国名 御代 親族関係 国造名 備考 本文・補足

31 无邪志 13成務 出雲臣祖二井之宇迦諸忍之神狭10世孫 兄多毛比命
(えたもひのみこと)
武蔵国 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に出雲臣)の先祖の名は二井之宇迦諸忍之神狭命(ふたいのうかもろおのかむさのみこと)の十世の孫の兄多毛比命を国造に定められた。
无邪志国造(むさしのくにのみやつこ・むさしこくぞう)
武蔵国東部を支配した国造。無邪志国造・武蔵国造とも。
祖先
建比良鳥命。出雲国造・遠淡国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造などと同系。
成務朝に二井之宇迦諸忍之神狭命の10世孫の兄多毛比命が无邪志国造に任じられたという。
氏族
丈部氏、のち武蔵氏。姓は直だが、のち宿禰。一族として笠原氏・物部氏・大伴氏・檜隈舎人氏などがある。
後裔
笠原使主・・・・安閑朝の武蔵国造。笠原小杵と相続争いを起こした。
物部兄麻呂・・・・推古朝の舎人。武蔵国造。
丈部不破麻呂・・・・奈良時代の官人。藤原仲麻呂の乱の功績で武蔵宿禰を賜り、武蔵国造に任じられた。


32 胸刺 岐閇国造祖 兄多毛比命児 伊狭知直
(いさちのあたい)
岐閇国造(ぎへのくにのみやつこ)の先祖の兄多毛比命の子の伊狭知値を国造に定められた。

33 知々夫 10崇神 八意思金命10世孫 知知夫彦命
(ちちぶひこのみこと)
武蔵秩父 瑞籬の帝(崇神天皇)の御世に八意思金命(やこころおもいのかねのみこと)の十世の孫の知知夫彦命を国造に定められた。大神を斎奉る。
知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ・ちちぶこくぞう)
武蔵国西部を支配した国造。秩父国造とも。
祖先
八意思兼命。高皇産霊尊の子。思慮深い神。天児屋根命と同一神説がある。
『国造本紀』には崇神朝に10世孫の知々夫命が知々夫国造に任じられたとある。
氏族
大伴部氏か。姓は直。
後裔
天上腹・天下腹・・・・景行朝の人。大伴部氏の祖?磐鹿六狩命に従って天皇に料理を献上した。
大伴部赤男・・・・奈良時代の武蔵国入間の豪族。外従五位下。知々夫国造の末裔か?


.34 須恵 13成務 茨城国造祖建許侶命児 大布日意彌
(おおぬのひおみのみこと)
上総周准 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に茨城国造の先祖の建許呂命の子の大布日意彌尊を国造に定められた。
須恵国造(すえのくにのみやつこ)
現在の千葉県小糸川流域にあった須恵国(後の上総国周淮郡)を支配した国造。周淮国造と表記されることもある。
祖先
成務天皇の時代、茨城国造の祖・建許侶命の子である大布日意弥命が国造に定められたことに始まるとされ、兄弟関係にあった初代の馬来田国造である深河意彌尊と同時期に国造に定まったといわれる。
氏族
大布日意弥命(茨城国造の祖・建許侶命の子)


35 馬来田 13成務 茨城国造祖建許侶命児 深河意彌
(ふかかわおみのみこと)
上総国中西部 志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に茨城国造の先祖の建許呂命の子の深河意彌尊を国造に定められた。
馬来田国造(うまくたのくにのみやつこ、まくたのくにのみやつこ、うまくたこくぞう、まくたこくぞう)は
上総国中西部を支配した国造。
祖先
成務天皇朝に天津彦根命の子孫で茨城国造の祖とされる建許呂命の子の深河意弥命が馬来田国造に定められたのに始まるという。


36 上海上 13成務 天穂日8世孫 忍立化多比命
(おしたちけたひのみこと)
上総国中部 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に天穂日命(あめほひのみこと)の八世の孫の忍立化多比命を国造に定められた。
上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ・かみつうなかみこくぞう)
上総国中部を支配した国造。上菟上国造とも。
祖先
古事記』によると建比良鳥命。別名は武夷鳥命・天夷鳥命・天日照命など。天穂日命の子。『国造本紀』その7世孫忍立化多比が成務朝に上海上国造になり、その孫久都伎直が応神朝に下海上国造になったという。
氏族

後裔


37 伊甚 13成務 安房国造祖伊許保止命孫 伊己侶止直
(いころとのあたい)
上総国東部 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に安房国造(やすふさのくにのみやつこ)の先祖の伊許保止命(いこほとのみこと)の孫の伊己侶止直を国造に定められた。
伊甚国造(いじむのくにのみやつこ・いじみのくにのみやつこ・いじむこくぞう・いじみこくぞう)
上総国東部を支配した国造。伊自牟国造とも。
祖先
建比良鳥命。成務朝に阿波国造の祖伊許保止命の孫の伊己侶止命が伊甚国造に任じられたという。
氏族
春部(春日部)氏か。出雲国造・遠淡海国造・上菟上国造・下菟上国造・无邪志国造・阿波国造などと同系。
後裔
伊甚稚子・・・・古墳時代の豪族。安閑朝の伊甚国造。
         過失のため伊甚屯倉を春日山田皇女皇后に献上したという。


38 武社 13成務 和迩臣祖彦伊祁都命孫 彦忍人命
(ひこおしひとのみこと)
上総国北東部 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に和邇臣の先祖の彦意祁都命(ひこおきつのみこと)の孫の彦忍人命を国造に定められた。
武社国造(むさのくにのみやつこ・むさこくぞう)
上総国北東部を支配した国造。牟邪国造とも。

祖先
日子国意祁都命。天足彦国押人命の子。姥津媛の兄。
成務朝に孫の彦忍人命が武社国造になったという。
氏族
牟邪氏・・・・姓は直?。和珥氏・小野氏・丈部氏などと同系。
        渡来系の身狭(牟佐)氏(姓は村主)とは別系とされる。


39 菊麻 13成務 无耶志国造祖 兄多毛比命児 大鹿国直 市原市北部から千葉市南部 志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に无邪志国造の先祖の兄多毛比命の子の大鹿国直(おおかくにのあたい)を国造に定められた。
菊麻国造(きくまのくにののみやつこ)
現在の市原市北部から千葉市南部の村田川流域にあった菊麻国を支配していた国造。
祖先
成務天皇の時代、无邪志国造の祖である兄多毛比命の子の大鹿国直を国造に定めたことにはじまるとされる。
胸刺・波伯・大嶋の国造も兄多毛比命の子とされるので、同系とされる。
氏族
大鹿国直(无邪志国造の祖・兄多毛比命の子)


40 阿波 13成務 天穂日8世孫彌都侶岐孫 大伴直大瀧
(おおとものあたいおおたき)
千葉県南部。 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に天穂日命の八世の孫の彌都○(人偏呂)岐命(みつろぎのみこと)の孫の大伴直大瀧を国造に定められた。
阿波国造(あわのくにのみやつこ・あわこくぞう)
安房国南部を支配した国造。安房国造とも。
祖先
建比良鳥命・・・・成務朝に子孫の伊許保止命が阿波国造に任じられたという。
天太玉命・・・・神武天皇東征の際、この孫の天富命が阿波国から移り住み、安房郡と名づけたという。
氏族
大伴氏・・・・姓は直。
忌部氏・・・・姓は首。後に宿禰。


41 印波 15応神 神八井耳命8世孫 伊都許利命
(いつこりのみこと)
下総印旛 軽島豊明の帝(応神天皇)の御世に神八井耳命(かむやいみみのみこと)の八世の孫の伊都許利命を国造に定められた。

印波国造(いんばのくにのみやつこ・いんばこくぞう)
下総国中部を支配した国造。
祖先
神八井耳命
氏族
丈部氏
神社
麻賀多神社・・・・千葉県成田市。祭神は稚産霊命。境内社に印旛国造神社などがある。


42 下海上 15応神 上海上国造祖孫 久都伎直
(くつきのあたい)
千葉県銚子市・海上郡・香取郡 軽島豊明の帝(応神天皇)の御世に上海上国造の先祖の孫の久都伎直を国造に定められた。
下海上国造(しもつうなかみのくにみやつこ・しもつうなかみこくぞう)
下総国東部を支配した国造。下菟上国造とも。
祖先
『古事記』によると建比良鳥命。別名は武夷鳥命・天夷鳥命・天日照命など。天穂日命の子。
『国造本紀』では、その7世孫の忍立化多比が成務朝に上海上国造になり、その孫久都伎直が応神朝に下海上国造になったという。
敏達天皇の孫百済王の末裔。
氏族
出雲氏・・・・出雲国造・无邪志国造・上海上国造・伊自牟国造・遠淡海国造などと同系。
海上氏(他田日奉部氏)・・・・姓は真人。大原氏と同系。奈良時代には海上郡司を務めた。


43 新治 13成務 美都呂岐命児
(みつろぎのみこと)
比奈羅布命
(ひならふのみこと)
常陸国新治郡
茨城県下妻市・下館市
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に美都呂岐命の子の比奈羅布命を国造に定められた。
新治国造(にいはりのくにのみやつこ・にいはりこくぞう)
常陸国西部を支配した国造。
祖先
『常陸国風土記』によると、崇神朝に新治国造の祖である比奈良珠命が東征でこの地に至ったという。
『国造本紀』によると、成務朝に美都呂岐命の子の比奈布命が新治国造に任じられたという。
氏族
新治氏 …… 姓は直


44 筑波 13成務 忍凝見命孫(天津彦根の後裔か) 阿閇色命
(あへしこのみこと)
茨城県つくば市・伊奈町・谷和原村 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に忍凝見命(おしこりみのみこと)の孫の阿閇色命を国造に定められた。
筑波国造(つくばのくにのみやつこ・つくばこくぞう)
常陸国南部を支配した国造。
祖先
『常陸国風土記』によると、この地は昔は紀の国といっていたが、崇神朝の国造の筑波命が自分の名前の国名に改めたという。
『国造本紀』によると、成務朝に忍凝見命の孫の阿閇色命が筑波国造に任じられたという。
氏族
筑波氏
後裔
筑波 某・・・・神功朝の豪族。建許呂命の子。湯坐氏の祖


45 茨城 15応神 天津彦根命孫 筑紫刀禰
(つくしとね)
建許呂の子? 軽島豊明の帝[応神天皇]の御世に天津彦根命(あまつひこねのみこと)の孫の筑紫刀禰を国造に定められた。
茨城国造(いばらきのくにのみやつこ・いばらきこくぞう)
常陸国中部を支配した国造。茨木国造とも。
祖先
天津彦根命。
応神朝にこの孫の筑紫刀禰が茨城国造に任じられたという。
馬来田国造・須恵国造・師長国造・周防国造も同系。
氏族
壬生氏・・・・姓は連。皇子の養育料の負担を担当。
湯坐氏・・・・姓は連。皇子・皇女の養育を担当。
後裔
壬生麻呂・・・・古墳時代の豪族。茨城国造。『常陸風土記』に登場。


国名 御代 親族関係 国造名 備考 本文・補足

46 13成務 伊豫国造同祖
(いよのくにのみやつこ)
建借馬命
(たけかしまのみこと)
常陸那珂
茨城県那珂湊市・勝田市
志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に伊豫国造の同じ先祖の建借馬命を国造に定められた。
仲国造(なかのくにのみやつこ・なかこくぞう)
常陸国東部を支配した国造。那珂国造・那賀国造・常道仲国造とも。
祖先
神八井耳命。その後裔の建借間命が成務朝に仲国造に任じられたという。
氏族
壬生氏
後裔
大建壬生夫子・・・・古墳時代の伝説上の人。仲国造。


47 久自 13成務 物部連祖伊香色雄命3世孫 船瀬足尼
(ふなせのすくね)
常陸国久慈郡。
茨城県日立市・常陸太田市
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に物部連の先祖の伊香色雄命(いかしこおのみこと)の三世の孫の船瀬足尼を国造に定められた。
久自国造(くじのくにのみやつこ・くじこくぞう)
常陸国北中部を支配した国造
祖先
成務朝に伊香色雄命の3世孫の船瀬足尼が久自国造に任じられたという。
氏族
釆女氏または丈部氏のち有道氏


48 13成務 彌都呂岐孫 彌佐比命
(みさひのみこと)
常陸多賀 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に彌都呂岐命の孫の彌佐比命を国造に定められた。
高国造(たかのくにみやつこ・たかこくぞう)
常陸国北部を支配した国造。多珂国造とも。
祖先
建比良鳥命。別名は武夷鳥命・天夷鳥命・天日照命など。天穂日命の子。
『常陸風土記』によると成務朝にその子孫の建御狭日命(『国造本紀』では弥佐比命)が高国造に任じられたという。
氏族
岩城氏(磐城氏)……出雲氏の後裔。姓は直
後裔
岩城美夜部または岩城美夜都・・・・古墳時代の豪族。多珂国造。多珂国を多珂郡と岩城郡とに分割申請した。


49 淡海 13成務 彦坐王3世孫 大陀牟夜別
(おおたむやわけ)
近江野洲 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に彦坐王(ひこいますのおおきみ)の三世の孫の大陀牟夜別を国造に定められた。
淡海国造(おうみのくにのみやつこ・おうみこくぞう)
近江国西部(琵琶湖西岸)を支配した国造。近淡海(ちかつおうみ)国造とも。
祖先
『古事記』によると祖は天押帯日子命で、春日氏・小野氏と同系。
『国造本紀』によると、成務朝に彦坐王3世孫の大陀牟夜別が淡海国造に任じられたという。
氏族
淡海氏。小野氏と同族か。淡海三船らは大友皇子の子孫なので別系。
氏神
建部大社・・・・滋賀県大津市。祭神は日本武尊。近江国一宮。
後裔
大陀牟夜別・・・・淡海国造。安国造の祖。彦坐王3世孫。娘の両道入姫命は日本武尊に嫁いで稲依別王を産んだ。
犬上御田鍬・・・・飛鳥時代の外交官。遣隋使。初代遣唐使


50 額田 13成務 和迩臣祖 彦訓服命孫 大直侶宇命
(おおちろうのみこと)
所在地不詳
美濃国池田郡額田郷。または近江国坂田郡。現在の岐阜県池田町。または滋賀県米原市。
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に和邇臣の先祖の彦訓服命(ひこくにふくのみこと)の孫の大直呂宇命を国造に定められた。
額田国造(ぬかたのくにみやつこ・ぬかたこくぞう)
美濃国西部(または近江国東部)を支配した国造。
祖先
彦国葺命の孫の大真侶古命が成務朝に額田国造に任じられたとある。
氏族
額田氏。姓は直。後には宿禰を与えられた者もいた。和珥氏・粟田氏・真野氏などと同系。
後裔
額田今足・・・・平安時代の法律家。明法博士。律令の注釈を公定することを請願し、『令義解』撰修の先駆けとなった。


51 三野前 09開化 彦坐王子 八瓜命
(やつりのみこと)
美濃国。
岐阜県美濃地方。
春日率川の帝(開化天皇)の御世に皇子の彦坐王の子の八瓜命を国造に定められた。
三野前国造(みののさきのくにのみやつこ・みののさきのこくぞう・みののみちのくちのくにのみやつこ・みののみちのくちこくぞう)
美濃国を支配した国造。美濃国造とも。
祖先
神大根王が祖という。本巣国造の後身?
氏族
三野氏。姓は直。三野本巣氏なとと同系


52 三野後 13成務 物部連祖出雲大臣命孫 臣賀夫良命
(おみかふらのみこと)
美濃国東部。
岐阜県美濃地方東部
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に物部連の先祖の出雲大臣命の孫の臣賀夫良命国造に定められた。
三野後国造(みののしりのくにみやつこ・みののしりのこくぞう)
美濃国東部を支配した国造。
祖先
出雲大臣命の孫の臣賀夫良命が成務朝に三野後国造に任じられたという。
氏族
美濃後氏。姓は直。物部氏などと同系。


53 斐陀 13成務 尾張連祖瀛津世襲命(おきつよそのみこと)の児 大八椅命
(おおやきのみこと)
飛騨
岐阜県高山市・飛騨市・下呂市・白川村
志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に尾張連の先祖の瀛津世襲命の子の大八埼命を国造に定められた。
斐陀国造(ひだのくにのみやつこ・ひだこくぞう)
飛騨国を支配した国造。斐太国造・飛騨国造とも。
祖先
成務朝に瀛津世襲命の子の大八埼命が斐陀国造に任じられたという。
氏族
斐陀氏。姓は国造。物部氏・尾張氏などと同系。
氏神
飛騨総社・・・・岐阜県高山市。飛騨国総社。
水無神社・・・・岐阜県高山市。祭神の水無神は天火明命の別名とする説がある。飛騨国一宮。
後裔
飛騨高市麻呂・・・・奈良時代の豪族。飛騨国大野郡大領。造西大寺判官。
飛騨石勝・・・・奈良時代の官人。治部大録。従六位下。
飛騨祖門・・・・奈良~平安時代の官人。従七位下で飛騨国造に任じられた。


54 上毛野 10崇神 豊城入彦(崇神皇子)孫 彦狭嶋命
(ひこさしまのみこと)
上野国
群馬。
瑞籬の帝(崇神天皇)の御世に皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の孫の彦狭島命が初めて東方十二国を平定されたとき封ぜられた。
上毛野国造(かみつけぬのくにのみやつこ・かみつけぬこくぞう・かみつけののくにのみやつこ・かみつけのこくぞう)
上野国を支配した国造。もと毛野国造で、仁徳天皇朝~孝徳天皇朝に下毛野国造と分裂した。
祖先
『日本書紀』によると、崇神天皇の皇子豊城入彦命が東国統治を命じられ、上毛野国造や下毛野国造などの祖先になったという。また、その孫の彦狭嶋王が景行天皇朝に東山道十五国都督に任じられ、その子御諸別王も引き続き、善政を行ったという。
氏族
上毛野氏。姓は君。天武天皇13年(684年)に朝臣を賜った。
東国統治を担当し、しばしば蝦夷と交戦した。


55 下毛野 16仁徳 豊城命4世孫 奈良別
(ならわけ)
元毛野国分為上下 難波高津の帝(仁徳天皇)の御世に元は毛野国を分けて上と下とにした。豊城命の四世の孫の奈良別を初めて国造に定められた。
下毛野国造(しもみつけぬのくにのみやつこ・しもつけぬこくぞう・しもつけののくにのみやつこ・しもつけのこくぞう)
下野国を支配した国造。もと毛野国造で、仁徳天皇朝~孝徳天皇朝に上毛野国造と分裂した。
祖先
『日本書紀』によると、崇神天皇の皇子豊城入彦命が東国統治を命じられ、上毛野国造や下毛野国造などの祖先になったという。
また、その孫の彦狭嶋王が景行天皇朝に東山道十五国都督に任じられ、その子御諸別王も引き続き、善政を行ったという。
『旧事本紀』によると、仁徳天皇朝に豊城入彦命の4世孫の奈良別が下毛国造に任じられたという。


56 道奥菊多 15応神 建許呂命児 屋主刀禰
(やぬしのね)
陸奥国菊多郡
福島現いわき市
軽島豊明の帝(応神天皇)の御世に建許呂命(たけころのみこと)の子の屋主乃禰を国造に定められた。
道奥菊多国造(みちのおくのきくたのくにのみやつこ)
令制国での陸奥国菊多郡(きくたのこおり)辺りにあった菊多国を支配した国造。
祖先
応神天皇の時代、茨城国造の祖・建許侶命の子である屋主刀禰 (やぬしのとね、または屋主乃禰:やぬしのね)を国造に定めたことに始まるとされる。
氏神
國魂神社(くにたまじんじゃ)は菊田郡窪田郷(現在の福島県いわき市勿来町窪田馬場72)に鎮座する。
菊多国造が創祀したと伝わる神社。


57 道口岐閉 15応神 建許呂命児 佐比刀禰
(うさひのね)
常陸国多可郡 軽島豊明の帝(応神天皇)の御世に建許呂命の子の宇佐比乃禰を国造に定められた。
道口岐閉国造(みちのくちのきへのくにみやつこ・みちのくちのきへこくぞう)
常陸国北端を支配した国造。道尻岐閉(みちのしりのきへ)国造・岐閇国造とも。
祖先
建許呂命。応神天皇朝にその子の宇佐比乃禰が道口岐閉国造に任じられたという。


58 阿尺 13成務 阿岐国造同祖天湯津彦命10世孫 比止禰命
(ひとねのみこと)
安積
福島県郡山市
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に阿岐国造(あきのくにのみやつこ)の同祖の天湯彦命(あまのゆつひこのみこと)の十世の孫の比止禰命を国造に定められた。
阿尺国造(あさかのくにのみやつこ)
東辺を阿武隈川が流れる安積平野、令制国での陸奥国安積郡(あさかのこおり)(現福島県郡山市(旧安積郡を包含))に相当する地域にあった阿尺国を支配した国造。
祖先
成務天皇の時代、阿岐国造と同祖の天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)の10世の孫である比止禰命(ひとねのみこと)を国造に定めたとある。
氏族
天湯津彦命を同じ祖をとする東山道系の国造に、染羽国造、伊久国造、思国造がいる。
また、天降天由都彦命(あまくだるあまのゆつひこのみこと)も同一とする説によれば、白河国造も同祖となる
補足
律令制下に入って、養老2年(718年)から養老6年(722年)または神亀元年(724年)3月にかけての短期間であるが陸奥国から石背国へ分割された経緯を持つ阿尺国は、大和朝廷の北進を代表する多賀城築城までは、蝦夷と対峙するヤマト王権の北限の地域にあり、多賀城築城後は守備兵となった古代の軍団「安積団」の本拠地になったと推定されている。

59 13成務 阿岐国造同祖10世孫 志久麻彦
(しくまひこ)
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に阿岐国造の同祖の十世の孫の志久麻彦を国造に定められた。

60 伊久 13成務 阿岐国造同祖10世孫 豊嶋命
(とよしまのみこと)
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に阿岐国造の同祖の十世の孫の豊島命を国造に定められた。

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参考資料
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先代旧事本紀 巻第十  国造本紀その2
百四十四ヵ国のうち、31-60まで記載