復活の地であり、再生復活のパワースポットとして紹介されています。
大名牟遅(大国主の命)は南部町の赤猪岩神社での復活の後、腹違いの兄・八十神の命の嫉妬が和らぐのを大倉山(大蔵山)の麓にて隠れ逃れたとも、また八十神の命に謀られ落命するが、母神の助けにより二度目の復活をしたとも言い伝えられます。


石見神社

所在地
鳥取県日野郡日南町下石見1329番

社格


祭神

歴史:鳥取県神社誌より


補足





福成神社

所在地
鳥取県日野郡日南町神戸上2317番

社格


祭神

歴史:鳥取県神社誌より
創建は不明。

補足:鳥取県神社誌より






福栄神社
  所在地
鳥取県日野郡日南町神福1247番

社格

主祭神 玉依姫命 媛蹈鞴五十鈴姫命(たたらいすずひめのみこと)
配祀   太田命 菅原道真  軻遇槌命 火魂命 伊弉諾命  大己貴命 御名方命 八上比賣命 御井命 少童命
            誉田別命 経津主命 市寸島姫命  湍津姫命 田霧姫命 専女命 句句逎知命
      天明玉命 大山祇命 素盞鳴命 正勝山祇命 高龗命 大日孁貴命 稚産靈命 倉稲魂命
      猿田彦命      伊田隆正霊 櫃田四朗三郎霊
  
歴史1:鳥取県神社誌より

歴史2
古くは田中大明神と呼ばれ、当時の郷内の9つの村の産土神として信仰を集めていた。
大正2年12月26日、近隣の神社を合併して、豊栄・神福・福塚の縁起の良い地名を持つ社地を妙見山麓に合祀して、今の名前に改称された。

補足:鳥取県神社誌より




参考史料
「鳥取県神社誌」 (澤田文精堂 1934)  
「日野郡誌」 (名著出版社 1926)   
「因伯叢書第4巻伯耆誌」 (名著出版社 1972)   
「神社辞典」 (東京堂出版 1997)  

「楽楽福神社由緒」 
Wikipedia 「神社一覧」


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日野郡 
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現代の市制
鳥取県ホームページ より引用
米子市(旧米子市、淀江町)

西伯郡
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日野郡
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令制下の旧国
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  式内社=6座  
    河村郡 2座(並小)  久米郡 2座(並小)  会見郡 2座(並小)

日野郡の郷=6
  1:葉侶(よころ・はろ)郷  2:野上郷  3:神戸(かんべ)郷
  4:阿太郷  5:武庫(むこ)郷  6:日野郷