三条小鍛治宗近
平安中期の刀匠。
天下五剣にして国宝である「三日月宗近」、「小狐丸」の作刀者。

  天下五剣


三条宗近について
三条宗近とは
三条宗近
 一条天皇の治世(980年−1011年)、永延頃(10世紀末頃)の刀工で、三条派の始祖と伝わる。

 宗近の系統を三条派と呼称する。
 この派には兼永(かねなが)、国永(くになが)、有成(ありなり)、吉家(よしいえ)、近村(ちかむら)などの弟子がいた。
 兼永、国永は五条に移住したという。
 また有成は三条宗近の子と伝え、河内国にも住した、あるいは河内国に移ったとも伝えられる。

 宗近の出自や生涯には諸説有るが、確証は無し。
   一説には、938年(天慶元年)山城国に生まれ、1014年(長和3年)死去したとされる。
   一説には、天国を師とする。
   一説には、公家の出身で、姓は橘、信濃守粟田藤四郎と号すとされる。
         956年生、1033年死去。享年77歳。

  一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲「小鍛冶」に取り上げられている。
  しかし、作刀にこの頃の年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている。


経歴 
  出生については諸説あるが、詳細は不明。

備前住為吉の子と言う説
  永延(987)年中に上京し三条小鍛治と称した。

河内有成と同人であるという説
  天元5年(982年)に上洛し、永延元年(987年)に宗近と改名した。

京都の名門鍛冶である埋忠明寿(うめただみょうじゅ)家の家系図からの説
  宗近は、従四位下「橘仲遠」(たちばなのなかとお)の次男となっている。
  当初の宗近は、「仲宗」(なかむね)と名乗り、続いて宗近に改名。
  従六位上、信濃大掾(しなのだいじょう)に任じられた公卿であった。
  三条の自宅において、公務の余暇に鍛刀を趣味として行っていた。
  その技量が抜群であったため、刀鍛冶として著名となったが、長元6年(1033年)に77歳で没したとされる。
  しかし、これはあくまで一説に過ぎず、詳しい生涯は明らかになっていない。

  橘氏説によれば・・・
    父は、従四位下 播磨守 橘仲遠。
    宗近は初名仲宗で、法興院藤原兼家(東三条大入道殿)に仕え、信濃大掾に任ぜられたということになる。
    その後、979年(天元2年9月29日)に稲丸との闘争の科により、同年11月に薩摩国へ流罪となる。
    三重野に住し、当地の刀工である波平正国、波平行安に師事し刀鍛冶を学ぶ(この間約11年)。
    990年(永祚2年)に許されて都に戻り、洛東白川に住したということになるが、諸説紛々である。


   

   

  


宗近の名前が記されている歴史書・刀剣書
 
観智院本銘尽
  鎌倉時代正和5年(1316年)に記された、我が国における現存最古の刀剣書。
  原本を「正和銘尽(しょうわめいづくし)」、現存する写本を観智院が旧蔵していたことから「観智院本銘尽」と呼ぶ。
  「一条院御宇」の項に、「三条の小鍛冶と言う。後鳥羽院の御剣うきまると云う太刀を作り、少納言信西の小狐同じ作なり」と、ある
「観智院本銘尽」  国会図書館蔵  http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/wa1-4/mokuji.html)



長享銘盡
  室町時代に編纂された刀剣書

  三条小鍛治、寛和元<乙酉>御即位御門ヲ一条ノ院ト申、神武ヨリ六十六代也。
  ……後鳥羽院御釼鵜丸造之。少納言入道信西所持ノ釼同。釼名ノ打ヤウ三条宗近トモ打。
  只三条トモ打。三日月ト云太刀造之。寺丸ト云釼也。又畠山庄次郎重忠太刀三尺一寸造之。
  又弁慶長刀岩融三尺五寸造之。

補足1:橘仲遠 
 

補足2:梅忠明寿(うめただ みょうじゅ)
  埋忠 明寿
永禄元年(1558年) - 寛永8年5月18日(1631年6月17日))
江戸時代初期、慶長のころの山城国の刀工、刀剣金工。
三条宗近の末裔と称する。
新刀以降の鍛刀法である水挫し法を考案したと言われ新刀鍛冶の祖と仰がれる。
初代忠吉などの優れた弟子を育成することにも尽力し、埋忠一門の実質的な祖とも言われている。新刀最上作。

元来が足利将軍家に仕える金工師であったためか、作刀数はごく少なく、現存する作刀の中では不動明王、倶利伽羅竜などの華麗な彫物のある短刀が多く、長物は国の重要文化財に指定されている相馬家伝来の太刀一口のみ。作柄としては刃文は直刃(すぐは)・湾れ刃(のたれば)などを焼く。元来は金工であるため、鍔、はばきなどの金工作品も評価が高い。埋忠一門は刀剣と刀装具を製作するのみならず、刀剣鑑定の権威であった本阿弥家の鑑定を基に、古い太刀を打刀に切り詰めて仕立て直す磨上げの専門家集団でもあり、磨上げに伴って茎に金で象嵌した銘を施すなどもした。名刀に関するこれらの作業のうち1605年(慶長10年)から1660年(万治3年)までのものについては、刀剣集『埋忠刀譜』に刀剣の押形と共に詳細に記録されている。

「刀剣鑑定歌伝附録」より

埋忠家の系譜


三条宗近の刀
三日月宗近
三日月宗近(みかづきむねちか)
  国宝  東京国立博物館所蔵  天下五剣の一振り
  太刀  銘 三条  刃長80.0cm、反り2.7cm、元幅2.9cm  附糸巻太刀拵鞘  
  日野権大納言内光所持→豊臣秀吉→徳川秀忠→中島飛行機の中島喜代一日本特殊鋼創立者渡邊三郎→国宝

  
  



小狐丸(こぎつねまる)
小狐丸
  九条家が秘蔵していたとされるが、現在の所在は不明。
  後一条天皇から守り刀を作るよう命ぜられた。
  しかし満足のいく刀を打てずに困っていた。
  宗近を助ける為、彼の氏神である稲荷明神が童子に化けて宗近と共に作ったと伝えられている。


鷹の巣宗近(たかのすむねちか)