はじめに:目的
 マルクスは、歴史は生産力と生産関係の矛盾により進歩するという考えに基づいて、唯物史観の概念を発展させた。
 唯物史観では、経済活動のあり方とその変化が、歴史を発展・前進させる原動力であるとする。
 すなわち、歴史は神の意志や人間の理性によってではなく、「物」によって動くとされる。
 では、「物」とは何かを突き詰めて考えれば、それはエネルギーに結びつくものであり、中世までは人力がこれを担っていた。
 そして産業革命によって石炭、石油へと変遷したわけであるが、それまでの人力は、食料によってその存在が保証され、鉄器や木材などによってその効率が飛躍的に向上する。
 ここで食料の生産力に注目すると、生産力は気象や地理的要因に大きく左右され、気象と地理の両者にも相互関係がある。従って歴史を理解するためには当時の地理的背景を考慮する事が不可欠とも思われる。
 西伯耆の古代史を考える場合にも同様で、当時の気象や地理を念頭に置きながら様々な考証を展開する必要があると考える。

 そこで、当時の地形を考えると、現在の地形とは大きな乖離があることは容易に想像出来るが、それを全て解決する資料は十分であるとは言い難い。
 しかし、現在までに行われたボーリング調査や、氷床の分析、あるいは古文献や伝承などをもとに古地形の再現がある程度可能なものと考える。
 最初に現在の西伯耆の地形を概観すると、米子平野は、概ね以下の山々に取り囲まれている。
   西側 : 行者山、ドウド山、要害山、母塚山、メイゲ平山
   南側 : 手間要害山、峰山、越敷山
   東側 : 壺瓶山、孝霊山、鍋山、鈑戸山
   南東 : 大山およびその周囲の山々 
 さらに平野の内部には微高地・台地(長者原台地・大谷大地など)が存在し、日野川や各種河川が流れている。山岳部は現在も古代も大きな差異は無いかもしれないが、海岸線、河川、平野部の地形はかなり違ったものであったと推測される。   
 今回は、渉猟可能な文献等から弥生、古墳、飛鳥、奈良時代を中心に当時の西伯耆及び関わりのある地域の古地形の再現を試みた。


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「古代西伯耆の気象・地理に関する文献的考察」
平成27年8月29日(土)日 講演   八尾正己