文献学とは
文献学
過去の文章、言語を扱う学問で、諸外国の学問的歴史において文献学という言葉は、言語作品および文化的に重要な文章を理解するために不可欠な歴史的、文化的な変遷や文学的な側面としての言語を対象とする学問を意味する。
すなわち文献学とは特定の言語の重要な歴史、著作物の理解、文法的および修辞的、歴史的研究を指す。


文献学の諸分野
比較文献学
言語間の関係を研究する学問分野。
18世紀にはじめて注目されるようになったサンスクリット語とヨーロッパ系言語の類似性は、インド・ヨーロッパ語族の考え方を生み出した。
また過去の言語を解読、理解するために希少言語を研究することも19世紀に始まった。

原典考証
複数の写本を元に過去の原典の再現を対象とする学問分野。
再現するに当たっての文献的問題は大いに解釈との関連があり、研究者の思想的背景や研究手法の違いなどにより異なった結論が導かれることもある。

古代文章の解読
古代の文字の解読を対象とする。
古代エジプトやアッシリアの古代文字の解読では19世紀に著しい成果をあげる。
1822年のシャンポリオンによるロゼッタストーンの解読以来、多くの試みがなされている。
地中海文明を知るにあたって重要な、線文字Aと線文字Bであるが、線文字Bはマイケル・ヴェントリスが古代ギリシア文字として解読したと発表したが、異論もある。
線文字Aはいまだ解読されていない。



数理文献学とは
 文献の数理科学的解析
数理科学(mathematical sciences)
数学を応用した学問分野の総称。
狭義の数理科学は数理物理学、応用数学などと同義であるが、広義の数理科学は数学を含めて、物理学、経済学など数学を利用する学問全般を指す。
数学が自然科学に含められる場合が多いことから、数理科学も自然科学の一領域とされることが多く、特に応用に焦点を当てて研究する数理科学分野のことを応用数理科学と呼ぶこともある。

数理文献学
数理文献学
文献学に数理的手法を導入した分野を数理文献学と呼ぶ。

計量文献学
シェクスピアはロジャー・ベーコンのペンネームか、と疑われたとき、両者の文章の癖を統計的に検討して、別人であると結論された。
これを「計量文献学」の始まりとする。
この場合、品詞の使用頻度など、文章を解体した統計数値を比較する。
『源氏物語』の成立経過にも「計量文献学」から成果が得られている。

文献解析学
その典籍の構造を見ながら、多変量解析のみならず、分岐学(cladistics)等も適用し、写本群の系統を推定する学問。

  参照:埼玉大学理学部数学科 矢野環教授のHPより・・・・「古典籍を解析しよう」



歴史学における数理文献学の利用
近代以前の数理文献学の歴史
古代
古代インド
当時の文法家達は、リグ・ヴェーダ(B.C.1500年頃に成立したバラモン教の教典)の、行、単語、音節の 数をくわしく数えている。

BC3,4世紀頃のエジプト
エジプトのアレクサンドリアの学者達は、ホメロスの詩に、 一度だけ現れることばの数を数えている。

中世
マソラ学者(ヘブライ語聖書の注釈学者)
聖書に現れるすべての語を数え上げた。

近代
1867年 ルイス・カンベル (11830−1908:スコットランドの古典学者 聖アンドルーズ大学教授)
カンベルは統計的方法に よって、プラトンの諸著作の執筆時期の確定を行った。
プラトンの諸著作は、どれが初期に書かれたもので、どれが晩年に書かれたものであるか不明だった。
その執筆順序については、プラトンもその弟子達も、直接的な証拠をほとんど残していない。
しかもプラトンは50年とも60年 とも言われる執筆活動の間に、多くの点で意見を変えており、執筆年代を考慮せずにプラトンの哲学の体系を理解 する事は不可能に近かった。
そのため、プラトンの執筆時期については、さまざまな研究が行われた。しかし、キ メ手となるものがなく、結論はマチマチであった。
カンベルは、アリストテレスが大著「法律」をプラトンの最後の著作としている事を手がかりに、稀出語の数などによって、各作品と「法律」との近さを測り、結局、プラトン が老年になってから書いた作品の群として6つの対話篇を決定した。

以後、19世紀から、第一次世界大戦のはじ まる1914年ごろまでには、「統計的手法」によるプラトンの著作研究のいわば隆盛期であった。おもにドイツ の学者により、20あまりの研究があいついで発表された。
この時期に「数理文献学」の基礎が固まったとされる。

那珂通世 (1851−1908 東洋史学者)・・・・『上世年紀孝』
日本における数理文献学の草分け的存在。
辛酉革命説に基づいて日本の紀年問題を研究した「上世年紀考」を史学雑誌に発表した。
その中で、天皇などの一世平均の年数を統計的に調べ、古代の年代を定めようとした。


歴史学における数理文献学、数理科学の利用
1944年 ジョージ・ユール (1871−1952:イギリスの統計学者)
「キリストにならいて」(イミタチオ・クリスチ)の著者を統計的手法で検討した。
光と命の書とも言われたこの古典は、カトリック信者必読の書と言われ、西欧においては、バイブルに ついで、もっとも多く読まれたといわれる。
「キリストにならいて」の著者については、古くから論争が絶えなかった。
ある研究者は30人の人名をあげ、ある人は200人以上の名を挙げている。
長い間の論争の末、著者として二人の人物の名前が浮かびあがってきた。
一人はオランダ・ドイツなど主としてゲルマン語系の国々で支持されたドイツの修道士トマス・ア・ケンピス (1380−1429)であり、もうひとりはイタリア・フランスなど、ラテン語系の国々で支持されたジャン・ジェルソ ン(1363−1429)である。
この2つの説は、たがいに譲らず、邪馬台国論争と同じように、いつ果てるとも知れな い有様であった。
ユールは、厳密な分析を行い、たとえばトマスの他の文章との語との統計による相関係数が0.91 であるのに対して、ジェルソンの文章と「キリストにならいて」との相関係数が0.81にしかならないことなど、豊 富なデータを挙げて、洗練された統計的手法を用いてトマス説に軍配を挙げた。

1968年 チャドウイック (ケンブリッジ大学)
ホメロスの作者論争について、コンピュータを用いて作品中の25万語を分析した。
その結果、ホメロスの全作品には一貫性が有り、同一人物の手によるであるという結論を出した。

1970 安本美典 (1934ー )・・・・『数理歴史学―新考邪馬台国』
コンピューターを用いた計量的方法によって、文章心理学、日本語系統論、日本古代史の研究などにとりくむ。
地図に緯度と経度が必要なように古代史の問題を考える時には「年代」を考えることが根本的に必要であるとして、独自の年代論を展開している。
すなわち、年代論の先駆者とも言える那珂通世は天皇の平均在位年数を約30年としているが、安本はその在位年数が歴史的事実として信頼できる用明天皇から大正天皇まで平均で14.18年と考える。
またこれを4世紀ごとに区分して考えた場合、時代をさかのぼるにつれて在位年数が短くなる傾向にあり5世紀〜8世紀では10.88年となる。
西洋の王や中国の王の平均在位年数についてもほぼ同様の数字と傾向がある。
これらのことから、1世紀〜4世紀については「天皇」の平均在位年数は9年〜10年程度であろうとする。



参考資料
「古事記と日本書紀の謎 コンピューターによる記紀の分析」 (別冊歴史読本第20巻6号 新人物往来社 1995)
Wikipedeia 「文献学」


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数理文献学
文献学に数理科学的手法を導入した学問。
すなわち、文献中にあらわれる特定の単語の長さ、頻度を算出したり、種々の文法的特徴を統計的に分析するによって、文献の情報内容を客観的に評価する方法である。