古備前派について
概要
古備前派
平安時代中頃に興った備前国の日本刀刀工一派の総称。
平安時代末期から鎌倉時代初期の刀工を総称して古備前派と称する。
備前国では吉井川流域で産出される良質な砂鉄を原料とし、古くから鍛刀が行われた。

実成を祖とし、その子の友成は一条天皇に召し出された。
平安時代の中頃である永延(987年から989年)頃から興ったと伝えられるが、現存作は平安時代末期から鎌倉時代中期にかけてのものとなる。

古備前派の刀工
代表格-ー友成正恒
続いて--包平、助平、信房助包、吉包、利恒、真恒等が挙げられる。


作風の特徴
造り込み
太刀が多い。
姿は踏ん張りがあり、腰反りが高く、先にいって伏せごころのある平安時代末期の太刀姿のものが多い。
小切先で身幅狭く、茎(なかご)は雉股形(きじももがた)となるものが多い。
稀に鎌倉中期のような身幅広く豪壮なものもみられる。樋彫がまま見られる。
短刀に、焼き直しの「友成作」在銘が一口存在する。

地鉄
板目肌よく詰み、地沸(じにえ)が細かにつき、沸映りが立つものが典型的である。

刃文
一見すると直刃(すぐは)風だが、歴然たる直刃ではなく、のたれ刃に小沸づいた小乱れの作品が多い。


古備前派の刀工 
友成(ともなり)
  人物
生没年不詳だが、鎌倉時代の刀工。
正恒と並んで古備前派を代表する名工。
父、実成とともに一条天皇の剣を鍛えたという

古備前では最古の刀工で、永延(987年 - 989年)の頃の人といわれる。
しかし、嘉禎(1235年 - 1238年)の年号を刻んだ作もあり、同銘が鎌倉時代まで続いており、また平安時代の作でも銘の書風が異なるものもあるため、複数の同名刀工が存在していたと考えられる。
最古の代表作は、名物「鶯丸」太刀(御物)

作刀
名物 「鶯丸」 太刀 (御物)
  鶯丸友成とも呼ばれる。現存する友成作の刀の中で最も古いものの一つである。
  刃長二尺七寸(81.8cm)、反り九分(2.7cm)。

国宝
太刀  銘 友成作 (広島・厳島神社蔵) 1914年重文指定、1952年国宝指定。
    『厳島宝物図絵』に平宗盛奉納とある。
太刀  銘 備前国友成造 (東京国立博物館蔵) 1931年重文指定、1952年国宝指定。
梨子地桐文螺鈿腰刀 (中身に友成作と銘がある) (広島・厳島神社蔵) 1956年国宝指定。外装は室町時代の作品。

重要文化財
赤銅造太刀  中身銘 友成作(奈良・春日大社蔵)1901年指定
太刀  銘 友成 (埼玉・喜多院蔵)1910年指定。鎌倉時代の作品。
太刀  銘 友成作 (青森・高照神社蔵)1925年指定。
     平安時代末期から鎌倉時代初期の作品で、藩祖津軽為信が豊臣秀吉から拝領したものという。
太刀  銘 備前国□□(伝友成) (山口・毛利博物館蔵)1933年指定
太刀  銘 □□五月六日 友成 (東京・静嘉堂文庫蔵)1941年指定
太刀  銘 備前国友成 (岡山・個人蔵)1987年指定


正恒(まさつね)
    人物
友成と並び称せられる古備前派を代表する刀工。
古備前派の中では在銘の現存作が最も多い。
同時代古備前派の友成と比較すると、樋彫がないのが一つの特徴である。

作刀
名刀 「縄切正恒」 佐々木高綱が宇治川の戦いで使った刀

国宝
太刀  蜂須賀正恒 ふくやま美術館寄託 阿波・蜂須賀家伝来。正恒の典型的な作風を示す。
太刀 (文化庁蔵)大垣藩主・戸田家伝来。
太刀 (文化庁蔵)
太刀 (愛知・徳川美術館蔵)
太刀 (大阪・個人蔵)

重要文化財
太刀  (日本美術刀剣保存協会蔵)
太刀  (久能山東照宮蔵)
太刀  (兵庫・香雪美術館蔵)
太刀  (岡山・林原美術館蔵)
小太刀 (林原美術館蔵)
太刀  (個人蔵)1913年指定、名古屋東照宮旧蔵
太刀  (文化庁蔵)1939年指定
太刀  (個人蔵)1941年指定


包平(かねひら)
  人物
生没年不詳。鎌倉初期、元暦(1184年 - 1185年)のころ活躍。
後鳥羽天皇の蒲穂(がまほ)丸などの作者といわれる
古備前派初期を代表し、高平、助平とともに備前三平(さんひら)と呼ばれた。
高平には現存作がなく、助平は宮内庁蔵の太刀が1口あるにすぎない。
しかし、包平は比較的多く、特に岡山の池田輝政の愛刀であった名物「大包平」が名高い。

作刀
名物 大包平 (東京国立博物館)
健全無比の豪刀として知られ、天下五剣のうちの一振りである童子斬安綱と並び、日本刀の両横綱と言われる。
室町時代までの由来は明らかでないが、刀剣目利きの戦国武将として知られた池田輝政の愛刀である。
  長さが2尺9寸4分(約89cm)もある太刀、
  身幅も広く、板目鍛えに小乱れの刃文を焼くが、破綻なく出来も優れているため全日本刀の最高作と評価されている。
  銘は「備前国包平作」と太く大きく切っているが、他は「包平」と2字に小さく切るのが一般的である。
  同名が何人かいたと見られる。

Wikipedia 「大包平」より引用


その他の刀工と刀剣
  真恒

信房

福岡一文字派について 
福岡一文字派
福岡一文字(ふくおかいちもんじ)
鎌倉時代の初期に興った備前国の日本刀刀工の一派。
吉井川の東岸にある福岡の地で起こったのが由来。
後鳥羽院番鍛冶を務めたとされる古備前派則宗が福岡一文字派の祖とされている。
続いて鎌倉時代末期頃には吉岡一文字が福岡の北方の吉岡の地で興る。
岩戸、正中一文字等、他にも一文字を名乗る一派があるが、通常「一文字」と呼ぶ場合、福岡一文字か吉岡一文字を指す。
華やかな匂い出来丁子乱れの刃文が特色で古来より珍重され、国宝に指定されているものが多い。 江戸時代以降、現在に至るまで多くの備前伝の刀工が目指している。


作風の特徴
  造り込み
太刀が多い。
例外的に小太刀も存在する。
姿は踏ん張りがつき、腰反りが高く、先にいって伏せごころのない、猪首切先となる鎌倉時代中期風の豪壮な太刀姿のものが多い。
刃肉よくつき、その形状から蛤刃(はまぐりば)と呼ばれる。

地鉄
板目肌よく詰み、地沸(じにえ)が細かにつくものが典型的である。
大板目が混じるものがあり、これは焼きの高い丁子乱れを焼くための工夫と考えられている。
また地の部分に「映り」という一種の影焼きが刃文の乱れに沿って映る。
これを「乱れ映り」と呼び、福岡一文字の見所の一つである。

刃文
初期には古備前派の流れを汲む直刃小丁子乱れが見られたが、最盛期になると鎬地にかかるほど焼きが高く出入がある。
大房の「蛙子丁子」、丁子が重なり合った「重花丁子」、地鉄に袋状の飛び焼きが入り、その中で乱れる「袋丁子」が見られる。
元に腰刃を焼くものがまま見られ、焼き高く、物打ち辺りでは焼きが低くなる。帽子は乱れ込む。


著名刀工及び作品
  一文字各派には個名を名乗る者もいるが、無銘の作が比較的多い。
また茎(なかご)に「一」の字が符丁のように刻まれたものも存在する。
故に、作風から福岡一文字と極められたものが大多数である。
また、古来珍重されているため、打刀にすべく室町末期以降に磨上げられてしまったものが多い。
名刀が非常に多く、刀剣として備前長船派の次に、福岡一文字一派が国宝に最多指定されている。

国宝
太刀   無銘 号「山鳥毛」(個人蔵) 上杉謙信の愛刀。合口拵付。
      号の由来は、刃文がまるで山鳥の毛のように乱れていることから。
      日光一文字、道誉一文字と並び一文字中の最高傑作の呼び名が高い。
太刀   無銘 名物「日光一文字」(福岡市博物館)
      日光二荒山に奉納されていた太刀を北条早雲が譲り受け、後、黒田家に伝わった。
太刀   銘 「一」 号「長篠一文字」(法人蔵) - 長篠城を守り抜いた奥平信昌へ織田信長が恩賞として贈る。
太刀   銘 「則宗」(日枝神社) - 徳川綱吉が幼少時に奉納。
太刀   銘 「助包」(個人蔵) - 因州池田家伝来。健全無比の名刀として知られる。
太刀   銘 「吉平」(所在不明) - 紀州徳川家伝来。銘の上に菊紋の細い毛彫りがある。
太刀   銘 「吉房」(東京国立博物館)号「岡田切」
      号の由来は、織田信雄が豊臣秀吉に内通した疑いにより重臣岡田重孝等を成敗したことから。
太刀   銘 「吉房」(東京国立博物館)
      尾張藩家老竹腰家伝来。明治に同家を離れ、明治天皇が買い上げた。茎は磨上げ。
太刀   銘 「吉房」(岡山・林原美術館) ほぼ生ぶ茎。伊予西条松平家伝来。
太刀   銘 「吉房」(法人蔵) - 徳川家綱より徳川将軍家伝来。
太刀   銘 「吉房」(個人蔵) - 徳川家綱が島津家に下賜。島津家伝来。
太刀   銘 「則房」 (法人蔵、ふくやま美術館保管) - 徳川将軍家伝来。
      則房は吉房、助真と並ぶ名工。刃が常の福岡一文字に比べ逆がかる特徴がある。
      片山に住んだと伝わり(福岡の隣地、備中片山、諸説あり)、「片山一文字」とも呼ばれる。茎は磨上。
刀     無銘 「則房」 (個人蔵)
      茎が大磨上無銘ながらも、姿、地鉄、逆がかる焼刃の特徴から「則房」と極められた。
太刀   銘 「助真」 号「日光助真」(日光東照宮)
      加藤清正が徳川家康に献上。日光東照宮筆頭の宝物。
      家康が好みにあわせて「助真拵」を作らせた。茎は磨上。
太刀   銘 「助真」 (東京国立博物館)紀州徳川家伝来。茎は磨上。

重要文化財
太刀   銘 「助宗」(松岬神社) - 上杉景勝の愛刀。革包太刀拵付。「助宗」は則宗の子と言われている。
太刀   銘 「弘□」(東京国立博物館) - 生茎で銘一字不明。
      「敵に塩を送る」の返礼として武田信玄が上杉謙信に贈った太刀
太刀   銘 「一」 号「姫鶴一文字」(米沢市上杉博物館蔵) - ほぼ生ぶ茎。
      上杉謙信の愛刀。刃文は「山鳥毛」の如き。号の由来諸説あり。合口拵付。
太刀   銘 「一」 (福岡市美術館蔵) - 松代藩真田家に伝来した。現在は松永コレクションとして福岡市美術館の所蔵。
刀    無銘  名物 「南泉一文字」 (徳川美術館)
     大磨上。 由来は南泉寺に立てかけてあった抜き身に猫が飛びつき真っ二つになった等諸説あり。
     足利将軍家以来の名刀で、豊臣秀吉・秀頼・徳川家康・尾張義直へと伝わる。
太刀   額銘 「吉房」(東郷神社) - 東郷平八郎の愛刀。海軍拵付き。大正天皇より下賜。
長巻   無銘 「則包」拵付 -(上杉神社)上杉景勝の「景勝三十五腰」の一つ。
      則包は則房と同じく片山一文字の名工。


吉岡一文字派について  
吉岡一文字派 
吉岡一文字(よしおかいちもんじ)
鎌倉時代の末期に興った備前国の日本刀刀工の一派。
一文字は後鳥羽院番鍛冶を務めたとされる則宗が一派の祖とされている。
吉井川東岸で興った福岡一文字に続いて、鎌倉時代末期頃に吉岡一文字が福岡の北方の吉岡の地で興こる。
福岡一文字と比較し、焼きに高低が少なく乱れの華やかさに乏しいものの、やや逆がかった匂い出来丁子乱れの刃文が特色。
古より福岡一文字と同様珍重され、国宝に指定されているものもある。


 作風の特徴

造り込み
福岡一文字と同様、太刀が多い。
刀姿は腰反りが高く、先にいってやや先反りのつく、鎌倉時代末期風の太刀姿のものが多い。
元先で身幅差が小さく身幅広く、長大なものもみられ、多くが大磨上となっている。

地鉄
福岡一文字と同様、板目肌よく詰み、地沸(じにえ)が細かにつくものが典型的である。
しかし、部分的に肌が流れ、肌立つものもあり、地の部分の「乱れ映り」も福岡一文字と比較すると一歩譲るところがある。

刃文
福岡一文字ほど焼きに高低なく、乱れに大小少なく、丁子乱れの匂い足が逆がかる。
焼き幅は広い。帽子は乱れ込む。


著名刀工及び作品
  福岡一文字と異なり、比較的刀工銘を切る。
「一 備前国吉岡住某」という銘が見られる。
「助光」が代表刀工。
また、福岡一文字には皆無であった裏年期がある作も存在し、活躍時期が特定できる。
福岡一文字と比べ、刃文の変化の妙、地鉄の鍛えでやや劣るとはいえ、一文字の名に恥じない名刀を残している。

国宝
太刀   銘 「一 備州国吉岡住左近将監紀助光    
     (裏銘) 南無八幡大菩薩 南無妙見大菩薩 元亨二年三月日 」(個人蔵)
      阿倍豊後守忠秋が大洪水の墨田川を人馬で渡りきった功を賞し、徳川家光から下賜された。

薙刀   銘 「一 備州国吉岡住左近将監紀助光    
     (裏銘) 元応二年庚申十一月日」(個人蔵)
     加賀前田家伝来。鎌倉時代屈指の名薙刀。


長船派について
概要
系列
   近忠-光忠─長光─景光─兼光─延文兼光─三代兼光─四代兼光─五代兼光

鎌倉時代
鎌倉時代の人物と推定されている古備前派の近忠光忠親子を祖とする。
ただし、前者近忠には作品が現存せず、名匠として知られている後者光忠にも年紀作(年紀が入った作品)が存在しない。
従って、光忠の子・長光が作った年紀作に記された文永11年(1274年)が確認できる最古のものである。
長光の子あるいは弟子と推定される景光兼光親子、近景真長はいずれも名匠として知られる。
長光・景光・真長を長船三作とする。

南北朝時代
南北朝時代には兼光系の倫光政光基光らの正系をはじめ、相州物の影響を受けた長義系(長重長義兼長)、両系統とは別系の元重系(元重重真)、山城大宮から移った大宮系(盛景盛重)などが活躍した。

室町時代初期(応永年間)
応永備前と呼ばれる名刀が作られ、盛光康光らが活躍した。
以後の長船物は一括して末備前と称され、則光忠光勝光宗光祐定清光らが活躍した。
ただし、同じ銘が入っていても実際には一門や門人がその名義を用いて製作を行い、一種の集団制の工房が形成されていたとされている。

戦国時代
更に戦国時代には、「束刀」あるいは「数打」と呼ばれる一種の大量生産体制が取られていた。
相州物の影響を受けた沸出来を持つ相伝備前(長義系)及び末備前の一部を除けば、匂出来で映りと称する地に刃文の影のようなもの(地映)が出現する。
刃文の変化においては、鎌倉中期は丁子、末期は直刃に小互の目、南北朝時代はのたれ、室町時代は複雑な互の目の乱れに集約される。

1590年(天正18年)8月
吉井川の大氾濫により、壊滅的被害を受け衰退する。


作風の特徴


長船派の刀工
備前長船光忠
  人物
長船派の実質的な創始者。
古備前派正恒系に属したとされる近忠の子。
暦仁(1238年)から蒙古襲来のあった文永(1260年)頃に長船鍛冶の頭領として活躍。

作刀
現存作刀は比較的少なく、30振り前後しか現存しない。

国宝
太刀  銘光忠 (愛知・徳川美術館)
刀   金象嵌銘光忠  光徳(花押) 生駒讃岐守所持(号 生駒光忠) (東京・永青文庫)
    光忠の作刀中、最も華やかな作として知られる。
刀   金象嵌銘光忠 光徳(花押) (個人蔵)

重要文化財
太刀  銘 光忠 (東京国立博物館)
太刀  銘 光忠 (愛知・徳川美術館)
太刀  銘 光忠 (紀州東照宮)
太刀  銘 光忠 (出雲大社)
太刀  銘 光忠 (岡山・林原美術館)
太刀  銘 光忠 (厳島神社)
太刀  銘 光忠 (1935年指定、所在不明)
太刀  銘 光忠 (1936年指定、所在不明)
太刀  銘 光忠 (1958年指定、所在不明) - 『国宝・重要文化財大全』に写真なし。
太刀  無銘 伝光忠 (1952年指定、所在不明)(号 最上光忠)
     最上家伝来で、生ぶ茎(うぶなかご)無銘の太刀である。
太刀  金象嵌銘光忠 本阿(花押) (東京国立博物館) - 徳川将軍家伝来。
刀   無銘 伝光忠 (旧御物、東京国立博物館)
刀   無銘 伝光忠 「高麗鶴」と金象嵌あり (1941年指定、所在不明)
    小早川隆景が朝鮮出兵の折、佩用。
刀   無銘 伝光忠 (1952年指定、大阪・法人蔵)
剣   銘 光忠 (所在不明)

その他
太刀  銘 備前国長船光忠 (旧御物、三の丸尚蔵館蔵) -
     磨上で、茎尻に銘が残る。直刃小丁子乱れで、地鉄よく詰む。
打刀  無銘 伝光忠(号 燭台切光忠) (茨城・徳川ミュージアム)
     焼身。伊達政宗が燭台ごと人を斬ったとする逸話を持つ。
     その後水戸徳川家に伝来、1923年の関東大震災の際に焼失したとされていた。
     しかし、2015年に徳川ミュージアムが焼身ながら現存していることを公表した。


備前長船長光
  人物
長船派の祖・光忠の子とされる。
『古今銘尽』等の古伝書は長光には同名2代あったとし、「左近将監長光」と銘するものを2代とするのが通説であった。
正応2年(1289年)銘太刀のほか、永仁、正安、嘉元(1303 – 1306年)などの年号を銘に切る作刀があり、近世以来の通説ではこれらを2代長光の作とする。
ただし、近年の研究では長光の作刀期間は約30年間であり、「左近将監」銘も含め1代限りと見る説が有力である。
作刀
長光は、古刀期においては現存在銘作刀がもっとも多い刀工の一人で、文化財指定を受けたものだけでも国宝6点、重要文化財28点、重要美術品36点が存在する

国宝
太刀  銘 長光 (名物大般若長光) (東京国立博物館)
     足利幕府ゆかりの名物として古来名高いもの。
     腰反り深く踏ん張りがつき、猪首切先の鎌倉時代中期の体配となる。
     乱れ映り立ち、刃文は重花丁子を交え、焼きに高低がついた絢爛豪華な作風を示す。
     「大般若」の号は、この太刀に600両の値がついたことから、大般若経600巻にちなんで付けられたもの。
     長篠の合戦時に長篠城を守り抜いた奥平信昌へ徳川家康が恩賞として与えた。茎(なかご)は切り詰め。
太刀  銘 長光(東京国立博物館、1955年国宝指定)
太刀  銘 長光 (名物津田遠江長光) (愛知・徳川美術館)
     重花丁子に蛙子丁子を交えた華麗な刃文を焼き最も華やかな作として知られる。
     元・織田信長の所蔵であった。
     しかし明智光秀が略取し、家老の津田遠江に与えたところから「遠江」の称がある。
     後に津田遠江の子孫から前田利長に献上。松姫の尾張家輿入れの際、同家にもたらされた。
     一時徳川将軍家の所蔵となった後、尾張家に戻り、現在に至る。茎は磨上。
太刀  銘 備前国長船住左近将監長光造(岡山・林原美術館)
太刀  銘 熊野三所権現長光(大阪・法人蔵) 九鬼氏伝来。
     長光の最も典型的な作風で、湾れに互の目丁子を交える。
薙刀  銘 備前国長船住人長光造(静岡・佐野美術館)

重要文化財
太刀  銘 備前国長船住左近将監長光造 /正応二年十月 (岡山・林原美術館)1289
太刀  銘 備前国長船住長光作  正安二年二月吉日(所在不明)
太刀  銘 長光 (東京国立博物館)
太刀  銘 長光 (東京・日枝神社)
太刀  銘 備州長船住長光 (東京・日枝神社)
太刀  銘 長光 (東京・根津神社)
太刀  銘 長光 (神奈川・鶴岡八幡宮)
太刀  銘 長光 (石川・白山比咩神社)
太刀  銘 長船住人長光 (静岡・大歳御祖神社)
太刀  銘 備前国長船長光造 (愛知・徳川美術館)
太刀  銘 長光 (愛知・熱田神宮)
太刀  銘 長光 (愛知・滝山東照宮)
太刀  銘長光 (京都国立博物館)
太刀  銘長光 (京都・陽明文庫)
赤銅造太刀  中身銘備前国長船住長光(奈良・手向山八幡宮)
太刀  銘 長光 (岡山県立博物館蔵)1942年指定、長らく個人蔵だったもの。
太刀  銘 長光 (香川・金刀比羅宮)
太刀  銘 長光 (熊本・阿蘇神社)第二次大戦後連合国軍により接収され、以後の所在不明。写真なし
太刀  銘 長光 (所在不明)1933年指定
太刀  銘 長光 (個人蔵)1938年指定
太刀  銘 長光 (号高木長光)(所在不明)1940年指定、上杉家伝来。金梨地合口拵え付
太刀  銘 長光 (個人蔵)1956年指定
太刀  銘 長光 (個人蔵)1956年指定
刀金象嵌 銘 長光 磨上光徳(花押)本多安房守所持(個人蔵)
刀   無銘 伝 長光 (個人蔵)1942年指定
薙刀  銘 長光 (東京国立博物館) 旧御物。
剣    銘 長光 (福岡・株式会社御花)
剣    銘 長光 (愛知・津島神社)


備前長船影光
    人物
一派の祖である光忠、その子とされる長光に次ぐ3代目にあたる。
作刀期は鎌倉時代最末期で、嘉元 4年(1306年)から建武元年(1334年)にかけての年紀を持つ作刀が現存する。
兼光の父。通称は左兵衛尉。

作刀
国宝
太刀  銘 (表)備前国長船住景光  (裏)元亨二年五月日(小龍景光) (東京国立博物館 蔵)
    元亨2年は1322年。楠木正成所用と伝え「楠公景光」とも称する。
    長らく所在不明で幕末に大阪の農家で発見されたと伝わる。
    明治時代に山田浅右衛門家から明治天皇に献上され、第二次大戦後に現所蔵となった。
    号の由来となった棒樋内に彫られた剣巻竜がハバキ元から顔を覗かせることから「覗き竜景光」
    別名がある。
    刃文は腰刃が大きく乱れ、上は太直刃に丁子が混じるものとなる。
太刀  銘(表)広峰山御剣願主武蔵国秩父郡住大河原左衛門尉丹治時基於播磨国宍粟郡三方西造進之
      (裏)備前国長船住左兵衛尉景光 作者進士三郎景政 嘉暦二二年己巳七月日
      (埼玉県立歴史と民俗の博物館 蔵
    景光とその弟子ないし親族と思われる景政との合作になる太刀。
    長文の銘文によると、秩父出身の播磨の地頭であった大河原時基が嘉暦4年(1329年)長船から
    景光と景政を播磨国宍粟郡三方西(兵庫県宍粟市)に呼んで作刀させ、広峯神社(姫路市)に奉納した
    ものであることが知られる。
    刃文は景光が得意とした直刃小丁子乱れである。
短刀  銘(表) 備州長船住景光 ( 裏)元亨三年三月日(号 謙信景光) (埼玉県立歴史と民俗の博物館 蔵)
    元亨3年は1323年。刀身の指表には「秩父大菩薩」の文字、指裏には大威徳明王を表す梵字を彫る。
    「秩父大菩薩」は秩父神社(埼玉県秩父市)の祭神・妙見菩薩を指す。
    前期の国宝太刀とともに大河原時基の注文による製作で、後、上杉家に伝来し、上杉謙信が常に身近
    に置いたことから「謙信景光」の号がある。
    刃文は景光の得意とした片落互の目が顕著で、振袖茎となる。上杉家以来の拵え付。

重要文化財
太刀  銘 備前国長船住景光 嘉元二二年十月日(個人蔵)、1306年作。
太刀  銘 備州長船住景光 正和五年十月日(個人蔵)、1316年作
太刀  銘 備州長船住景光 元亨二年□月日(文化庁保管)、1322年作
太刀  銘 備前国長船住景光 元弘二二年二月日(所在不明)
太刀  銘(表)南无薬師瑠璃光如来 ( 裏)備前国長船住景光(静岡・富士山本宮浅間大社 蔵)
     永禄11年(1568年)、駿河侵攻に先立ち武田信玄より浅間大社に奉納された。
     刃長二尺五寸五分(約77.3cm)反り九寸三分(約2.8cm)直刃、生ぶ茎に目釘孔一つ。
     『集古十種』にはこの太刀の拵えとして「総金物鍍金 鞘長三尺 塵地 柄八寸余 金打出鮫 萌黄三分糸巻
     赤地錦包太刀緒 紅手貫緒」の糸巻太刀拵が記載されている。
太刀  銘 備前国長船住景光 (裏)□□月日(兵庫・黒川古文化研究所 蔵)
太刀  銘 備州長船景光(個人蔵)、1925年指定
太刀  銘 備州長船住景光(個人蔵)、1938年指定
太刀  銘 備州長船住景光(個人蔵)1940年指定、『国宝・重要文化財大全』に写真なし
太刀  銘 備州長船住景光(個人蔵)、1942年指定
太刀  銘 景光(個人蔵)、1953年指定
太刀  銘 備州長船景光(金象嵌銘) 本多平八郎忠為所持之(個人蔵)
刀   折返銘 備州長船景光(所在不明)、1964年指定
薙刀  銘 備州長船住景光 元弘二年八月日 (東京国立博物館 蔵)1332年作
短刀  銘 景光(所在不明)

その他
太刀  銘(表) 備前国長船住左兵衛尉景光 作者進士三郎景政  
      (裏)元亨三年三月日(御物)刀身の指表には「秩父大菩薩」の文字、
      指裏には大威徳明王を表す梵字を彫りる。
      国宝指定の短刀と揃いで注文されたと推察される。刃文は片落ち互の目丁子。


備前長船兼光
    人物
備前長船兼光を称する刀工は四工存在する。
しかし、一般には南北朝時代に活躍した刀工を指すことが多く、また室町時代の兼光の作刀はほとんど見られない。

備前長船兼光一覧
備前長船住兼光 
文永年間(1264年-1275年)頃の人。岡崎五郎入道正宗の正宗十哲とされる。
大業物21工の一。鉄砲切り、石切り、甲割り等の名作が多く、重要文化財指定の作刀がある。
大兼光。通称「孫左衛門」。
正宗の門人である点は年代的にみて疑問視する説もある。

備前国長船兼光 
延文年間(1356年-1361年)頃南北朝時代の人。長船景光の子。
左衛門尉。延文兼光と称される。最上大業物14工の一。
重要文化財の作刀がある。
作風に幅があることから、この兼光には初代・二代があるとする説が古来唱えられていたが、現在では、同一刀工の作風の変化であって、一代限りとする説が有力とされる。
元亨から応安にかけての年紀作があり、時代柄大太刀や寸延短刀など豪壮な作例が多く、初期には景光の作風に近く直刃や片落ち互の目など地味なものが多いが、次第にのたれに互の目がまじった華やかな刃文を焼くようになる。
また、地鉄に「牡丹映り」と呼ばれる独特の映りが現れるものが多い。
刀身に彫刻を施したものも多く見られる。
上杉家には戦前まで3振りの生ぶ茎(うぶなかご)で延文年間の大太刀が伝わっていたが、うち1振り(延文2年8月、重要美術品)は戦後アメリカ軍に接収されたまま行方不明で、現在確認できるものは2振り(いずれも重要文化財)となっている。
斬れ味に優れており「波遊ぎ兼光」や「鉋切り兼光」等の異名を持つ作刀も多い。

備州長船兼光
応永年間(1394年-1428年)頃の人。三代兼光。重要美術刀の作刀がある[4]

備前長船兼光
長禄年間(1457年-1461年)頃の人。重要刀の作刀がある

備前長船兼光 
天文年間(1532年-1555年)頃の人。重要刀の作刀がある

通常、兼光という場合、前二者、特に最上大業物14工の兼光を指すことが多い。

作刀
重要文化財
太刀 銘備前国長船住兼光 元弘三年八月日(個人蔵)
太刀 銘備前国長船住兼光 建武二年七月日(個人蔵)
太刀 銘備前国長船兼光 建武三年丙子十二月日(個人蔵)
太刀 銘備州長船住兼光 暦応二年正月日(三井記念美術館)
太刀 銘備州長船住兼光 観応□年八月日(名物福島兼光)(東京国立博物館)(前田家伝来)
太刀 銘備前国長船兼光 文和二二年乙□十二月日(号一国兼光)(高知県立高知城歴史博物館)
太刀 銘備前国長船兼光 延文元年十二月日(山形・蟹仙洞)1991年盗難
太刀 銘備州長船兼光 延文三年二月日(法人蔵、ふくやま美術館寄託)上杉家伝来
大太刀 銘備前国長船兼光 延文二二年二月日(東京国立博物館)上杉家伝来
太刀 銘備州長船住兼光(徳川美術館)
太刀 銘備州長船兼光(熱田神宮)
刀 金象嵌銘備前国兼光 本阿弥(花押)(名物大兼光)(佐野美術館)
短刀 銘備州長船住兼光(鳥取・大神山神社)


備前長船真長(さねなが)
  人物
光忠の子または弟子という。
姓は平。通称平三郎、平九郎。
活動期間は弘安(1278)~嘉元(1306)ごろとされる。
作刀
名物  無布施経真長
     二尺五寸三分。松平忠輝所持、前田家伝来。



 
初載2018-10-3
 
参考資料 
『日本刀の歴史 古刀編』   金園社  2016 常石英明
『日本刀 五ヶ伝の旅 備前伝編』  目の眼 2015 田野邊道宏

『図解 日本刀事典―刀・拵から刀工・名刀まで刀剣用語徹底網羅』 (歴史群像編集部 2006)
『図説・日本刀大全―決定版』 (歴史群像シリーズ 2006 稲田和彦
『写真で覚える日本刀の基礎知識』  (2009 全日本刀匠会)
『日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る』  (サイエンス・アイ新書 2016)
『日本刀の教科書』 (東京堂出版 2014 渡邉 妙子)

『銘尽』(めいづくし) 国立国会図書館 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288371)

Wikipedia 「古備前」 「友成」 「包平」 「一文字派」 「長船派」 「光忠」 「長光」 「影光」 「兼光」


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備前伝について ファンタジ-米子・山陰の古代史
備前伝は、吉井川下流域を主な拠点とした流派で、長船(おさふね)派、福岡一文字(いちもんじ)派、吉岡一文字派、畠田(はたけだ)派、などの諸派が知られています。
著名な刀工としては、平安時代末期の古備前友成(ともなり)、鎌倉時代前期の福岡一文字派吉房(よしふさ)、鎌倉中期の長船派長光(ながみつ)などがあります。
    平安後期~鎌倉初期  :古備前 (友成 正恒 包平、助平、高平、信房助包、吉包、利恒、真恒等) 
    鎌倉初期~南北朝   :福岡一文字派  
    鎌倉中期~室町     :長船派 (光忠、長光、景光、兼光、延文兼光、三代兼光、四代兼光、五代兼光)
    鎌倉末期~       :吉岡一文字派