米子平野を取り囲む山々
米子平野は、概ね以下の山々に取り囲まれている。
   西側 : 行者山、ドウド山、要害山、母塚山、メイゲ平山
   南側 : 手間要害山、峰山、越敷山
   東側 : 壺瓶山、孝霊山、鍋山、鈑戸山
   南東 : 大山およびその周囲の山々 
   
さらに平野の内部には微高地・台地が存在する々。
   長者原台地



大 山(だいせん)
大山と米子
現代に棲む私達にとっても大山の神秘的な美しさには畏敬の念を感じてしまう。
古代の人々にとってはまさしく「大神山」あるいは「火神岳」であったろう事とが納得させられる山である。



大山について
概要
大山とは一般的に主峰の剣ヶ峰~三鈷峰と外輪山の烏ヶ山・野田ヶ山・矢筈ヶ山・甲ヶ山・勝田ヶ山・船上山を総称しての名称である。
西の方角(特に鳥取県米子市方面)からみた山容が富士山に似ていることから伯耆富士(ほうきふじ)や出雲富士(いずもふじ)の名も持つ。
一方、北・南壁を見ると日本一の規模の溶岩ドームによって形成された荒々しいアルペン的景観でまるで違う山に見える。
一帯は大山隠岐国立公園に指定され、8合目以上には国の特別天然記念物ダイセンキャラボクの日本一の群生地、中腹には西日本一のブナの原生林がある。

地理
鳥取県の大山町・伯耆町・江府町・琴浦町・米子市・倉吉市・北栄町・岡山県真庭市にまたがる国内有数規模の成層複成火山。
大山の主峰は剣ヶ峰(けんがみね、1,729m)。
中国地方の最高峰であり、中国山地から離れた独立峰である。
山容は東西約40km、南北約35km、総体積120km2を越える。


大山の形成過程
形成過程
180万年前から50万年前にかけて噴火形成された巨大な成層火山である古期大山のカルデラ上に、5万年~1万年前にかけて成長した巨大な溶岩ドームである新期大山から成る。
裾野は広大で日本海に達している。
新期大山は過去数回にわたり破滅的な大噴火を起こしている。

5万年前に起きた噴火
大規模なプリニー式噴火で、大量の火山灰や軽石、火砕流を噴出した。
この時の火山灰は偏西風に乗って遠く福島県まで降り注いでおり、関東地方でも目立つ広域テフラとして大山倉吉軽石(DKP)と呼ばれ、地層の地質年代を特定する指標となっている。

2万年前の噴火
弥山、三鈷峰、烏ヶ山の3つの溶岩ドームが形成され、再び大量の火砕流が噴出した。

1万年前の噴火
最後の噴火は約1万年前で、有史以後の噴火記録は残されていないが、火山の一生は非常に長く、特に大山の長い活動史から考えると1万年程度の休止で完全に活動停止したと考えるのは妥当ではない。


大山とその歴史
大山は、出雲国風土記に伯耆の国の「大神岳」あるいは「火神岳」として記載されている。
そして、この「大神岳」は、別に「大神山」ともいわれ、この「大神山」の神が省略されて、平安時代には、「大山」になったといわれている。

旧石器・縄文・弥生時代
旧石器時代の終わりから縄文時代の初め、大山山麓に人々が住み始めた。
縄文人は、季節に合わせて狩りや漁、採集を行った。県内でも、狩りや漁の道具が発見されている。
縄文時代後期には、ラグーン(潟湖)周辺と河川の流域を中心に人々の生活範囲が急速に広がっていった。
遺跡は舄湖周辺に徐々に移動。
大山町門前第2遺跡では、22,000年前のナイフ形石器製作の跡が見つかっている。
大山山麓の標高100mほどの丘陵地を中心に、旧石器時代から縄文草創期の石器が見つかっている。
中尾遺跡、長谷遺跡淀江町原畑遺跡から石器遺物が出土。

古墳時代

飛鳥時代

奈良時代
718年 大山寺開山
養老年間717-724年)に山岳信仰の山として開かれたと言われている。

平安時代
1168年 大山騒動
大山衆徒が軍兵と合戦を行った。

鎌倉時代

南北朝・安土桃山時代
大山寺縁起成立
正中2年(1325年)-元徳元年(1330年)の間で、後述する縁起絵巻に先行して成立した。
作者は不詳だが、縁起内に大山寺中門院寄りの記述が見られることから中門院の関係者である可能性が高い。
写本の筆写時期は幕末と考えられており、原本は洞明院に詞書のみ伝えられている。
大山信仰に関する貴重な史料のひとつで上巻21話、下巻22話の全43話の説話が収録されている。

1398年 大山寺縁起絵巻成立(応永5年)、
作者は前豊前入道了阿(りょうあ)で全10巻で構成されている。

江戸時代
中村一忠によって寺領の一部が没収された
慶長15年(1610年)、西楽院の僧正豪円が幕府に働きかけたことにより大山寺領3000石が安堵された。

近代-現代
明治8年(1875年)廃仏毀釈により大山寺の号が廃された。
大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した。
これにより大山寺は急激に衰退した。

明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した。

昭和3年(1928年)には4度の火災に見舞われた。


大山に関する説話
国引き神話
大山に関する最も古い記述は『出雲国風土記』の国引き神話で、三瓶山と同様に縄を引っ掛けて島根半島を引き寄せたとある。
『出雲国風土記』中には「火神岳」(ほのかみだけ)と記されている。

背比べ説話
伯耆国の大山と因幡国の鷲峰山は「自分の方が背が高い」と長年にわたって争っていた。
ある時、そんなに言うなら背比べをしてみようということになり、お互いの頭に竹筒を渡して水を流すと、水はチョロチョロと大山の方に向かって下っていった。
背比べで負けた大山はおさまらず、ある夜、寝ている鷲峰山の頭を鋤でごっそりと削り取ってしまった。
悪さに気づいた鷲峰山はあわてて大山を追いかけたがそれもかなわず、鷲峰山は大山よりもずいぶん低い山になってしまったということである。
また追われて逃げる大山が打ち捨てていった鷲峰山の頭が、久米郡の茶臼山だということである。



孝霊山(こうれいさん)
孝霊山
概要
孝霊山は、鳥取県西伯郡大山町と米子市の境界にある山。
標高751m。瓦山(からやま)、韓山(からやま)との別名がある。
大山山系に属し、大山火山の側火山である。
古期大山の活動期に形成されたと考えられていたが、山体を構成する岩石が比較的新しく、新期大山の活動初期に寄生火山として形成されたと考えられている。
麓には弥生時代の大規模集落として有名な妻木晩田遺跡や伯耆古代の丘公園がある。
大山と背比べをするために、高麗の国の人たちが運んできた山との伝説がある。


孝霊山に関する説話
孝霊山と第7代孝霊天皇
孝霊天皇が御幸されたという伝承が在る。
そのために孝霊山と呼ぶ説もあるが、ふもとに高麗村が有り、そのための名前という説もある。

背比べ説話

昔、高麗の国の人たちが日本の山と背比べをしようと、国中で一番高い山を船に乗せて海を渡ってやってきた。
日本に上陸をした彼らが見渡すと連れてきた山ほどには高い山が見あたらない。
「日本の山などたいしたことはない」と思っていると、空を覆っていた雲が晴れ、見たこともないような高く雄大な山が現れた。その山が伯耆国の大山だったのだが、高麗の人たちはその山の高さに驚き、連れてきた山をうち捨てて逃げ帰ってしまった。その時において行かれた山が、大山の北にそびえる孝霊山である。



米子平野を取り囲む山々
長者原台地
日野川と法勝寺川が合流する三角地帯付近の台地。
個々に青木遺跡、近くに福市遺跡が存在する。


壺瓶山
概要
所在は米子市淀江町。標高 113m。
上古、日野川はこの山の賦mとを流れて日本海に注いでいたと考えられている。
壺瓶山の由来は、山から壺や瓶がたくさん発見されたことに始まる。
一帯から28基の古墳が発見されている。
   壺瓶山33号墳(45m)  壺瓶山23号墳(32m)   壺瓶山9号墳(30m)  壺瓶山13号墳30m()    
   壺瓶山16号墳(30m)  壺瓶山17号墳(25m)   壺瓶山14号墳(24m)など
付近には妻木晩田遺跡や向山遺跡もあり、調査が行われればさらなる遺跡の発掘も期待される地区である。

伯耆志より
「坪上山 會見、汗入両郡の境に在り。官帳、坪亀に作る。田蓑日記もまた然り。山上、古の官道あり、今樵路となる。今の官道は百年前に改造れりと云えり」とある。
汗入と会見の郡境で昔は官道(駅路)が通っており小波集落辺には、天保年間に設置されたという旧山陰道の道しるべや番所跡もある。
昭和51年の淀江条里遺構調査から、上淀廃寺跡付近から坪亀山の鞍部を越え日野川を横切り伯耆国の最西の相見駅に達していたとみられている。
伯耆志が坪上山としており、壺瓶山となったのはかなり新しいものと見込まれる。

補足
遺跡群に加えて、麓には日吉神社、三輪神社がある。



淀江平野を取り囲む山々
淀江平野
淀江平野は、西に壺甕山、東に孝霊山の麓である向山・妻木山、南は大山の裾野に囲まれている。
弥生時代以前は淀江湖という潟湖であった。


妻木山
妻木晩田遺跡が存在する。

向山
向山古墳群が存在する。





参考文献・資料等
「鳥取県の歴史」 (山川出版 1997)
「大山をめぐる山々」 (伯耆文庫第4巻 今井書店 1988)
「米子平野の縄文遺跡」 (伯耆文化研究会会誌1:21-29 1999  濱田竜彦)
「弓浜物語」 (伯耆文庫第6巻 今井書店 1989)
「ふるさとの古代史」 (伯耆文庫第9巻 今井書店 1994)
「日野川の自然」 (富士書店 2000 藤島弘純)


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大山および米子平野を囲む山々・微高地・丘陵地

Google mapより引用