総 記
原文 (一部改変、また、漢数字はアラビア数字に変換)
國の大體は、震(ひむがし)を首(はじめ)とし、坤(にしみなみ)を尾(おはり)とす。
東と南は山にして、西と北は海に屬(つ)けり。
東西137里19歩。
南北182里193歩。
一百歩
七十三里三十二歩
得而難可誤
老、枝葉を細思し、詞源を裁定す。
亦、山野濱浦(さんやひんぽ)の處(ところ)、鳥獣の棲(すみか)、魚貝海菜の類、良繁多(いとさは)にして、悉には陳(の)べず。
然(しか)はあれども止むことを獲ざるは、粗梗概(ほぼあらまし)を擧げて、記(ふみ)の趣を成しつ。
出雲と號(なづ)くる所以は、八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)詔(の)りたまひしく、「八雲立つ」と詔りたまひき。
故(かれ)、八雲立つ出雲と云ふ。
合はせて神社399所
184所神祇官に在り。 
215所神祇官に在らず。

9郡。郷62。里(こざと)181。餘戸(あまりべ)4。驛家(うまや)6。神戸7。里11。

意宇郡(おうのこほり)。郷11。里33。餘戸1。驛家3。神戸3。里6。
嶋根郡(しまねのこほり)。郷8。里24。餘戸1。驛家1。
秋鹿郡(あきかのこほり)。郷4。里12。神戸1。里(こざと)なり。
楯縫郡(たてぬひのこほり)。郷4。里12。餘戸一。神戸一。里なり。
出雲郡(いづものこほり)。郷八。里二十三。神戸一。里二。
神門郡(かむどのこほり)。郷八。里二十二。餘戸一。驛家二。神戸一。里なり。
石郡(いひしのこほり)郷七。里一十九。
仁多郡(にたのこほり)郷四。里一十二。
大原郡(おほはらのこほり)。郷八。里二十四。
右の件(くだり)の郷の字は、靈龜(りやうき)元年の式に依りて、里を改めて郷と為せり。
其の郷の名の字は、神龜三年の民部省の口宣(くぜん)を被(かがふ)りて之を改む。


各郡の条
1:意宇郡(おうのこほり)
郡総記 原文 (一部改変、また、漢数字はアラビア数字に変換)
合はせて郷(さと)11。里(こざと)33。餘戸(あまりべ)1。驛家(うまや)3。神戸(かむべ)3。里6

母理郷(もりのさと)     屋代郷(やしろのさと)    楯縫郷(たてぬひのさと)  安來郷(やすぎのさと) 
山國郷(やまくにのさと)  梨郷(いひなしのさと)  舎人郷(とねのさと)     大草郷(さくさのさと)
山代郷(やましろのさと)  拜志郷(はやしのさと)   宍道郷(ししぢのさと)

以上11、郷別に里3。
  餘戸里
  野城(ぬきの)驛家
  黒田驛家
  宍道驛家
  出雲神戸
  賀茂(かもの)神戸
  忌部(いむべの)神戸

意宇と號(なづ)くる所以は、
國引き坐(ま)しし八束水臣津野命、詔(の)りたまひしく、「八雲立つ出雲の國は、狹布(さぬの)の稚國(わかくに)なるかも。
初國小さく作らせり。
故、「作り縫はな」と詔りたまひて、「栲衾志羅紀(たくぶすましらき)の三埼を、國の餘ありやと見れば、國の餘あり。」と詔りたまひて、童女(をとめ)の胸鋤(むねすき)取らして、大魚(おふを)の支太(きだ)衝き別けて、波多須々支穂(はたすすきほ)振り別けて、三身(みつより)の網打ち挂(か)けて、霜黒葛闇耶闇耶(しもつづらくるやくるや)に、河船(かわふね)の毛曾呂毛曾呂(もそろもそろ)に、「國來(くにこ)、國來」と引き來縫へる國は、去豆(こづ)の折絶(たえ)よりして、八穂米支豆支(やほしねきづき)の御埼なり。
かくて堅め立てし加志(かし)は、石見國と出雲國との堺なる、名は佐比賣(さひめ)山、是なり。
亦、持ち引ける網は、薗の長濱、是なり。
亦、「北門(きたど)の佐伎(さき)の國を、國の餘ありやと見れば、國の餘あり。」と詔りたまひて、童女の胸鋤取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別けて、三身の網打ち挂けて、霜黒葛闇耶闇耶に、河船の毛曾呂毛曾呂に、「國來、國來」と引き來縫へる國は、多久(たく)の折絶よりして、狹田(さだ)の國、是なり。
亦、「北門の良波(よなみ)の國を、國の餘ありやと見れば、國の餘あり」と詔りたまひて、童女の胸鋤取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別けて、三身の網打ち挂けて、霜黒葛闇耶闇耶に、河船の毛曾呂毛曾呂に、「國來、國來」と引き來縫へる國は、宇波(うなみ)の折絶よりして、闇見(くらみ)の國、是なり。
亦、「高志(こし)の都都(つづ)の三埼を、國の餘ありやと見れば、國の餘あり」と詔りたまひて、童女の胸鋤取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別けて、三身の網打ち挂けて、霜黒葛闇耶闇耶に、河船の毛曾呂毛曾呂に、「國來、國來」と引き來縫へる國は、三穂(みほ)の埼なり。
持ち引ける綱は、夜見嶋(よみのしま)なり。
固堅(かた)めて立てし加志(かし)は、伯耆國(ははきのくに)なる火神岳(ひのかみのたけ)、是なり。
「今は國引き訖(を)えつ」と詔りたまひて、意宇杜(おうのもり)に御杖衝き立てて、「意惠(おゑ)」と詔りたまひき。
故、意宇と云ふ。
謂はゆる意宇杜は、郡家の東北の邊(ほとり)、田の中にある塾(こやま)、是なり。
周(めぐり)八歩許り、其の上に木ありて茂れり。

母理郷(もりのさと)。
郡家の東南三十九里一百九十歩なり。
所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)大穴持命(おほなもちのみこと)、越(こし)の八口(やくち)を平(ことむ)け賜ひて還(かへ)り坐(ま)しし時、長江山に來坐して詔りたまひしく、「我(あ)が造り坐して命(うしは)く國は、皇御孫命(すめみまのみこと)、平世(やすくに)と知らせと依(よ)さし奉り、但、八雲立つ出雲國は、我が靜まり坐さむ國と、青垣山廻らし賜ひて、玉と珍(め)で直し賜ひて、守(も)りまさむ」と詔りたまひき。
故、文理(もり)と云ふ。
神龜三年に、宇を母理と改む。

屋代郷(やしろのさと)
郡家の正東三十九里一百二十歩なり。
天乃夫比命(あめのほひのみこと)の御伴(みとも)に天降(あも)り來ましし、社印支(やしろのいなぎ)等が遠神(とほつかみ)、天津子命(あまつこのみこと)詔りたまひしく、「吾が浄(きよ)まはり坐さむと志(おもほ)す社」と詔りたまひき。
故、社(やしろ)と云ふ。神龜三年に字を屋代と改む。

楯縫郷(たてぬひのさと)。
郡家の東北二十七里一百八十歩なり。
布都怒志命(ふつぬしのみこと)、天石楯(あめのいはだて)縫ひ直し給ひき。
故、楯縫と云ふ。

安來郷(やすぎのさと)
郡家の東北二十七里一百八十歩なり。
神須佐乃袁命(かむすさのをのみこと)、天の壁(かき)立ち廻り坐しき。
爾(そ)の時、此處(ここ)に來坐(きま)して詔りたまひしく、「吾が御心は安平(やす)けく成りましぬ」と詔りたまひき。
故、安來と云ふ。

即ち北の海に比賣埼(ひめさき)あり。
飛鳥浄御原宮御宇天皇(あすかのきよみはらのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと)の御世、甲戌(きのえいぬ)の年七月十三日、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)が女子(むすめ)、件の埼に逍逢(あそ)びて、邂逅(たまさか)に和邇(わに)に遇ひ、賊(そこな)はえて切(かへ)らざりき。
爾の時、父猪麻呂、賊はえし女子を濱の上に歛(をさ)め置き、大(いた)く苦憤(いきどほ)りて天に號(おら)び地(つち)に踊り、行きては吟(な)き、居ては嘆き、晝夜辛苦(ひるよるたしな)みて、歛めし所を避(さ)ること無し。
是(か)く作(す)る間に數日(ひかず)を經歴たり。
然して後、慷慨(うれた)む志(こころ)を興して、箭(や)を磨(と)ぎ鋒(ほこ)を鋭(と)くし、便しき處を撰び居り、即ち拝み訴(うるた)へて云ひしく、「天神千五百萬(あまつかみちいほよろづ)、地祇千五百萬(くにつかみちいほよろづ)、並びに當國(このくに)に靜まり坐す三百九十社、乃海若等(またわたつみたち)、大神の和魂は靜まりまして、荒魂(あらみたま)は皆悉に猪麻呂が乞(の)む所に依りたまへ。
良(まこと)に神靈(みたま)し坐しさば、吾を傷(いたは)らしめ給へ。
此(ここ)を以ちて神靈の神たるを知らむ」といへり。
爾の時、須臾(しまし)ありて、和爾百餘(わにももあまり)、静かに一つの和爾を圍繞(かく)み、徐(おもぶる)に率依(ゐよ)り来て、居る下從(ところよ)り進まず退かず、猶圍繞めるのみなりき。
爾の時、鋒を擧げて、中央(まなか)なる一つの和爾を刃(さ)して殺し捕りき。
已に訖(を)へて、然して後に、百餘の和爾解散(あら)けき。殺(た)ち割けば、女子の一脛(はぎひとつ)を屠(ほふ)り出しき。
仍りて和爾をば殺ち割きて串に挂(か)け、路の垂(ほとり)に立てき。
安來郷の人、語臣與(かたりのおみあたふ)が父なり。
爾の時より以來、今日(いま)に至るまでに六十歳を經たり。

山國郷(やまくにのさと)、
郡家の東南三十二里二百三十歩なり。
布都怒志命(ふつぬしのみこと)、國廻り坐しし時、此處に來坐して詔りたまひしく、「是の土(くに)は、止(や)まなくに見が欲し」と詔りたまひき。
故、山國と云ふ。即ち正倉あり。

飯梨郷(いひなしのさと)。
郡家の東南三十二里なり。
大國魂命(おほくにたまのみこと)。
天降(あも)り坐しし時、此處に當りて御膳食(みけを)し給ひき。
故、飯梨と云ふ。神龜三年に、字を飯梨と改む

舎人郷(とねりのさと)。
郡家の正東(まひがし)26里なり。
志貴嶋宮御宇天皇(しきしまのみやにあめのしたしらししめしすめらみこと)の御世、倉舎人君等(くらのとねりのきみたち)が祖、日置臣志毘(へきのおみしび)、大舎人と供(つか)へ奉りき。即ち是れ志毘が居める所なり。故、舎人と云ふ。即ち正倉あり。

大草郷(さくさのさと)。
郡家の南西二里一百二十歩なり。
須佐乎命(すさのをのみこと)の御子、青幡佐久佐丁壮命(あをはたさくさひこのみこと)坐せり。
故、大草と云ふ。

山代郷(やましろのさと)。
郡家の西北三里一百二十歩なり。
所造天下大神大穴持命(あめのしたつくらししおほかみおほなもちのみこと)の御子、山代日子命(やましろひこのみこと)坐せり。
故、山代と云ふ。即ち正倉あり。

拜志郷(はやしのさと)。
郡家の正西(まにし)二十一里二百十一歩なり。
所造天下大神命、越(こし)の八口を平(ことむ)けむとして幸(いで)ましし時、此の處の樹林茂盛(はやししげ)れり。
爾の時詔りたまひしく、「吾が御心の波夜志(はやし)」と詔りたまひき。
故、林と云ふ。神龜三年に字を拜志と改む。即ち正倉あり。

宍道郷(ししぢのさと)。
郡家の正西三十七里なり。
所造天下大神命の追ひ給ひし猪(しし)の像(かた)、南の山に二つあり。
一つは長さ二丈七尺、周(めぐ)り五丈七尺。一つは長さ二丈五尺、周り四丈一尺。
猪を追ひし犬の像、長さ一丈、高さ四尺、周り一丈九尺。其の形石となりて、猪と犬とに異なることなし。
今に至りても猶あり。故、宍道と云ふ。

餘戸里(あまりべのさと)。
郡家の正東六里二百六十歩なり。神龜四年の編戸に依り、一里を立つ。
故、餘戸と云ふ。他の郡も、且(また)、之(かく)の如し。

野城驛(ぬきのうまや)。
郡家の正東二十八里八十歩なり。
野城大神(ぬきのおほかみ)の坐ししに依り、故、野城と云ふ。

黒田驛(くろだのうまや)。
郡家と同じ處なり。郡家の西北二里に黒田村あり。土體(つち)の色黒し。
故、黒田と云ふ。舊(もと)、此處に是の驛あり。即ち號(なづ)けて黒田驛と曰(い)ふ。
今は昔、郡に属けり。今猶舊の黒田の號を追へるのみ。

宍道驛(ししぢのうまや)。
郡家の南西二里三十八歩なり。名を説くこと郷の如し。

出雲神部(いづものかむべ)。
郡家の南西二里二十歩なり。
伊弉奈枳(いざなぎ)の麻奈子(まなご)に坐す熊野加武呂命(くまぬかむろのみこと)と、五百津鋤々(いほつすきすき)猶取らしに取らして所造天下大穴持命(あめのしたつくらししおほなもちのみこと)との、二所(ふたところ)の大神等に依さし奉る。故、神戸と云ふ。
他の郡等の神戸も、且(また)、之の如し。

賀茂神部(かものかむべ)。
郡家の東南三十四里なり。
所造天下大神命の御子、阿遅須枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)、葛城の賀茂社に坐す。此の神の神戸なり。
故、鴨と云ふ。神龜三年に、字を賀茂と改む。即ち正倉あり。

忌部神戸(いむべのかむべ)。

郡家の正西二十一里二百六十歩なり。
國造(くにのみやつこ)、神吉詞奏(かむよごとまを)しに、朝庭(みかど)に参向(まゐむか)ふ時の御沐(みそぎ)の忌玉(いみたま)作る。故、忌部と云ふ。
即ち川の邊(ほとり)に湯を出(いだ)す。
出湯の在る所は、海陸(うみくが)を兼ねたり。仍りて男も女も、老いたるも少(わか)きも、或(あ)るは道路(くがぢ)を駱驛(ゆきか)ひ、或るは海中を洲(はまべ)に沿ひ、日に集いて市を成し、繽紛燕楽(うちむれてうたげあそ)ぶ。一たび濯(すす)げば形容端正(かたちきらきら)しく、再び濯げば、萬病悉に徐(のぞ)こる。古(いにしへ)より今に至るまで、驗(しるし)を得ずといふことなし。故、俗人(くにびと)、神湯(かみのゆ)と曰(い)ふなり。

教昊寺(けうかうじ)。
舎人郷の中にあり。郡家の正東二十五里一百二十歩なり。
五層の搭を建立(た)つ。僧(ほふし)有り。教昊僧が造りし所なり。
散位(とね)大初位下上蝮首押猪(かみのたぢひのおびとおしゐ)が祖父(おほぢ)なり。

新造院(しんざうのゐん)一所。
山代郷の中にあり。
郡家の西北四里二百歩なり。嚴堂(ごんだう)を建立つ。
僧なし。日置君目烈(へきのきみめづら)が造りし所なり。出雲神戸の日置君(へきのきみ)鹿麻呂が祖(おや)なり。

新造院一所。
山代郷の中にあり。
郡家の西北二里なり。
嚴堂を建立つ。住める僧、一身(ひとり)有り。石郡(いひしのこほり)の少領(すけ)、出雲臣弟山(いづものおみをとやま)が造りし所なり。

新造院一所。
山國郷の中にあり。郡家の東南三十一里一百二十歩なり。三層の搭を建立つ。山國郷の人、日置部根緒(へきべのねを)が造りし所なり。
熊野大社(くまぬのおほやしろ) (熊野坐神社名神大) 夜麻佐社(やまさのやしろ) (山挟神社)
賣豆貴社(めつきのやしろ) (賣豆紀神社) 加豆比乃社(かつひののやしろ) (勝目神社)
由貴社(ゆきのやしろ) (由貴神社) 加豆比乃高社(かつひのたかのやしろ) 
(勝目高守神社)
都俾志呂社(つへしろのやしろ) (都辨志呂神社) 玉作湯神(たまつくりのゆのやしろ) (玉作湯神社)
野城社(ぬきのやしろ) (野城神社) 伊布夜社(いふやのやしろ) (揖屋神社)
支麻知社(きまちのやしろ) (來待神社) 夜麻佐社(やまさのやしろ) (同社坐久志美気濃神社)
野城社(ぬきのやしろ) (同社坐大穴持神社) 久多美社(くたみのやしろ) (久多彌神社)
佐久多社(さくたのやしろ) (佐久多神社) 多乃毛社(たのものやしろ) (田面神社)
須多社(すたのやしろ) (須田神社) 眞名井社(まなゐのやしろ) (真名井神社)
布辨社(ふべのやしろ) (布辨神社) 斯保彌社(しほみのやしろ) (志保美神社)
意陀支社(おだきのやしろ) (意多伎神社) 市原社(いちはらのやしろ) (市原神社)
久米社(くめのやしろ) (久米神) 布吾彌社(ふごみのやしろ) (布吾彌神社)
宍道社(ししぢのやしろ) (宍道神社) 野代社(ぬしろのやしろ) (野白神社)
賣布社(めふのやしろ) (賣布神社) 狹井社(さゐのやしろ) (佐為神社)
同狹井高社(おなじさゐのたかのやしろ) 
(佐為高守神社)
宇流布社(うるふのやしろ) (宇流布神)
伊布夜社(いふやのやしろ) (同社坐韓伊太氏神社) 由宇社(ゆふのやしろ) (同社坐韓伊太氏神社)
布自奈社(ふじなのやしろ) (布自奈神社) 同布自奈社(おなじふじなのやしろ) 
(布自奈大穴持神社)
野代社(ぬしろのやしろ) (同社坐大穴持御子神社) 佐久多社(さくたのやしろ) (同社坐韓伊太氏神社)
意陀支社(おだきのやしろ) (同社坐御譯神社) 前社(さきのやしろ) (前神社)
田中社(たなかのやしろ) (田中神社) 詔門社(のりとのやしろ) (能利刀神社)
楯井社(たてゐのやしろ) (楯井神社) 速玉社(はやたまのやしろ) (速玉神社)
石坂社(いはさかのやしろ) (磐坂神社) 佐久佐社(さくさのやしろ) (佐久佐神社)
多加比社(たかひのやしろ) (鷹日神社) 山代社(やましろのやしろ) (山代神社)
調屋社(つきやのやしろ) (筑陽神社) 同社(おなじのやしろ) 
(同社坐波夜都武自和気神社)

以上四十八所は、並びに神祇官にあり。

宇由比社(うゆひのやしろ) 支布佐社(きふさのやしろ)
毛彌乃社(もみのやしろ) 那富乃夜社(なほのやのやしろ)
支布佐社(きふさのやしろ) 國原社(くにはらのやしろ)
田村社(たむらのやしろ) 市穂社(いちほのやしろ)
同市穂社(おなじいちほのやしろ) 伊布夜社(いふやのやしろ)
阿太加夜社(あだかやのやしろ) 須多下社(すたしものやしろ)
河原社(かはらのやしろ) 布宇社(ふうのやしろ)
末那為社(まなゐのやしろ) 加和羅社(かわらのやしろ)
笠柄社(かさがらのやしろ) 志多備社(したびのやしろ)
食師社(みけしのやしろ)

以上一十九所は、並びに神祇官にあらず。

長江山。
郡家の東南五十里なり。水精(すゐしゃう)あり。

暑垣(あつがき)山。
郡家の正東二十里八十歩なり。烽(とぶひ)あり。

高野(たかぬ)山。
郡家の正東19里なり。

熊野(くまぬ)山。
郡家の正南18里なり。檜(ひ)・檀(まゆみ)あり。謂(い)はゆる熊野大神の社坐す。

久多美(くたみ)山。
郡家の西南23里なり。社あり。

玉作山。
郡家の西南22里なり。社あり。

神名樋野(かむなびぬ)。
郡家の西北三里一百二十九歩なり。
高さ八十丈、周(めぐ)り6里32歩あり。東に松あり、三方は並びに茅(ち)あり。


意宇郡の概要
構成
11郷・1余部・3駅家・3神戸からなる。11の郷にはそれぞれ3つの里があった。

郡気
 所在地

   山代郷(やましろのさと) 意宇平野中央 国庁に隣接(松江市大草町)
 郡の役人
   6人
 
正倉(租税として米を収める倉)
・・・5箇所
 
新造院(仏教寺院)・・・4ヶ所
 
神社・・・67ヶ所
  筆頭社:熊野大社・玉作湯社・野城社・伊布夜社・宍道(ししじ)社等。

地名の由来
「八束水臣津野命(やつかみずつぬのみこと)」が国引きを終えた際に「国引きを意恵(「おえ」、終わるの意味)」と言ったことから「意恵郡」のち「意宇郡」と呼ぶようになった、と伝えられている


意宇郡の郷
母理郷
  文理郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の安来市伯太町の北部を除いた地域。
屋代郷
  現在の安来市伯太町安田山形、吉佐町、門生町辺り。
楯縫郷
  現在の安来市宇賀荘町、清瀬町、清井町、九重町、清水町、早田町辺り。
安来郷
  現在の安来市安来町、宮内町、南十神町、黒井田町、島田町辺り。
山國郷
  現在の安来市上吉田町、下吉田町、鳥木町、柿谷町、折坂町、沢町辺り。
飯梨郷
  飯成郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の安来市飯梨町、利弘町、飯生町、実松町辺りと広瀬町のほぼ全域。
舎人郷
  現在の安来市中心部辺り。
大草郷
  現在の松江市大庭町、佐草町、日吉町辺り。
山代郷
  現在の松江市南東部辺り。
拝志郷
  林郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の松江市玉湯町林、大谷、宍道町上来待辺り。
宍道郷
  現在の松江市宍道町の大部分。
餘戸里
  現在の八束郡東出雲町の大半。

野城驛  黒田驛  宍道驛

出雲神戸
  現在の松江市八雲町辺り。
賀茂神戸
  現在の安来市中央付近。
忌部神戸
  現在の松江市玉湯町の大部分。


意宇郡条冒頭の「国引き神話」
国引き神話とは
意宇郡の最初の部分に書かれている、出雲国に伝わる神話の一つ。
『古事記』や『日本書紀』には記載されていない。
郡名の由来に結び付けられている。

国引き神話の大意
八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は、出雲の国は狭い若国(未完成の国)であるので、他の国の余った土地を引っ張ってきて広く継ぎ足そうとした。
そして、佐比売山(三瓶山)と火神岳(大山)に綱をかけ、以下のように「国来国来(くにこ くにこ)」と国を引き、できた土地が現在の島根半島であるという。
国を引いた綱はそれぞれ薗の長浜(稲佐の浜)と弓浜半島になった。
そして、国引きを終えた八束水臣津野命が叫び声とともに大地に杖を突き刺すと木が繁茂し「意宇の杜(おうのもり)」になったという。

引かれて来た国について
  新羅の岬→去豆の折絶から八穂爾支豆支の御埼(やほにきづきのみさき。杵築崎)
  北門(きたど)の佐伎(さき)の国→多久の折絶から狭田(さだ)の国
  北門の良波(よなみ)の国→宇波の折絶から闇見(くらみ)の国
  越国の都都(珠洲)の岬→三穂埼


安来郷のスサノオの地名説話
「爾(そ)の時、此處(ここ)に來坐(きま)して詔りたまひしく、「吾が御心は安平(やす)けく成りましぬ」と詔りたまひき。
故、安來と云ふ。」

スサノオノミコトがこの地方を歩かれた時、「吾が御心は安来(やす)けくなりぬ」と云われたところから、安来と言うようになったと伝えられる。


安来郷の「毘売埼伝承」
伝承内容
安来郷のスサノオの地名説話に続けて記載されている。
天武天皇二年秋(674年)七月十三日、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が毘売崎(ひめさき)に遊びにでると、たまたま和邇(わに←鮫のことです)に遭い、殺されてしまった。
父・猪麻呂は死んだ娘を岬に葬り、大声にいきどおり、天に号び地に踊り、行きては泣き居ては嘆き、昼夜哀しみ苦しんで墓のそばから離れては行けなかった。

それから猪麻呂は深く怒って箭(や)を磨き鋒(ほこ)を鋭(と)くし、天の神千五百万(ちいほよろず)、地の神千五百万、ならびに当国出雲の神々三百九十九、海の神々に拝み、娘のあだを討たせ給えと祈りつづけた。

やがて百あまりの和邇が静かに一匹の仲間を囲んで浜辺に近づき猪麻呂の前にきてじっと動かなくなった。猪麻呂は歩みよって鋒を挙げ、仲間に囲まれた和邇を殺した。和邇たちは音もなく四方に散って姿を海の底に隠した。

猪麻呂が死んだ和邇の腹を割くと女の子の片脚が現われた。猪麻呂は和邇を五つ八つに割き、串に掛けて路傍にさらした。

補足:
毘売塚(ひめつか)古墳
安来駅の裏にある猪麻呂の娘が埋葬されているという古墳。

月の輪神事
和邇を退治した後、村人達は娘の霊を慰めるため、和邇を殺した鉾型の武器「月の輪」を作り、毎年8月14日から4日間、昼夜を問わず毘売塚山の麓、浜垣という所で集い、かがり火を焚いて飲食をし歌舞音曲を奏して慰霊祭が行われていた。
これは現在でも毎年続いている

2:嶋根郡(しまねのこほり)
嶋根郡の概要
位置・構成
8郷・1余戸・1駅家からなる。
島根半島の東部に位置し、『国引き神話』によれば能登半島から引いた土地になる。
 
郡家
  所在地

    山口郷(松江市福原町芝原遺蹟)
  郡の役人
    4人

正倉・・・一箇所
神社・・・59カ所

地名の由来
  国引き神話の八束水臣津野命(やつかみずおみつの)が発した言葉による命名としている。


嶋根郡の郷
朝酌郷
  松江市朝酌町、福富町、大井町、大海崎町、西尾町辺り
山口郷
  松江市上東川津町、下東川津町、西川津町、川原町辺り
手染郷
  松江市手角町、長海町、野原町、本庄町、新庄町、上宇部尾町、美保関町下宇部尾辺り
美保郷
  松江市美保関町美保関、福浦、雲津、諸喰、森山辺り
方結郷
  松江市美保関町片江、七類、菅浦、北浦辺り
加賀郷
  松江市島根町加賀、大芦、鹿島町御津辺り
生馬郷
  松江市東生馬町、西生馬町、薦津町、浜佐田町、上佐陀町、下佐陀町辺り
法吉郷
  松江市法吉町、春日町、末次町、中原町、奥谷町、菅田町辺り
餘戸里
  松江市鹿島町北講武、南講武辺り
千酌驛家
  松江市美保関町千酌辺り


3:秋鹿郡(あきかのこほり)
秋鹿郡の概要
位置・構成
4つの郷の内にそれぞれ3つの里があった。
合計12の里があり、それとは別に神戸里があったと記されている

郡家
多太郷にあった。

地名の由来
郡の名前はこの地にかつて秋鹿日女命(あいかひめのみこと)が住んでいたことに因むという。


秋鹿郡の郷
惠曇郷
  惠伴郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の松江市鹿島町恵曇、古浦、武代、佐陀本郷辺り。
多太郷
  現在の松江市岡本町、秋鹿町、西長江町、東長江町、古曽志町の一部辺り。
大野郷
  現在の松江市大野町、岡本町、大垣町、上大野町、魚瀬町辺り。
伊農郷
  伊努郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の出雲市美野町、野郷町、地合町辺り。
神戸里
  現在の松江市鹿島町佐陀宮内、名分、松江市古志町の北側辺り。



4:楯縫郡
楯縫郡の概要
位置・構成
島根半島の中央部から西寄りに位置していた。
4つの郷の内にそれぞれ3つの里があった。合計12の里があったとされる。

郡家
楯縫郷にあった。

地名の由来
郡名はこの地で杵築大社の神事道具として楯を造り始めたことに因むとしている。
一方、古代日本語で「段丘上の平地」や「高地の端にある崖」を指すという説もある。


楯縫郡の郷
佐香郷
  現在の出雲市小境町、鹿園寺町、園町、坂浦町、美野町辺り。
楯縫郷
  現在の出雲市多久町、多久谷町、小伊津町、三津町、上岡田町、岡田町辺り。
玖潭郷
  忽美郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の出雲市久多見町、東福町、東郷町辺り。
沼田郷
  努多郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の出雲市本庄町、万田町、西郷町、西平田町の一部、平田町の一部、口宇賀町の一部辺り。
餘戸里
  現在の出雲市十六島町、小津町、釜浦町辺りと考えられる。
神戸里
  現在の出雲市塩津町、美保町、野石谷町辺りと考えられる。


5:出雲郡(いづものこほり)
出雲郡の概要
位置・構成
現在の簸川郡斐川町の領域に相当する。
8の郷の内に23の里(神戸郷は除く)があったとされる。

郡家
出雲郷にあった。

地名の由来
出雲国と同様の由来の命名とされる。また出雲郷も同様とされる。


出雲郡の郷
健部郷
  宇夜里から改名したとされる。
  波如里と他2里があった。
  現在の斐川町学頭、神庭、三絡、松江市宍道町伊志見辺り。
漆治郷
  志司治郷から神亀3年(726年)に改名した。
  深江里、工田里、犬上里があった。
  現在の斐川町上直江、直江町辺り。
河内郷
  伊美里、大麻里と他1里があった。
  現在の斐川町出西、阿宮、出雲市船津町、上島町、雲南市加茂町大竹辺り。
出雲郷
  3つの里があった(里名は不明)。
  現在の斐川町出西、神氷、求院、富村辺り。
杵築郷
  評里制の時は支豆支里であったと考えられる。
  その後寸付郷から神亀3年(726年)に改名した。
  因佐里と他2里があった。
  現在の出雲市大社町辺り。
伊努郷
  伊農郷から神亀3年(726年)に改名した。
  3の里があった(里名は不明)。
  現在の出雲市東林木町、西林木町、日下町、矢尾町辺り。
美談郷
  三太三郷から神亀3年(726年)に改名した。
  3の里があった(里名は不明)。
  現在の出雲市国富町、美談町、斐川町原鹿と今在家の一部辺り。
宇賀郷
  2の里があった(里名は不明)。
  現在の出雲市国富町の北側、口宇賀町、奥宇賀町、河下町、猪目町、別所町、唐川町辺り。
神戸郷
  2の里があった(里名は不明)。
  現在の斐川町今在家、鳥井、名島辺り。


6:神門郡
神門の概要
位置・構成
島根半島の西側の付け根に位置していた。現在ではほぼ全域が出雲市(一部は大田市)に属している。
8の郷と22の里があったとされる。

郡家
郡家は古志郷にあった。

地名の由来
伊加曾然(いかそね)という者がこの地に神門を奉ったことにより神門臣の姓を賜り、その神門臣が定住したのでその地を「神門」と呼ぶようになったとされる。


神門郡の郷
朝山郷
  稗原里、加夜里の2里があった。
  現在の出雲市宇那手町、朝山町、馬木町、馬木北町、稗原町、野尻町辺り。
日置郷
  荏原里、桑市里、細田里の3里があった。
  現在の出雲市上塩冶町辺り。
鹽冶郷
  3里あった(里名は不明)。
  現在の出雲市今市町、大津町、武志町、高岡町辺り。
八野郷
  3里あった(里名は不明)。
  現在の出雲市矢野町、小山町、白枝町、高松町辺り。
高岸郷
  3里あった(里名は不明)。
  現在の出雲市塩冶町、塩冶有原町、渡橋町、今市町辺り。
古志郷
  3里あった(里名は不明)。
  現在の出雲市知井宮町、古志町、下古志町、芦渡町、塩冶町南側、天神町南側辺り。
滑狭郷
  阿禰里、池井里の2里があった。
  現在の出雲市知井宮町、東神西町、西神西町、平成町および湖陵町二部、三部、常楽寺、畑村辺り。
多伎郷
  国村里、山田里の2里があったとされ、もう1里の名は不明。
  現在の出雲市多伎町、湖陵町差海辺り。
餘戸里
  現在の出雲市乙立町、佐田町一窪田、高津屋、上橋波、下橋波、吉野、佐津目および大田市山口町辺り。
狭結驛
  古志郷にあった。
多伎驛
  多伎郷にあった。
神戸里
  現在の出雲市所原町辺り。

7:飯石郡
飯石の概要
位置・構成
7つの郷の内に19の里があったと記され、波多郷と来嶋郷にはそれぞれ2つの里が、他の5つの郷にはそれぞれ3つの里があった。

郡家
郡家は多禰郷にあった

地名の由来
伊毘志都幣命(いひしつべのみこと)という神がこの地に鎮座していたことに因むという。


飯石郡の郷
熊谷郷
  現在の雲南市三刀屋町上熊谷、下熊谷、木次町上熊谷、下熊谷辺り。
三屋郷
  三刀矢郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の雲南市三刀屋町三刀屋、伊萱、給下、古城、高窪、里房、殿河内、粟谷、根波別所辺り。
飯石郷
  伊鼻志郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の雲南市三刀屋町多久和、神代、中野、六重、吉田町川手、深野、曽木辺り。
多禰郷
  種郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の雲南市三刀屋町乙加宮、坂本、須所、掛合町多根、松笠、掛合、入間、吉田町吉田辺り。
須佐郷
  現在の出雲市佐田町須佐、反辺、原田、大呂、大川、雲南市掛合町穴見辺り。
波多郷
  現在の雲南市掛合町波多、飯石郡飯南町志津見、八神、角井、獅子、長谷辺り。
来嶋郷
  現在の飯石郡飯南町頓原、上来島、下来島、佐見、野萱、真木、赤名、上赤名、下赤名辺り。


8:仁多郡
仁多郡の概要
位置・構成
4つの郷の内に12の里があったと記されている。

郡家
郡家は三處郷にあった。

地名の由来
「豊かな土地」という意味の「仁以多地(にたしきち)」と呼ばれたところから名付けられたと言われている
また、「にた」の「丹(に)」がこの地方特有の赤土を意味するとの説もある。


仁多郡の郷
三處郷
  現在の奥出雲町上三所、三所、郡、高田、亀嵩、安来市広瀬町西比田辺り。
布勢郷
  現在の奥出雲町八代、佐白、馬馳、雲南市木次町北原辺り。
三澤郷
  現在の奥出雲町、雲南市木次町湯村、平田辺り。
横田郷
  現在の奥出雲町横田、大呂、中村、竹崎、稲原、下横田、八川辺り。


恋山(したいやま)
現在の鬼の舌震にあたる。
和爾が阿井村の玉日女命を慕って川を遡上したが、玉日女命は嫌がって岩で川を塞いでしまった。


9:大原郡
大原郡の概要
位置・構成
8つの郷があったとされ、にはそれぞれに3つの里があった。

郡家
郡家は当初屋裏郷にあったが、後に斐伊郷に移転した。

地名の由来
「開墾された広い土地」を意味する「大いなる原」より「大原」と命名されたと伝えられる。


大原郡の郷
神原郷
  現在の雲南市加茂町神原、宇治、南加茂、近松、立原辺り。
屋代郷
  矢代郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の雲南市加茂町延野、大竹、大崎、猪尾、岩倉、東谷、加茂中、新宮、砂子原辺り。
屋裏郷
  矢内郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の雲南市大東町仁和寺、幡屋、養賀、大東下分、大東、畑鵯、遠所、山田辺り。
佐世郷
  現在の雲南市大東町飯田、養賀、上佐世、下佐世、大ヶ谷辺り。
阿用郷
  阿欲郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の雲南市大東町西阿用、東阿用、上阿用、下阿用、岡村、川井、清田辺り。
海潮郷
  得鹽郷から神亀3年(726年)に改名した。
  現在の雲南市大東町田中、新庄、山王寺、須賀、薦沢、南村、小河内、刈畑、塩田、北村、中湯石、辺り。
来次郷
現在の雲南市木次町木次、新市、寺領、宇谷、西日登、東日登、大東町上久野、下久野辺り。


阿用郷の伝承
ある男が畑仕事をしていると突然目一つの鬼が現れて食われてしまった。その時彼の両親は竹薮の中に身を隠していた。男は「動動(あよあよ)」と叫んだ。



加賀神埼(かかのかんざき)
現在の加賀の潜戸にあたる。
ここで枳佐加比売命が佐太大神を産む時に弓矢をなくした。
この時「生まれてくる子が麻須羅神の子ならば、なくなった弓矢よ出てこい」とうけいをした。
すると弓矢が出てきたが、「これは違う」と言ってやり直した。
再び出てきた弓矢を枳佐加比売命が手に取り、岩屋を射通した。
いわゆる丹塗り矢型神話の変形といえる。


参考資料
「出雲国風土記」(講談社学術文庫1999萩原千鶴)) 
「出雲国風土記と古代遺跡」(山川出版 2002)


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出雲国風土記−B(内容)
 1:総記     国の大まかな地勢、編集方針、国名由来、神社や郡、郷、里などの統計

 2:各郡の条  出雲9郡に関する統計、郡名由来、伝承、地勢、神社、産物など
              意宇・島根・秋鹿・楯縫・出雲・神門・飯石・仁多・大原  
 
 3:巻末条   主要道路の順路と路程、軍制など


『出雲国風土記と古代遺跡』 勝部 昭  山川出版 2005  p49より引用