先ず、はじめに

古事記、日本書紀、出雲国風土記などに描かれている上古の山陰地方を称して「神話の故郷」などと呼ばれることがあります。
また、古事記の話の三分の一は出雲神話に関するものだとも言われています。

しかし、さらに記紀神話を読み進めてみると、その舞台は現在の出雲地方ではなく、因幡・伯耆といった鳥取県にその話の中心があるようにも感じられます。
因幡の素兎(現鳥取県白兎海岸)、大国主命の手間山での受難(現鳥取県西伯郡南部町)、黄泉の国(鳥取県米子市には夜見町がある)の話など、果たして当時の出雲神話の舞台は出雲を中心とした島根県だったのかとも思ってしまいます。

さらに、出雲地方に特有とされる四隅突出型墳丘墓の経時的変遷を見てみると、妻木晩田遺跡を中心とした西伯耆から、順次出雲地方、因幡地方へと進展している事実があります。
弥生後期の鉄器についても、伯耆、因幡での発掘量は出雲のそれを遙かにしのぎます。

調べれば調べるほど、どんどん疑問や分からないことが多くなっていく米子、西伯耆の歴史。
いつ完成するか分からないHPですが、長い目で見てやって下さい。
米子、西伯耆、山陰の歴史に興味を持たれた方の何らかのお役に立てれば幸いです。



つぎに
  
「米子・山陰の古代史」は、よなごキッズ.COMが最も力を入れたい項目でもあります。
大山、中海、弓ヶ浜半島などのすばらしい自然と、そこから取れる多くの食材、それらをもっと輝かしいものにするためには、私たちの郷土の歴史を知ることが必要ではないのでしょうか。

日本の各地には、毎年、多くの人たちが訪れる観光地が在ります。
たとえば、高知県の桂浜です。
景観だけからすれば、当地の弓ヶ浜は桂浜に勝るとも劣らず美しいと思います。
しかし、人々はそこで景色だけを観ているのではないのです。
明治維新を駆け抜けた一人の英雄に想いを馳せ、その景観の奥に潜む何かを観ようとしているのではないでしょうか。
このような事例は、他にも数多くあります。

私たちの故郷米子にも、きっと桂浜と同じ様なものがあると思います。
しかし誠に残念ながら、それが地元の人にも、あるいは全国の人たちにも、あまり周知されていない現状があるような気が致します。
 
昔々、米子周辺は日本の首都的存在であったかもしれない・・・・。
そこには、多くのすばらしい人たちが活動し、日本の礎を築いていました。
そして、故郷を誇れるような輝かしい歴史が在ったと思います。
郷土をアピールするためには、美しい自然や立派な史跡だけではなく、その背景に隠れている多くの人びとの足跡を浮かび上がらせることが重要であると考えます。
 
今は未だファンタジーかもしれませんが、いつの日か、子供達が胸を張って、「米子の生まれです」と、言えるような何かを探し、そしてそれを広める事が出来ればと願う次第です。



さいごに
                 
                  「過去を知り、今を考え、未来を想う」

過去を知ることだけが歴史の勉強ではなく、歴史とは、今を考え、未来を想うための有用な手段であると想います。
いくら立派な箱物が有ったとしても、そこに心が無ければやはりそれは魅力に欠けるのではないでしょうか。
米子には、まだまだ埋もれた奥深い歴史が有ると思います。
それを掘り起こし、米子の恵まれた自然環境や美しい建物を、もっと魅力あるものに出来ればと想うのですが・・・。
そんな思いからこのHPを造ろうと思い立ちました。
完成まで何年かかるか分かりませんが、結論を急がず先ずは以下をお読み下さい。

              「米子・山陰の古代史」 目的へ

              「米子・山陰の古代史」 制作方法概要へ



おまけに

賦案太郎(ファンタ郎)

このサイトの管理人です。
西伯耆の歴史の深さに感銘し、もっともっと掘り下げてみたいと考えています。
 「過去を知り、今を考え、未来を想う。そういう人に私は成りたい。でも現実は・・・」

瑠袈太郎(るけ太郎)
管理人の良きパートナーです。いつも二人で史跡・遺跡巡りをしています。
このサイトが作れたのも彼のおかげです。感謝、感謝、感謝。
 
    
浮庵太爺(ファンタ爺)
このサイトに棲む居候です。
時々、場をわきまえず、ファンタジ−な独り言を言います。
 「最近、独り言が多くなった。ワシのことを周りは一人言主と呼んどるみたいだが・・・」




 「ファンタジ−米子・山陰の古代史」は、よなごキッズ.COMの姉妹サイトです
   ファンタジ−米子・山陰の古代史   







「ファンタジー 米子・山陰の古代史」
                                                      2009 4 1