東アジアの古代鉄文化―シンポジウム



鉄と銅の生産の歴史―古代から近世初頭にいたる



日本古代鉄器生産の考古学的研究



古代の鉄生産と渡来人―倭政権の形成と生産組織



中国の青銅と鉄の歴史



邪馬台国と「鉄の道」 (歴史新書y)



邪馬台国と狗奴国と鉄



鉄と俘囚の古代史―蝦夷「征伐」と別所



復元七支刀―古代東アジアの鉄・象嵌・文字



古代の鉄と神々



風と火の古代史―よみがえる産鉄民



古代国家成立過程と鉄器生産



古代刀と鉄の科学 (考古学選書)



中国古代の鉄器研究



古代日本の鉄と社会 (平凡社選書 78)



古代天皇の秘密―鉄刀<115字>が証かす日本国家のルーツ (Sun books)



刀剣類の概要
刀剣類の分類
    刀剣は刃の造り、刀身の反りの有無等によって大きく区分される。

矛(ほこ)
「矛」とは、両刃の剣に長い柄をつけたものを言う。
後の槍(やり)、薙刀(なぎなた)の原形であり、主に突刺すのに用いるが、切ることもできる。

剣(けん、つるぎ)・・・・・両刃の刀剣

刀(かたな)・・・・・片刃の刀
  @直刀:大刀(たち)
     片刃のうち刀身が真直ぐな物
  A彎刀:太刀(たち)  
     反りがついた物(いわゆる日本刀)
         太刀=茎に刻んである作者銘が刃を下にして腰に佩いた時、外側に刻んであるもの。
         刀 =刃を上にして腰に指した時、外側に刻んであるもの (ただし例外もあり)

     打刀は、主に馬上合戦用の太刀とは違い、主に徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)用に作られた刀である。
     反りは「京反り」といって、刀身中央でもっとも反った形で、腰に直接帯びたときに抜きやすい反り方である。
     長さも、成人男性の腕の長さに合わせたものであり、やはり抜きやすいように工夫されている。

脇差(わきざし、わきさし)
主兵装(本差)が破損などにより使えない時に使用される予備の武器を指す。
脇差は刃渡り1尺(30cm)以上2尺(60cm)未満の物とされる。
現在は日本刀の打刀(うちがたな)の大小拵えの小刀(しょうとう)をいうことが多い。

短刀(たんとう)
長さ一尺(約30.3cm)以下の刀の総称。
刀身の長さが一尺を超えるが短刀の様式を持つものは、特に「寸延短刀(すんのびたんとう)」とも呼ばれる。


刀剣の基本構造 
  刀身
  刃のない側は棟(むね)または峰(みね)、また刃と棟の間の膨らんだ部分は鎬(しのぎ)。
  柄(つか)に収まる部分を茎(なかご)、茎を柄に固定する棒状のものを目釘、それを通す孔を目釘孔(めくぎあな)

鞘(さや)
  刀身に擦り傷が付かないように軟質な朴(ほお)の木を、加工後の反りを防ぐために10年以上寝かして使う。
  刀身を差し入れる方を「鯉口」(こいくち)、逆の側を「小尻」または「鐺」(こじり)。

柄(つか)
  茎(なかご)を包みこみ、使用者の握りを確かなものにするための役割を持つ部分である。
  多くは木製で、その上に鮫皮を張り柄巻きと呼ばれる帯状の細い紐を巻く。

鍔(つば)
  刀剣の柄と刀身との間に挟んで、柄を握る手を防護する部位、もしくは部具。

     
Wikipedia 「日本刀」より引用



補足:柄の長さの変化
  古墳時代全体を通して直刀の柄の長さは15センチ以上の両手持ちが用いられた。
6世紀後葉になると、柄の長さ10センチ以下の片手持ちの直刀が主流となり、刀身も75センチ以下となる。
推古朝期に両手打ちから片手打ちへと変化したのは、馬具の出土量の増加からも、騎兵戦闘を指向して武器の換装が行われたものと考えられている。

古墳後期の直刀の柄の長さの変化は、騎馬民族王朝説の否定にも繋がっている。
古墳前・中期に列島を征圧していったとするなら、所持している刀の柄は騎上で実戦的な片手打ちが主流でなければおかしく、出土している両手打ち(古墳前中期で主流)の直刀の柄とは矛盾している(柄の長さからして騎兵向きといい難い)。

補足:卑弥呼に下賜された五尺刀
魏の皇帝は、卑弥呼に対して、銅鏡をはじめとした諸々の器物を与えたが、その中には、五尺刀二口も含まれている。
魏の五尺を120.6センチとすると、日本で出土する3世紀頃の鉄刀は、どれも100センチ前後であり、今のところ、魏の五尺刀とみられる鉄刀は発見されていない。


補足2:節刀(せっとう)
  日本の古代(奈良時代から平安時代)において、天皇が出征する将軍または遣唐使の大使に持たせた、任命の印としての刀。
標の太刀(しるしのたち)、標剣(しるしのつるぎ)とも。「節」は符節(割り符)のことで、使臣が印として持つ物の意。任務を終了すると、天皇に返還された。節刀を持たされた将軍を持節将軍(じせつしょうぐん)、節刀を持たされた大使を持節大使(じせつたいし)という。
持節将軍は、辺境の反乱を鎮定するために派遣される軍団の総指揮官で、鎮定する対象により、征隼人将軍、征夷大将軍、征東将軍などと呼ばれた。


刀剣の時代的変遷
弥生時代 
  弥生時代 初期〜中期
銅剣
弥生時代の初期に大陸より伝来といわれている。
伝来時の銅剣は、細身で鋭いデザインである。
日本考古学では初期のものが武器として考えられ、巨大化した後期のものは祭器と考える傾向がある。
作成時期により3種類に分けて、初期は「細形」、中期が「中細形」、後期が「平形」と編年分類されている。
その後、日本でも銅剣の鋳造技術を発達させ、弥生時代を通じて盛んに製造されたが、すぐに鉄剣も伝来した。大陸や朝鮮と違って、到来の時期的な差が少ないため、銅剣が戦場で使用されていた時期は比較的短いとされる。鉄剣が主流になってからは、銅剣は次第に主に儀式に使用されていったと考えられている。

銅矛(どうほこ)
朝鮮半島から入ったと思われ弥生時代中期頃から九州のみで生産されていたと思われる。
その後、銅剣・銅戈などのように、しだいに大型化し祭器化する。

銅戈(どうか)
元来は戦車などでの戦闘で適した形状として発達した武器であるが、日本や朝鮮半島では刃部のみが大型化した形態として発掘される。
日本における銅戈はその形状や使用痕が殆んどないことから、戦闘用ではなく祭礼用であろうと推測される。
長野県の中野市の柳沢遺跡で七本の銅戈が発見され、これが北限となる。


弥生時代 後期中葉頃〜 終末期
鉄剣(鉄槍も含む)・鉄刀
   主として九州島北部において弥生中期中葉〜 後半頃から,
   本州島関東以西等において弥生後期中葉〜 後半頃からみられ、
青銅器,玉製品等とともに,地域を越えて広域に流通していたとされる。

日本列島の鉄剣のうち,弥生後期中葉頃〜 終末期の長剣等は舶載品、短剣は日本列島製が多く含まれる可能性がある。 
               (日本考古学雑誌 第23号 p19−p39より引用)


古墳時代
  古墳時代前期
古墳時代に入ってから、鉄製の刀剣が日本で製造されるようになった。
当時は海外と同じように直刃、両刃の直剣であった。
両刃の剣は日本では5世紀末までに廃れ、古墳時代の大部分は直刀が用いられた。


古墳時代中期(AD400-AD500頃)
5世紀頃から大刀が用いられるようになった。

頭椎大刀(かぶつちたち)
分類:直刀   時代:古墳〜平安(〜AD950)
古墳時代から見られるようになった刀剣の中で、恐らくもっとも古い刀剣が頭椎大刀である。
直刀で片刃の、斬ることを主とした刀剣であり、その柄頭の形状から頭椎と名付けられた。
初めて、頭椎大刀の名が出てきたのは、『古事記』の神代之巻であり、また『日本書紀』にもその名が記されている。
柄頭を丸い塊にした頭椎大刀は、その特徴的な形状が同時期や、それ以前の中国や朝鮮などの刀剣にも見られない為、日本固有の形状であったと考えられている。
しかし、一部の刀剣の頭椎部には、銀によって象眼され、装飾されたものもあり、果たしてその当時の日本で銀が精錬出来たのか?と言う疑問もある。 

円頭大刀(えんとうたち)
分類:直刀    時代:古墳〜奈良
円頭大刀は古墳時代から奈良時代にかけて使用されていた刀剣。
作りは非常に簡素なものとなっている。
刀身は直刃で平造りのため、斬る、突くといったことを専門とした刀剣であった。
柄頭の先端が丸められており、そこから今日の考古学者が円頭と名付けた。
頭椎大刀と比べると、柄頭の膨らみが小さいため、頭椎大刀の亜種であるという考えもある。
柄頭には、銀によって象眼され装飾されたものがある。
このことから、高貴な身分のものが携帯していたものと考えられている。
時代が進むにつれ、新しい形の刀剣の登場とともに、この刀剣はやがて儀式用の刀剣となっていった。

環頭大刀(かんとうたち)
分類:直刀   時代:古墳〜平安(〜AD950)
環頭大刀は、古墳時代から平安時代初期まで見られていた、直身、片刃の刀剣で、斬る、突くを専門としたものである。
起源は中国で作られていたもので、前漢(BC206〜AD8年)代の遺物に、ほぼ同型の刀剣を見ることが出来る。
環頭の名は、柄頭が輪のような形状をしていることから。
長さは60センチくらいから110センチくらいとやや長寸である。
最初期の環頭大刀は簡単な円形のみの簡素なもので、後に輪の中に龍、鳳凰、朱雀、虎などの動物を象った豪華なものが見られるようになる。
これらは、一般的に使われること無く、軍陣用、儀式用などの特殊なかたちで使われた。


古墳時代後期〜終期
蕨手刀(わらびてとう)
概要:
古墳時代終末期の7世紀から8世紀頃にかけて東北地方を中心に制作された。
7世紀後半頃の東北地方北部の古墳の副葬品の代表例。
太刀身の柄端を飾る刀装具である柄頭が、蕨の若芽のように渦をまくのがデザイン的特徴である。
また、柄には木を用いず、鉄の茎(なかご)に紐や糸などを巻いて握りとしている共鉄柄(ともがねつか)である。

出土地域
日本全国で200点以上が確認されている。ほとんどが古墳や遺跡からの出土である。
発見場所の分布は北海道・東北地方が多く特に岩手県からの出土が70点以上と極めて多い。
甲信越地方にも例が見られ、四国九州にも若干存在する。
なお、正倉院にも蕨手刀が保存されている。

形状の地域性・時代的変遷
現在最古のものとされる蕨手刀  
   長野県古見立古墳出土  7世紀初頭(600年代初頭)のもの。
   一番古式なのは中部・関東地方、次に畿内以西、その後東北地方へ伝搬。

従って蕨手刀の伝播は、信濃国→武蔵国→陸奥国→出羽国→北海道へ伝わったと考えられている。
東北地方へその製法が伝わったのは8世紀初頭と考えられている。

初期の形状は柄と刀身が直線的であるもの(直刀)が多い。
東北地方では、刃が上を向くように柄に反りを生じるようになる。
また新しい年代のものには柄に毛抜形の透かしの入った形状を持つものもある。



弘前市教育委員会 HPより引用

圭頭大刀(けいとうたち)
分類:直刀   時代:古墳〜奈良(〜AD784)



飛鳥時代〜奈良時代
  黒作大刀
金具の材質が銅もしくは鉄であり、握りには糸,紐,革等を巻き付けられている。
そして木で作った鞘には黒漆が塗られている。 このように全体的な色の割合が黒で占められている為、 黒作大刀と呼ばれ、また黒漆の大刀とも言う。 当時、豪華な装飾が施された高級品は実戦では使われなくなり、 代わりとして質素で実用的な要素を備えた黒作大刀が主要武器として 用いられるようになった。
壬申の乱においても、この黒作大刀が用いられた記録がある。

東北地方の蕨手刀
奈良時代初頭から、大和朝廷による蝦夷征討策が本格化し、それに伴って刀剣の形状が大きく変化してくる。
特に東北地方の蕨手刀は刃が上を向くように柄に反りを生じるようになる。
これは騎馬による戦いを考慮した形状と考えられる。

『蕨手刀 日本刀の始原に関する一考察』より
「岩手を中心にその遺跡が密集し、関東以西のものとは型式を別にした異様な蕨手刀が発見されているのをみると、これは蝦夷のなかでも俘囚と呼ばれる中央の文化に接近した人々が佩用したものとすることも可能で、はじめはそれも征夷の士から伝えられたものとみられるが、これを享受した俘囚の刀工が鍛冶し、また古墳も営造し、そこに副葬されたものと考えられる。」


平安時代 前期〜中期
  日本刀出現の前夜と言うべき時期で、既存の刀剣に画期的な変革が起こり始める。

平安時代前期(AD800-AD900頃)
毛抜形蕨手刀
東北地方が朝廷の律令軍によって制圧支配された後、胆沢地方の蝦夷が弘仁年間(9世紀初め)以降に開発したものと考えられている。蝦夷の刀である蕨手刀を改良したもので、蕨手刀の柄の部分を細く刳り抜いた
後々、太刀(日本刀の原型・基盤)へと発展していく。
この毛抜形蕨手刀は岩手県と北海道にだけ出土しており、関東以西の出土例はない。
特徴的なのは、蕨手刀の柄に透かしをつけたことにある。
この透かしに指先をかけることにより、柄を握る力を強め、共鉄柄(刀身と柄が一体の刀)の弱点であった斬撃時の強い衝撃を緩和し、斬撃力を向上させる効果を有していた。
前述のように、出土例から考えれば、柄に透かしをつけるアイディアは蝦夷のものとみられる。
律令軍が用いた直刀と違い、蝦夷の戦術は馬を駆けさせながら斬りつける疾駆斬撃戦であり、それを可能としたのが、蕨手刀であった。
それをさらに使いやすく、かつ強力にしたのが、毛抜形蕨手刀である。
後に柄頭から特徴的であった蕨形の装飾を廃したのが、毛抜形刀(これも蝦夷が開発した刀)であり、この毛抜形刀を長大化したのが、毛抜形太刀=日本刀の原型である。


平安時代中期
毛抜形大刀 (毛抜形刀 けぬきがたたち)

毛抜形蕨手刀(蕨手刀の改良刀)と毛抜形太刀(日本刀の原型)の中間に位置する刀と言えるもので、9世紀末の東北蝦夷が開発したものだが、この刀を内国の武人・武官が参考にして、毛抜形太刀へと発展させることとなる(刀の長大化=太刀への発展は騎馬戦が盛んになった坂東の要望に合わせて作られたものとみられる)。

出土例は北海道と秋田県に一点ずつであり、資料的には少ない。
秋田県のものは、元慶2年(878年)の出羽国俘囚の乱で俘囚勢力が用いた刀とみられており、彼らに苦戦した内国武人達は、これをきっかけとして、俘囚の戦術・武器を参考にしたものと考えられる。
それまでこの刀の系統の名の由来でもあり、200年近くにわたって柄頭の装飾だった蕨形の飾りが廃され、方形となった(そのため、名称から蕨手の二字が抜ける)。
刀身の長さは50センチ程度であり、まだ太刀の基準を満たしていないため、毛抜形刀と呼称される。
(毛抜形太刀になると70センチほどになる)。

毛抜形太刀 (日本刀の原型)
平安時代中期頃に登場した太刀であり、日本刀の原型(起源)と考えられている刀である。
衛府の太刀」とも呼ばれた毛抜形太刀だが、『白河上皇高野御幸記(高野行幸記)』では、「俘囚野剣」とも呼ばれている。

舞草刀(もくさとう)
舞草鍛冶は岩手県一関市で発祥したと伝わる伝説的な流派。



平安時代中期〜後期〜鎌倉時代
  日本刀
一般的に呼ばれる刀剣はこの「彎刀」のことを差す。
また、彎刀の中でも、刀身の長さや、その着用方、作られた年代によりさらに、細かく分類される。

日本刀の分類
 @長さによる分類
     短刀・・・・・・30cm未満 
     脇差・・・・・・30cm以上〜60cm未満
     太刀・刀・・・60cm以上
     
      刀と太刀の区別
        太刀=茎に刻んである作者銘が刃を下にして腰に佩いた時外側に刻んであるもの。
        刀=刃を上にして腰に指した時外側に刻んであるもの(ただし例外もあり)。
 
 A造られた年代による分類
呼 称 分類  年号 西暦 時代
直 刀 上古刀  古墳時代〜大同3頃 805頃まで 古墳・飛鳥・奈良
古 刀 日本刀 大同4〜元亀3 806〜1572 平安・鎌倉・室町
新 刀 日本刀 天正1〜慶応3 1573〜1867 安土桃山・江戸
現代刀 日本刀  明治1〜平成 1868〜現在 明治・大正・昭和・平成


B作風による分類
    代表的な生産地五カ国の刀工達の作風による分類。
    これを「五カ伝」という。 
五カ伝 特 徴 古刀期の著名刀工
山城伝 直刃(すぐは=直線的な刃文)が多い 三条宗近、来国俊、来国光など
大和伝 柾目肌(まさめはだ=柾目板のような鍛肌)が基調 千手院一類、当麻、手懸など
相州伝 乱れ刃に沸(にえ=焼刃のなかに見られる細かい粒)が多い 新藤五国光、正宗、貞宗など
美濃伝 刃中に尖り刃をまじえる 兼氏、兼定、村正一類など
備前伝 匂い(におい=焼刃の形にそってみられる白い線)
本意で丁子乱か腰の開いた乱刃のもの
友成、正恒、包平など

 
 
   
参考資料
石井昌国 『蕨手刀 日本刀の始原に関する一考察』 (雄山閣出版 1966年)



野島 永 「弥生時代後期から古墳時代初頭における鉄製武器をめぐって」 『河P正利先生退官記念論文集 考古論集』(2004年)所収

会下和宏 「弥生時代の鉄剣・鉄刀について」 (日本考古学雑誌 第23号 p19−p39)



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刀剣の時代的変遷
刀剣とは・・・
握りと同じ位かそれより長い刃もしくは剣身を備えている武器の総称。
一般的には剣は両刃のものを指し、刀は片刃のものを指すが、これに限らないものも存在する。
刀剣と言えば先ず日本刀が想起されるかもしれないが、それが出来上がるまでには、刀剣はその形状および機能をを変えながら進化して行った。