B:加茂川流域にある神社 | |||||||||||||||
深浦神社 | |||||||||||||||
所在地 米子市祇園町一丁目83番 祭神 素戔嗚尊、菅原道真、久延毘古 歴史1:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より妙剱大明神と称へ崇敬せしを、明治元年神社改正の際目組神社と改称せらる。 合祭天満宮は摂社なりしを此の時合祀せらる。 昭和6年4月4日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 歴史2 明治5年に勝田神社の末社とされ、さらに大正5年に愛宕社と合祀され深浦神社となった。 補足1:鳥取県神社誌より 建造物=本殿、拝殿、透塀 境内坪数=287坪 氏子戸数=58戸 補足2 祇園社と、山の裏手の愛宕社のふたつの社から成る。 祇園社は京都の八坂神社を本社とする。 |
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愛宕神社 | |||||||||||||||
所在地 鳥取県米子市 |
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目組(めぐみ)神社 | |||||||||||||||
所在地 鳥取県米子市目久美町152番 社格 村社 祭神 素盞鳴尊、菅原道真、久延毘古 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳、往古より妙剱大明神と称へ崇敬せらる。 明治元年神社改正の際、目組神社と改称せらる。 合祭天満宮は摂社なりしを此の時合祀せらる。 昭和6年4月4日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物=本殿、拝殿、透塀 境内坪数=287坪 氏子戸数=58戸 |
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宗像(むなかた)神社 | |||||||||||||||
所在地 鳥取県米子市宗像298番 詳細は、「米子周辺の式内社」へ |
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阿陀萱(あだかや)神社 | |||||||||||||||
所在地 鳥取県米子市橋本623番 社格 村社 祭神 主祭神 阿陀加夜奴志多岐喜比売命(父神大国主命、母神八上姫命) 合祀 宗像大社祭神(市杵島姫命、田心姫命湍津姫命) 大山祗命、素戔鳴命、誉田別命、武内宿禰命、八ツ耳命(神武天皇の皇子) 宇迦之御魂命(稲荷大社祭神)” 歴史1:鳥取県神社誌より 多喜妓比売命は大己貴命の御子なり、母は八迦美姫命と申す、神代の昔出雲国直会の里にて誕生あり。 八迦美姫命因幡へ帰らんととて大己貴命と共に歩行し給ふ時に、御子多喜妓姫命を榎原郷橋本村の里榎の俣に指挟て長く置き給ひしときに、我は木俣神なりと申給ひて寶石山に鎮座し給へり、(郡家正南十二里八十歩、保荷神恵比原を開給ふ故、恵野喜原と云ひしを、神亀三年榎原の庄と改む正倉にあり。 )往古よりの大社にして延慶元戊申年京都北野に王城建築の時、三公家の内東家関白公勅使たり、長く伯伎国へ逗留の内社児司となり神領数多ありしが、後百四十二石となり(御図帳に神田が谷と号す)。 天文元年壬辰尼子伊予守経久より八幡宮と両社へ七十二石寄附ありて永く祭祀の式厳重なり。 其後文禄元年秀吉高麗陣の時諸国高知行の神々を勧請し、日本勝利の記念を仰られし時に、社司山川剣撿校十三にして父に離れ御供致さず神領差出せしが、慶長六年辛丑七月五日米子城主吉川氏御供田高三石一斗九升二合寄附あり。 然るに山川相馬火災に逢ひ、吉川氏寄附の証今に焼残りあれど神領地敷等寛永十一年甲戌年堤になり後替地なし。 多記理毘売、市寸島比売、多岐都比売命三神は人皇四十七代淳仁天皇の御宇、天平寶字六年壬寅九月十五日安芸国市杵島神社より勧請す。 産石神は神代の昔寶石天降り一夜の中に出現せし故此山を寶石山と称す、此の石社伝秘訣有り、異名石似て側に小社を建て産石神社と崇敬せしを、明治元年神社改正の際合祀す。 明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 大正5年12月 成実村大字橋本字漆原鎮座無格社漆原神社(祭神 誉田別尊、武内宿禰命、妙美井命、大田神、倉稲魂神、大宮女神) 同村大字古市字宮ノ谷山鎮座無格社古市神社(祭神 八ツ耳命、大山祇命) 同村大字吉谷字ハデ場鎮座無格社中島神社(祭神 建速須佐之男尊) 尚徳村大字榎原字方鎮座無格社大谷神社(祭神 素盞鳴尊)を合併す。 歴史2:米子の民話散歩道より 神代の昔、宝石天降り一夜の中に(石が)出現せしゆえ、この山を宝石山と称す。 この石社伝秘訣あり。 異名石にて側に小社を建て、産石神社と崇敬した。 この石を産石神と崇めたことからわかるように、安産祈願の石として拝まれてきた。 なぜ産石といわれるようになったのかは、「社伝秘訣」で語られていませんが、ある人は大国主命伝説にあると説かれます。大国主命は、兄神たちに妨害されながらも美女八上姫を得ましたが、八上姫は大国主の正妻スセリ姫のしっとにいたたまれず、娘阿陀萱奴志喜岐姫を連れて、因幡に帰ることになりました。 帰路、橋本を通られた時、娘の姫が榎の枝に手の指を挟まれて抜けなくなりました。 そこで娘の姫は「私はこの地で住むから、お母さんは因幡に帰って」といわれました。 その娘姫の住居が阿陀萱神社で、この阿陀萱姫はまことに安産で生まれられたので、それでこの石を産石というのだ。 補足:鳥取県神社誌より 境内坪数=1595坪 氏子戸数=180戸 |
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奈喜良神社 | |||||||||||||||
所在地 米子市奈喜良356番 社格 祭神 大国主命、天照大御神 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳。 往古より国主大明神と称へ青木神社の摂社たり。 明治元年今の社号に改めらる。 天照大御神は摂社の神なりしを明治元年神社改正の際元年合祀せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、幣殿、拝殿 境内坪数=180坪 崇敬戸数=28戸 |
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熊野神社 | |||||||||||||||
所在地 社格 祭神 歴史:鳥取県神社誌より 補足:鳥取県神社誌より |
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御崎神社 (吉谷) | |||||||||||||||
所在地 鳥取県米子市吉谷 社格 祭神 天照大御神 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳。 往古より青木神社の摂社にして御崎大明神と称せしを、明治元年神社改正の際御崎神社と改めらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿 境内坪数=28坪 崇敬戸数=45戸 |
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白山神社 | |||||||||||||||
所在地 米子市新山468番 社格 祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理媛尊、大山祇尊、菅原道真、木花開耶姫命、天照皇大神、速佐須良姫命 歴史:鳥取県神社誌より 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、弊殿、拝殿、神楽殿、随神門 境内坪数=427坪 崇敬戸数=62戸 |
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参考史料 | |||||||||||||||
「日本の神々 神社と聖地 第7巻 山陰」 (白水社 2007 谷川健一 坂田友宏 川上迪彦他) 「鳥取県神社誌」 (澤田文精堂 1934) 「日野郡誌」 (名著出版社 1926) 「因伯叢書第4巻伯耆誌」 (名著出版社 1972) 「神社辞典」 (東京堂出版 1997) Wikipedia 「神社一覧」 |
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2:米子周辺の神社-B:加茂川流域の神社 | ||
1:米子周辺の式内社 2:米子市周辺の神社 A米子市中心部、B加茂川流域、C法勝寺川流域、D日野川下流域 E佐陀川上流域 F淀江町周辺(佐陀川下流域 宇田川流域 天井川流域)・西伯郡日吉津村、G弓浜半島 3:境港市の神社 |
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現代の市制 | ||
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米子市(旧米子市、淀江町、西伯郡日吉津村) 境港市 西伯郡 南部町(旧会見町、西伯町) 伯耆町(旧溝口町、岸本町) 大山町(旧大山町、名和町、中山町) 日野郡 江府町 日野町 日南町 |
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令制下の旧国 | ||
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伯耆国-河村郡、久世郡、八橋郡、会見郡、入汗(あせり)郡、日野郡 式内社=6座 河村郡 2座(並小) 久米郡 2座(並小) 会見郡 2座(並小) |
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古来より日本人は、故郷の神社を移り住んだその土地に勧請し祀ってきた。 従ってその地域の神社を調査することで、その地域の人々の故地を推測する事が出来る可能性もある。 同時に、その御祭神の調査で、同族関係も検証できるものと思われる。 |