刀工について
刀工とは
刀剣、特に日本刀を作る職人のこと。
鍛冶の技術を用いる事から、鍛人(かぬち)、鍛師(かなち)、刀鍛冶(かたなかじ)、刀匠(とうしょう)、刀師(かたなし)などとも呼ばれる。

刀剣製造に関わる職人
広義には下記の全てが刀工とも言えるが、本項では主に刀鍛冶(職人以外を含む)について述べる。
  1 鉱山師 - 鉱物を掘り出す。
  2 鉄穴師(かんなじ) - 砂鉄を採集し砂と分ける
  3 タタラ師 - たたら吹きの一種たたら製鉄し砂鉄を溶かす
  4 山子 - 炉の火のための炭を焼く
  5 刀鍛冶 - 鉄を製品に加工する(ここでは、鉄の塊を鍛造し日本刀にする)
  6 彫師 - 刀に梵字や装飾図を彫る。
  7 鞘師 - 刀にあわせて、鞘を作る。
  8 研師 - できあがった刀を研ぐ。



刀剣製造に関わる職人
1:鉱山師(やまし)
鉱山師(やまし)
何らかの鉱物を探り当て、それを掘り出す人たち。
山仕とも書き、山主、山元ともいう。
広義には、金、銀、銅、鉄、水銀などの全ての鉱物資源の採掘に関わる人たちを指すが、刀剣製造の場合には特に鉄鋼石や砂鉄の採掘に関わる。

専業化した者は16世紀から現れ、江戸時代に広く存在した鉱山業者。
金子,大工,手工,樋大工,鍛冶などの鉱山労働者を率いて主として採鉱部門にあたったが、選鉱、製錬を兼営する者もある。
江戸時代中期以降は、請山として鉱山の全経営を請負う者が多い。

日本では鉱山情報を得ようとする修験者なども山師であり、巨大な資源を手にしたものは大穴を持つもの大穴持あるいは大物主、大己貴神とされた。


2:鉄穴師(かんなじ)
鉄穴師
砂鉄を含む山は鉄穴山(かんなやま)と呼ばれ、砂鉄を選り分ける作業を鉄穴流し(かんなながし)と言った。
鉄穴師(かんなし)はそこで働く人々の事を指す。
鉄穴師は砂鉄を含んだ山を見つけ、傾斜面に井手と呼ばれる水路を引き、山をちょうなで崩して、土砂をその水路に落としていく。

補足
古代のとは鉄穴の意であり、のことを指す。
大己貴命は大穴持命あるいは大穴牟遅命という異名を持つ。
従って大己貴命、別名大穴持命は、偉大な鉄穴師という意味となる。


3:タタラ師
  タタラ師
砂鉄を集め,ふいごを利用して製鉄を営む者をいう。
かつては日本各地の砂鉄のとれる谷川沿いを移動して生活を営んでいたが、室町時代頃から定住するようになり、採鉱、冶金、炭焼きなどの分業組織をもつ職業集団を形成した。
金屋子神を彼らの祖神として尊崇し、特に女性の赤不浄を非常に忌み、月経中、あるいは出産直後の女性を仕事場には絶対に入れないなどの禁忌が厳重であった (→産の忌 ) 。
中国地方の山間部、島根県奥出雲町などに現存する。


4:山子
  きこりなど山で働く人。
特に炭焼きなどを指す場合がある。


5:刀鍛冶
鍛冶
金属を鍛錬して製品を製造すること。
「かじ」は、「金打ち」(かねうち)に由来し、「かぬち」、「かんぢ」、「かじ」と変化した。
この鍛冶を業とする職人や店は鍛冶屋ともいう。
刀を作る職人は「刀鍛冶」「刀工」などと呼ばれる。

補足
  大鍛冶=鉄を産生する職人。
  小鍛治=刀鍛冶の事を指す。


6:彫師
刀に梵字や装飾図を彫る。


7:鞘師
鞘とは刃の身(ブレード)の部分を包む覆いのことをいう。
刃先を鋭利に保つために保護するとともに、刃が周りを傷つけないように隔離し、保管や携行中の安全を確保する機能を持つ。
材質は、伝統的には革、木、獣の角、布、金属などであるが、現代では合成樹脂が使われることもある。
これらは単一で用いられるより、組み合わせて用いられることが多い。
鞘師はこれを作成したり修理したりする職人をいう。

8:研師
日本刀の研磨は、刃を付け斬れるようにすることを前提としつつも、さらにそこから作業を進め、刀身の地鉄、刃文の見所を良く見えるように、また、それを引き出すために砥ぐ、と言うことを主要な目的としている
他の刃物研磨と相異する部分が多く、他の刃物の砥師が兼業していることは少なく、また、日本刀の砥師が他の刃物を砥ぐこともほとんどなく、独立した分野と言える。
また、他の刃物研磨が「切れ味が悪くなった物を砥ぎ直す」と言うことを一番の目的にしているのに対し、日本刀の研磨は、刃を付け斬れるようにすることを前提としつつも、さらにそこから作業を進め、刀身の地鉄、刃文の見所を良く見えるように、また、それを引き出すために砥ぐ、と言うことを主要な目的としている点が、一番の相違点と言える。

補足:本阿弥家

刀派の歴史と主な刀工
序:
古刀と新刀
日本刀は、慶長以前を古刀期、以降を新刀期に分けられる。
さらに安永以降を新々刀、大正以降を現代刀と細分している。
また、流派(刀派)で記載するのが一般的である


五箇伝とは
日本刀の特徴ある作風を分類すると5つのグループに分類されたもの。
これは明治以降に大名家などが所有する日本刀が競売にかけられ、これまで一般の目に触れなかった様々な日本刀が日の目を見、日本刀の研究が進んだ結果、以下のような5群に分類された。
  大和伝・・・一番古い刀工群。時の権力者に庇護された。
  山城伝・・・京都三条を中心に鎌倉末期まで繁栄。
  備前伝・・・砂鉄産地近隣という地理的好条件で都からの遠隔地。
  相州伝・・・山城伝と備前伝のハイブリッド。鎌倉の地が中心。
  美濃伝・・・南北朝末期から江戸幕末まで続く。


刀剣書
『銘尽』(めいづくし) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288371
応永30年(1423年)に書写された刀剣書。
京都東寺子院観智院伝来本であることから『観智院本銘尽』ともいう。
別名『正和本銘尽』。
「正宗五郎入道、貞宗、彦四郎」の記述から始まり、神代からの刀工名、著名刀工と茎(なかご)の図、粟田口系、鎌倉鍛冶などの流派の系図などが記載されている。


古刀期
  上古
古事記や日本書紀などに記録されている神代から奈良時代805年(延暦24)まで。

祖神:天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
刀匠の祖神とされ、『日本書紀』に高皇産霊神が大物主神に詔した段にみられる。
『古事記』天岩戸の段で、思金神に呼ばれた鍛人天津麻羅(あまつまら)と同一神との説もあるが、天叢雲剣を天照皇大神のために造ったと伝承されている。
この剣は人皇第12代景行天皇の皇子日本武尊の草薙剣で、熱田神宮の御神体として伝来されている
ひょっとこ(火男)の原型とも伝えられている。

倭鍛部(やまとかぢべ)の天津真浦(あまつまうら)
『日本書紀』、第2代綏靖天皇記に鹿を射る鏃(やじり)を作らせる記事があり、職制としての鍛冶が伺われる。

太刀佩部の川上部(かはかみのとも)
『日本書紀』第11代垂仁天皇記に、五十瓊敷命(いそたましきのみこと)は太刀佩部の川上部(かわかみのとも)に千振の剣を作らせた

韓鍛(からかぬち)の卓素(たくそ)
『古事記』応神天皇記によると、百済の照古王(近肖古王か)が和邇吉師に鍛冶(韓鍛(からかぬち))の卓素を献上した。
近肖古王は七支刀を神功皇后時代に献上している。

天国 (人物)
銘尽には、大宝年中に作刀し銘を切るとある。
同書には、次の順序で神代の鍛冶を記載している。
  藤戸(神武天皇御剣)   国重(宇佐明神)  天国(村雲剣)  天藤(春日大明神)  海中(龍王)など。



平安時代
平安時代の特徴
806年(大同元年)から1183年(寿永2年)まで。
湾刀形で芯鉄(しんがね)を入れた鍛刀による強靭でしなやか、かつ信仰の対象ともなる日本刀の誕生はこの頃であるといわれている。
最も古いと見られているのは大和国に興った「大和伝」で、続いて「山城伝」、「備前伝」が興ったと見られている。
この3伝法が今日に至るまでの刀剣製作の基本的な技法となる。
特に大和伝は、奈良時代より奈良を中心に各地の寺社領へと広まったため、その影響下にある刀工は多い。
(相州伝、美濃伝は上述3伝法を発展させて誕生した)

各地の伝法、流派、著名刀工
大和伝
  大和国  古千手院派ー行信、重弘
  西国等  豊前国-神息   豊後国-僧定秀、行平   薩摩国-波平派:行安、安行
  陸奥等  陸奥国-文寿、寶寿舞草   出羽国の月山等。

山城伝
  山城国  三条派-宗近   五条派ー国永、兼永

備前伝
  備前国  古備前派-友成、正恒、包平

その他
  伯耆国  安綱、安家、真守、国宗
  備中国  古青江派-正恒、貞次、恒次

鎌倉時代
鎌倉時代の特徴
元暦元年(1184年)から元弘3年(1333年)まで。
幕府が各地の著名工を集ったと伝わり、備前から福岡一文字の助真、備前三郎国宗。京都から粟田口藤六左近国綱、新藤五国光が赴いた。
鎌倉で刀剣研究が行われる一方、承久の乱を引き起こした後鳥羽上皇は自らも作刀し、天皇家に遣える武家に太刀を与えた。
これは「御番鍛冶制度」と呼ばれ、月替わりで、京、備前、備中等の著名刀工を招いた。
茎に十六葉の菊紋が彫ってあることから「菊御作」と呼ばれる。
承久の乱後、蒙古襲来(元寇)があり、大鎧対抗を前提とした重厚な刀剣の姿から反省を生かし、今までの刀剣の姿に改良が加えられつつ、南北朝時代を迎えることとなる。
鎌倉で作刀が始まったとは言え鎌倉時代の主力産地は備前であり、鎌倉で新たに興った「相州伝」は次の時代にその特徴が全国へ広まることとなる。

主な流派
山城伝
  山城国  粟田口派-則国、国友、久国、国吉、吉光、国安、国綱
        綾小路派-定利、守利。
        来派-国行、国俊国光、光包、了戒)。
  肥後国  延寿派-国村、国資、国時

備前伝
        福岡一文字派諸工:則宗、吉房、助真
        吉岡一文字派諸工
        長船派-光忠、長光、景光
        畠田派-守家、真守
        宇甘派-雲生、雲次、雲重。

大和伝
  大和国  千手院派
        当麻派-国行、有俊
        手掻派-包永
        尻縣派-則弘
        保昌派-貞吉、貞宗
  備後国  古三原派、二王派。
  越中国  宇多派。その他は前時代の門跡を継ぐ(著名刀工に、筑前国の西蓮、実阿がいる

相州伝
  相模国  新藤五国光、国廣、藤三郎行光正宗
  越中国  則重

その他
  備中国  中青江派-貞次、為次、康次、吉次、次吉

御番鍛冶制度
鎌倉時代、後鳥羽院の命により、1か月交替で院に勤番した刀工。
諸国から刀工12人を召して、水無瀬において毎月、刀を作らせた(12人の番鍛冶)。
   1月-備前国則宗   2月 - 備中国貞次  3月 - 備前国延房  4月 - 粟田口国安
   5月-備中国恒次   6月 - 粟田口国友  7月 - 備前国宗   8月 - 備中国次家  
   9月 - 備前国助宗  10月 - 備前国行国 11月 - 備前国助成 12月 - 備前国助延

南北朝時代
南北朝時代の特徴
建武元年(1334年)から明徳4年(1393年)まで。 後醍醐天皇の建武の新政は足利尊氏の離叛で南北朝の争乱として60年続く。
刀剣は勇壮で実用的な相州伝が全国へ普及した時代でもある。

主な流派
  山城国(了戒と相州伝系:信国と信国派、相州伝系:長谷部国重と長谷部派。三条派:吉則)
  大和国(手掻派:包次、尻縣派:則長、保昌派)
  摂津国(来国長と中島来派)
  相模国(相州伝:貞宗、廣光、秋広)
  美濃国(志津派:兼氏、金重派:金重)
  備前国(相伝:兼光、義光、長船派:長光、雲次と鵜飼派、盛景と大宮派)
  備中国(貞次 (後代)と青江派)
  備後国(三原正家と三原派)
  周防国(清綱とニ王派)
  筑前国(左衛門三郎安吉と左文字派、金剛兵衛盛高と金剛兵衛派)
  豊後国(高田友行と高田派)
  肥後国(延寿派:国時)
  薩摩国(波平行安と波平派)
  土佐国(吉光)

室町時代
室町時代の特徴
刀剣史では前期を応永元年(1394年)から文正2年(1467年)まで、後期を応仁の乱(応仁元年(1467年)から文禄4年(1595年)までを戦国時代としている。
南北朝の戦乱が終わり平和な時代が始まり、御番鍛冶様式の優美な作が増える。
偑刀(はいとう)方法が変わり、刀と脇指(わきざし)の二本を指すようになった
また、備前伝が全国へ普及した時代である。

主な流派
  山城国(京信国派:応永信国、三条派:三条吉則、平安城派:平安城長吉)
  大和国(尻縣派:包吉、手掻派:包吉、金房派(かなぼうは):正重)
  出羽国(月山派
  相模国(相州伝:正広、広正)
  美濃国(直江志津派:兼友、善定兼吉と善定派)
  加賀国(友重と藤島派)
  越後国(安信と山村派)
  越中国(国宗と宇田派)
  豊後国(高田派:高田長盛、了戒能真と了戒派)
  筑後国(家永と大石左派)
  肥前国(盛広と平戸左派)

戦国時代
戦国時代の特徴
応仁の乱(応仁元年(1467年)から文禄4年(1595年)まで。 京鍛冶は応仁の乱により地方へ移住。
注文刀とは別に、応仁の乱と対明貿易により大量の刀剣が必要となり数打ち物という粗製濫造刀も出現した。
後期には伝統古法の技術の衰微ともなった。

主な流派
  山城国(三条派、平安城派、鞍馬派)
  伊勢国(村正と千子派:正重、正真、正利)
  美濃国(兼定派、孫六派
  駿河国(島田派)
  相模国(相州伝:綱広)
  武蔵国(下原鍛冶)
  若狭国(小浜派)
  加賀国(藤島派)
  備前国(長船派:勝光、宗光))
  備後国(三原派、法華系、長房派)
  伯耆国(広賀派)
  土佐国(吉光派
  阿波国(海部派)
  豊前国(宇佐信国派)
  豊後国(高田派、筑紫了戒派)
  肥後国(同田貫派
  薩摩国(末波平)


新刀期 (江戸時代前期〜中期)  (狭義の新刀期 1596年~1772年)
慶長元年(1596年)から現在まで。
さらに安永以降を新々刀、大正以降を現代刀と細分している。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等が刀剣を政策的に利用したことで刀工の地位が上がった。
また運輸交通の発達による砂鉄の確保、南蛮鉄の利用などにより、鍛刀法が変化した。
埋忠明寿は古三条宗近の末孫を名乗り、綺麗な地鉄による作刀を行ったため、『校正古今鍛冶銘早見出』で新刀の祖と呼ばれている。
その後、寛文新刀の時代を経るが、その後、元禄時代(1688年〜1703年)では最も衰微した時代となるが、徳川吉宗が享保6年(1721年)、全国から名工を集め鍛刀させ、一平安代、主水正正清、信国重包に一つ葵紋を許可し、尚武を推進し、次の新々刀期へむかう。


新新刀期 (1772年~1912年)
  安永(1772年)期から明治末期(1912年)頃までを言う。
新々刀の祖水心子正秀は南北朝を理想とし古伝模倣を推奨し、復古刀全盛となった。
また、幕末の世情により刀剣の需要も増えたため、刀工も増加した。
しかし、明治9年(1876年)の廃刀令で刀工が激減した。
しかし、廃刀令には軍人の軍刀は認められており、また、明治天皇が刀剣に趣味があり、帝室技芸員に月山貞一(初代)および宮本包則が選ばれるなど鍛刀技術の保護育成もあった。


現代刀期 (1912年~現在)
昭和6年(1931年)の満州事変以降、軍刀需要が増加し、昭和8年(1933年)、栗原彦三郎(昭秀)の日本刀鍛錬伝習所、同年靖国神社に日本刀鍛錬会が設立され、刀工養成に力がそそがれた。
昭和20年の終戦で武装解除としてGHQは赤羽に数十万口の刀剣類を没収(赤羽刀としてあったが、平成7年(1995年)には法律により関連の美術館、博物館で展示されている)、刀剣の制作も禁止した。
その後関係者の努力で、昭和29年(1954年)に、第一回新作刀展が開催されるなど、伝統的刀工を育成・増加させる試みがなされた。 現代では美術品として扱われるため、刀工は武器職人ではなく芸術家(工芸家)とみなされているが、真剣は武器にもなり得るため国家資格が必要となる。


参考資料等
  「鉄から読む日本の歴史」 (講談社 2003 窪田蔵郎著)  
「古代の鉄と神々」 (学生社 1997 真弓常忠)
「古代山人の興亡」 (彩流社 1996 井口一幸著)

「図解 日本刀事典―刀・拵から刀工・名刀まで刀剣用語徹底網羅」 (歴史群像編集部 2006)
「図説・日本刀大全―決定版 」 (歴史群像シリーズ 2006 稲田和彦
「写真で覚える日本刀の基礎知識」  (2009 全日本刀匠会)
「日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る」  (サイエンス・アイ新書 2016)
「日本刀の教科書」 (東京堂出版 2014 渡邉 妙子)

『銘尽』(めいづくし) 国立国会図書館 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288371)

日立金属HP 「たたらの話」  

ウキペディア 「鉄」、「砂鉄」、「蹈鞴」、「鞴」、「木炭」、「鉄穴流し」、「刀工」



初載 2018-9-24

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