成務天皇 | |
概要 | |
諡号 『古事記』での呼称 若帯日子天皇(わかたらしひこのすめらのみこと 『日本書紀』での呼称 稚足彦尊(わかたらしひこのみこと) 即位 即位年=131年2月19日-190年7月30日(書紀より) 皇居=志賀高穴穂宮・・・・現在の滋賀県大津市穴太 崩御 崩御=190年7月30日。 陵墓=『延喜式』諸陵寮によれば、狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけしりのみささぎ)に葬られた。 『日本書紀』に「狭城盾列陵」、『古事記』に「沙紀の多他那美(たたなみ)」とある。 現在、同陵は奈良県奈良市山陵町の佐紀石塚山古墳(前方後円墳・全長218m)に比定される。 祭神として祭る神社 |
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系譜 | |
父=景行天皇 母=八坂入媛命(やさかのいりびめのみこと)-父は八坂入彦命(崇神天皇の皇子)で、母は未詳。 妃1=弟財郎女(おとたからのいらつめ-穂積臣の祖・建忍山垂根の女 皇子:和謌奴気王(わかぬけのみこ) 妃2=吉備郎姫(きびのいらつめ-稚倭根子皇子の女、天皇の姪。 兄弟姉妹=同母弟が5人、同母妹が5人、異母兄弟に日本武尊など68人いるとされる。 (うち名が伝わっているのは46人) |
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事績 | |
出生 景行14年(84年)- 成務天皇60年(190年) 景行51年(121年) 立太子 成務元年(131年) 正月 即位。 成務3年(133年) 月 武内宿禰を大臣とした。 成務5年(135年) 9月 諸国に令して、地方行政機構の整備を図った。 行政区画として国 郡(くにこおり)・県邑(あがたむら)を定めた。 それぞれに造長(くにのみやつこ)・稲置(いなぎ)等を任命した。 山河を隔にして国県を分かち、阡陌(南北東西の道)に随って邑里(むら)を定めた。 大国・小国の国造を定めたまひ、また国々の堺、また大県小県の県主を定めたまひき」とある。 『先代旧事本紀』の「国造本紀」に載せる国造の半数がその設置時期を成務朝と伝えられている。 成務48年(178年) 3月 甥の足仲彦尊(後の仲哀天皇)を皇太子に立てた。 成務60年(190年) 6月 崩御。107歳(古事記では95歳) |
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成務天皇に関する諸説 | |
非実在説 | |
皇居より 都は志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや、現在の滋賀県大津市穴太)。 『古事記』に「若帯日子天皇、近つ淡海の志賀の高穴穂宮に坐しまして、天の下治らしめしき」とある。 成務天皇を架空と見る立場からは、天智天皇の近江宮のモデルを過去に投影した創作とする。 |
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参考資料 | |
「新訂増補国史大系 日本書紀 前篇」 (吉川弘文館 2000 黒坂勝美) 「新訂増補国史大系 日本書紀 後編」 (吉川弘文館 2000 黒坂勝美) 「日本書紀 中巻」 (教育社 1992 山田宗睦訳) 「日本の歴史02-王権誕生」 (講談社 2000 寺沢 薫) 「清張通史② 空白の世紀」 (講談社文庫 1986 松本清張) ウキペディア「成務天皇」 |
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