米子市周辺の遺跡

米子周辺の遺跡の概要
旧石器時代
 大山丘陵地帯に旧跡時代の遺跡。
   大山町門前第2遺跡では、22,000年前のナイフ形石器製作の跡が見つかっている。
   大山山麓の標高100mほどの丘陵地を中心に、旧石器時代から縄文草創期の石器が見つかっている。
   中尾遺跡、長谷遺跡から石器遺物が出土。
   淀江町原畑遺跡

 夜見ケ浜人
   鳥取県境港市外江(とのえ)の砂浜で、下顎骨の左半分の破片が発見された。
   中国地方で、唯一の旧石器人化石である。

縄文時代
 旧石器時代の終わりから縄文時代の初め、大山山麓に人々が住み始めた。
 縄文人は、季節に合わせて狩りや漁、採集を行った。県内でも、狩りや漁の道具が発見されている。
 縄文時代後期には、ラグーン(潟湖)周辺と河川の流域を中心に人々の生活範囲が急速に広がっていった。
 遺跡は舄湖周辺に徐々に移動。

弥生時代
 遺跡の多くが再び微高地に移る。

古墳時代
後期に向山古墳群、宗像遺跡群が築かれる。

以下、「米子市宗像1 号墳出土遺物について」より引用
 (東方仁史著:鳥取県立博物館研究報告 Bulletin of the Tottori Prefectural Museum 42: 33 - 49. March 30, 2005)

「旧汗入郡となる淀江町の向山古墳群では,古墳時代中期後葉から継続的に全長50 m を超える前方後円墳が築造されており,西伯耆において大きな勢力を持っていたことが窺える。
後期後葉(TK43 期)にいたって,複室構造の石棺式石室をもつ岩屋古墳が築かれる。向山古墳群においては,これ以降顕著な前方後円墳が築かれない。
旧会見郡では,米子平野南部の長者原台地において,TK43~TK209 期の段階に二子塚古墳や別所1号墳が築かれる。
日野川右岸においては,石州府1 号墳,岸本7号墳のように,宗像1号墳の墳丘規模を上回る大型円墳が築かれる。
長者原台地,日野川右岸の古墳については,前段階に位置づけられる首長墳が認められないという類似点が存在する。
すなわち,向山古墳群で前方後円墳の築造が終わるのと同時期に,前段階に首長墳が見られなかった米子平野中南部で前方後円墳,大型円墳が築かれるという現象が認められる。
こうした状況から,米子平野周辺では,向山古墳群を築いた勢力が弱まり,各地の有力集団が古墳を築いたことが想定できる
また,この中にも,宗像1号墳や別所1号墳のように前方後円墳を築く日野川左岸~法勝寺川下流域と,石州府1号墳や岸本7号墳のように大型円墳を築く日野川右岸地域とがあった。
         日野川左岸(西側)・・・前方後円墳を築く勢力
         日野川右岸(東側)・・・円墳を築く勢力
これらの古墳は,石室形態に大きな違いはなく,それぞれ関係を持ちつつ独自に首長墳を築いたことが考えられる。
宗像1号墳を含む法勝寺川下流の丘陵地帯には,高山古墳や東宗像2号墳などが継続的に築かれている。
この地域一帯を範囲とする勢力が,代々この丘陵上に首長墳が築いていたと考えられる。
ところで,宗像1号墳は墳丘規模がそれほど大きくなく,全長では石州府1号墳や岸本7号墳を下回る。
前方後円形という形はそれまで首長墳に採用されていたものであり,そうした伝統の中で前方後円形を採用していたと考えられ
る。
宗像1号墳は宗像古墳群で最大の規模を持っている。
宗像1号墳に最初に埋葬された人物は,法勝寺川下流域を支配していた勢力の中でも大きな力を持った首長と考えられる」    
                                               

参照:
  
日本史の時代区分」へ

日野川以西(左岸)の遺跡群 日野川以東(右岸)の遺跡群
縄文時代 茶畑山道遺跡
目久美遺跡(目久美町)
上福万遺跡(上福万)
泉中峰前田遺跡(泉)
喜多原第4遺跡(泉喜多原)
弥生前期
目久美遺跡(目久美町)
池ノ内遺跡(美吉)
長砂第1・第2遺跡(長砂)
尾高御立山遺跡(尾高)
日下寺山遺跡(日下)
弥生中期 四日市町遺跡(四日市町)
久米第1遺跡(久米町)
青木遺跡(青木永江)
東宗像遺跡(長砂町・宗像)
妻木晩田遺跡
喜多原第2遺跡(泉喜多原)
日下遺跡(日下)
石州府第1遺跡(石州府)
弥生後期 陰田遺跡群(陰田)
福市遺跡(福市)
尾高浅山遺跡(尾高)
陰田第6遺跡
奈喜良遺跡(奈喜良)
下安曇遺跡
日下墳墓群(日下)
岡成第9遺跡(岡成)
洞の原1-18号墓(淀江町福岡)
古墳前期 日原6号墳(日原)
普段寺1、2号墳(会見町寺内)
研石山1号墳
青木F2号墳
青木F1号墳
浅井11号墳(会見町浅井)
石州府119号墳(石州府)
石州府29号墳(石州府)
日下25号墳(日下)
日下39号墳(日下)
古墳中期 陰田41号墳
三崎殿山古墳(会見町三崎)

新山山田7号墳
青木B1号墳
尾高19号墳(尾高)
日下45号墳(日下)
日下44号墳(日下)
晩田山3号墳(淀江町福岡)
上ノ山古墳(淀江町福岡)
向山4号墳(淀江町福岡)
古墳後期 東宗像5号墳
東宗像6号墳
東宗像2号墳
陰田37号墳
宗像1号墳
別所1号墳
日下12号墳
長者ケ平古墳
石馬谷古墳
岩屋古墳

石州府1号墳(石州府)
石州府56号墳
飛鳥 石州府1,56号墳 石州府6号墳
石州府67号墳
石州府69号墳
晩田31号墳
奈良 陰田遺跡群(陰田町)
久米第1遺跡(久米町)
新山下山遺跡(新山)
日本の古墳所在件数(平成3年文化庁調査 全国合計 161,560基)
   1位 兵庫県 16,577基
   2位 千葉県 13,112基
   3位 鳥取県 13,094基  (鳥取県は全国3番目の古墳数を誇る)
   4位 福岡県 11,311基
   5位 京都府 11,310基



縄文時代の遺跡
茶畑山道(ちゃばたやまみち)遺跡
所在地  
鳥取県西伯郡大山町茶畑

遺跡概要
縄文時代早期から、平安時代に及ぶ遺跡群。
主は弥生時代中期の集落遺跡。
掘立柱建物や、周囲より一段高い所に祭殿と推定される「大型高床建物」などがまとまって確認された。

年代
弥生時代中期

出土品

補足
この遺跡は調査終了後、水田の下に眠ってしまった。


目久美遺跡
所在地  
鳥取県米子市目久美町258(米子駅の南東600m)

遺跡概要
縄文前期から弥生中期, 更に中近世にかけての山陰でも代表的な複合遺跡。
足尾山付近を中心に東西500m、南北400mの範囲に存在。
遺跡は地下1mから4mに埋蔵されていた。
弥生時代の初めごろ、BC400年頃からBC100年頃にかけて水田の跡が見つかっている。
水田の土の中からは当時の米が見つかり、周辺からは鍬や田下駄なども発掘されている。

年代
縄文前期(BC4000年-3000年)
 地形=水辺か浅瀬。中海の入り江の奥に存在した。
 山裾から微高地にかけて、-1mの深さに土器・石器。
縄文中期(BC3000年-2000年)
 地形=水辺か浅瀬。中海の入り江の奥に存在した。
 木の実の貯蔵庫48基。
縄文後期-晩期(BC2000年-400年)
 地形=湿地帯。

弥生前期ー中期(BC400年-AD100年)
 地形=湿地帯。
 水田利用。-1mの深さに在ったと推測される。
 農耕具は木製品(湿地帯であったと考えられる根拠である)

出土品
沖積層の土層が詳しく調べられ, 表土層から最下層(I?IX層)までの各層から中近世・弥生・縄文の各時代の土器, 木器, 石器, 動植物の遺体が多数出土した

補足       


      
上福万遺跡
所在地  
鳥取県米子市

遺跡概要


年代


出土品

補足



弥生時代の遺跡
青木遺跡
所在地  
鳥取県米子市永江 (通称「長者原台地」の北東部に広がる集落遺跡)

遺跡概要
竪穴住居跡、掘立柱建物跡、貯蔵穴、古墳などの遺構が1,000基以上も検出された。
福市遺跡同様に、弥生集落の構成単位が確認されたほか、鳥取県西部では比較的事例の少ない前期古墳が確認された。
各時代の遺跡の存在する丘陵は、その地形によって10の地区に分けられている。

年代

弥生時代中期から奈良時代。

遺構
竪穴住居跡22棟、掘立柱建物総数9棟、土拡10基、古墳19基、周溝墓2基、その他2基
計62基

青木一号墳
     全長33メートル、後円部径18メートル、後円部高さ35メートル、前方部幅16メートル
     高さ3メートルの前方後円墳

遺物
大量の土器が出土し、当地域の編年の標識遺跡の一つとなっている。
土器の他には、石器(石鏃、石斧、石包丁、敲石等)、鉄器(鉄刀、刀子、鉄鎌)、土製品(分銅型土製品、土馬、土牛、土製勾玉、土製鏡)、玉類や銅鏡など数万点の出土があった。

補足
この遺跡の北には小谷を隔てて、福市遺跡がある。


福市遺跡
所在地  
鳥取県米子市福市、通称「長者原台地」上に所在する集落遺跡。

遺跡概要
東西500メートル、南北400メートルの範囲から、竪穴住居跡・土壙墓・古墳・横穴墓などの遺構が217基検出され、居住域と墓域が分離されている。
竪穴住居の形態が円形から方形に変わる様子や、10棟前後を単位とする特徴がある。

年代
弥生時代後期から古墳時代中期を中心とする。

遺構
住居跡90、土壙墓26、古墳1、横穴墓1、柱穴群6、溝2、合計133基ある。

出土品
土器、石器(石斧・敲石・石台等)など約35,000点が出土した。
中でも大型の甑形土器、獣形ミニチュア土器、コマ形紡錘車、鶏形土器、子持勾玉、破鏡など、集落遺跡では珍しいものもみられる。

補足


妻木晩田(むきばんだ)遺跡
所在地  
鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に至る地域。

遺跡概要
弥生時代後期を中心に中期終わり頃から古墳時代前期初頭にわたって営まれていた遺跡。
いわゆる倭国大乱の影響とされる高地性集落。

この遺跡は7つの地区からなり、各地区にはそれぞれ特色がある。
 居住区域
   松尾頭地区、妻木山地区、妻木新山地区
 首長墓区域(大・中・小のさまざまな四隅突出型墳丘墓が出土)
   洞ノ原地区、仙谷地区、松尾頭地区
 環壕区域
   洞ノ原地区

都市計画のように、墳丘墓、首長の居住区域、防護施設(環壕)などの各区域がそれぞれの役割をもち、かつ有機的
につながって一つの拠点集落(クニ)を形成していた。

面積
巻向遺跡に次ぐ国内最大級の弥生集落遺跡。
遺跡の面積は170ヘクタールにもなり、これは発掘当時国内最大級と喧伝された吉野ヶ里遺跡(当時32ヘクタール、現在は調査が進み、約2倍の面積になっている)の5倍にも及ぶ大規模なものである。

遺構
竪穴住居395基、掘建柱建物跡502基、墳丘墓(四隅突出型墳丘墓含む)24基、環壕等が検出されている。

年代
弥生中期末(AD0年頃)
妻木に人が暮らし始める。

弥生後期初頭(AD50頃)
洞ノ原西側丘陵に環壕が掘られ、洞ノ原東側丘陵に四隅突出型墳丘墓がつくられる。
このとき、妻木晩田遺跡に住んだ人々は、ここから東に700mほど離れた妻木新山地区、妻木山地区、松尾頭地区に住まいを構えた。

弥生後期後葉(AD180頃)
住まいの範囲が遺跡全体に広がる。

弥生終期(AD180頃)
この時期を境に、妻木晩田のムラは少しずつ衰えていく、

古墳時代初期(AD250頃)
古墳時代の初め頃には住まいがほとんど見られなくなる。
   
                              AD50年頃           AD150年頃
鳥取県ホームページ 「妻木晩田遺跡の概要」より引用  
遺物
土器、石器(調理具・農工具・狩猟具・武器)、鉄器(農工具・武器)、破鏡等が出土している。
鉄器は197点が出土しており、内訳は鉇・斧・鑿・穿孔具・鍬鍬先・鎌・鉄鏃等、などで大陸性のものも確認されている。

概観-1

鳥取県立むきばんだ史跡公園
開場時間 
午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)  ※7、8月 午前9時~午後7時(入場は午後6時30分まで)
お休み 
第4月曜日(祝日は、その直後の休日でない日)、年末年始(12月29日~1月3日)


陰田遺跡群
所在地  
鳥取県米子市陰田

遺跡概要
①弥生中期 口陰田遺跡
②弥生後期 陰田第1・第6遺跡

年代
弥生中期-後期

出土品

補足


尾高浅山(あざやま)遺跡
所在地  

遺跡概要
①弥生時代後期の環壕集落
二つの丘陵尾根に分布するが、北側の尾根では三重の「環壕」によって区画された弥生時代後期の集落遺構、南側の尾根からは「四隅突出型墳丘墓」、南東側に円形墳丘墓、北西尾根上に3基の方形墓が存在する。
環壕の内側に竪穴住居跡十棟、集石遺構一基、貯蔵穴2基が確認された。

②5世紀末から6世紀後半に造られた古墳群
古墳群は、環壕集落が遺棄された後の5世紀末から6世紀後半に造られたもので、3基の古墳がある。
1号墳は帆立貝古墳で、全長34メートル、高さ5メートルあり、葺石、埴輪が巡らされている。
2号墳は円墳で径10メートル、3号墳は前方後円墳で、6世紀の築造と考えられている。

年代
環濠集落=弥生時代後期
古墳群=5世紀末から6世紀後半

副葬品

補足


古墳時代の遺跡
宗像遺跡
所在地  
米子市宗像

遺跡概要
宗像古墳群は5 基の前方後円墳を含む42 基の古墳からなり,丘陵麓には式内社宗形神社が存在する。

  宗像1号墳(6世紀後葉中葉) 前方後円墳
    墳丘全長は37m。
    後円部の径28m、高さ6mで、前方部の最大幅は17m、高さ4.5m。
    後円部にある埋葬施設は第1主体とよばれ横穴式石室となっている。
    横穴式石室は全長3.2m幅1.95m高さ1.4m。

  東宗像2号墳(6世紀中葉) 前方後円墳
 
  東宗像5号墳(6世紀前葉) 円墳
  東宗像6号墳(6世紀前葉) 円墳

年代
古墳時代 後期中葉-後葉

副葬品
瑪瑙製勾玉、ガラス製小玉、純銀製耳飾類、帯金具、鉄刀、円頭柄頭鉄刀、鉄鉾、鉄鏃、刀子、鈴雲珠、須恵器など。
大刀は5点存在する。いずれも石室内出土である。

補足
宗像1号墳に最初に埋葬された人物は,法勝寺川下流域を支配していた勢力の中でも大きな力を持った首長と考えらている。
古墳の築造時期は概ね550~600年頃。


石州府古墳群
所在地
鳥取県米子市石州府

遺跡概要
  石州府1号墳(TK43~TK209期 6世紀中葉~後葉) 円墳 径43m
  石州府2号墳 円墳 径34m
  石州府5号墳 円墳 径33m
  石州府25号墳 前方後円墳 長径33m

築造年代
古墳時代後期後葉


岸本古墳群
所在地
西伯郡伯耆町(旧岸本町)

遺跡概要
  岸本7号墳(TK43~TK209期 6世紀中葉~後葉) 円墳 径45m

築造年代
古墳時代後期後葉


淀江向山古墳群
所在地  
鳥取県米子市淀江町福岡

古墳概要
古墳群は通称「向山」と「瓶山」と呼ばれる丘陵上を中心に、現在までに前方後円墳9基、円墳5基、方墳2基、不明1基の、計17基が確認されている。

①岩屋古墳(向山1号墳)
全長52メートル、高さ6メートルを測る前方後円墳で、更に後円部に15メートル四方の張り出しが付く。
6世紀後葉の築造と考えられる。
墳丘は2段で、葺石を有する。
明和元年(1764年)に記された『伯路紀草稿』に「岩屋」の記載があり、すでに江戸時代中頃には石室が開口していたことがわかる。石室は全長9メートルを測る複室構造の横穴式石室で、整備な石棺式石室である。
前方部が削られた際に、箱式石棺が発見され、礫敷の上に2体を埋葬、鉄刀1点が副葬されていたと伝えられる。
周溝からは、土器や円筒埴輪の他に、人物、馬、水鳥など多くの形象埴輪も出土している。

②長者ヶ平(ちょうじゃがなる)古墳
向山5号墳ともいい、全長48mを測る帆立貝式の前方後円墳である。6世紀中頃の築造と考えられる。
中央には、明治2年に発見されたという大規模な畿内型の横穴式石室が開口している。
内部はベンガラで塗られ、鉄刀や鉄鉾が壁に立てかけられ、奥には石棺が置かれていたという記録が残る。
また、現在は消滅しているが、明治34年には、その東側で小規模な石槨が発見され、希少な金銅製冠や三累環頭太刀などが出土した。


③石馬谷古墳
向山丘陵から道路を隔てた小枝山丘麓に位置し、小枝山五号墳とも呼ばれる。
全長約61メートルの前方後円墳。墳丘は二段になっており、墳丘全体に石が敷き詰められていた。
六世紀の中頃に築かれたと考えられる。
有名な「石馬」は、この古墳に立てられていたという。

築造年代

古墳時代中期-古墳時代後期 (5紀後半から6世紀後半)

補足
①石馬
角閃石安山岩を彫って作られた体長約150cm、高さ約90cmの石製の馬。
前足を欠いているが、馬の特徴をよくとらえており、手綱や鞍などの馬具も細かく表現されている優品である。
石馬は北部九州には数例あるが、本州では唯一の出土品である。

②岩戸山古墳(福岡県八女市)
九州最大級の前方後円墳で、全長約135m、後円部径約60m・高さ約18m、前方部幅約92m、高さ約17m。
墳丘周囲には幅 20mの周堀と外堤を持ち、外堤を含めると全長約170mの大前方後円墳である。
古墳からの石馬は、ここと鳥取県淀江町の「石馬古墳」の2つしか出土例がない
岩戸山古墳は磐井の墓であろうとの推定されている。

③同じ米子市淀江町福岡地内には、史跡上淀廃寺跡・妻木晩田遺跡が所在する。


三崎殿山古墳 
所在地  
西伯郡南部町三崎

遺跡概要
通称「殿山」(標高83メートル)と呼ばれる独立丘陵の頂部に築かれた前方後円墳。
この丘陵はさほど大きいものではないが、本古墳の他にも小円墳などが20基あり、これらを一括して「三崎古墳群」と呼ぶ。
そのうちの10号墳が「殿山古墳」である。
全体の長さが約108メートル、後円部が約58メートル、高さ約8メートル、前方部の幅約35メートル、高さ約6メートルあり、西伯耆では最大の大きさである。

築造年代
古墳時代中期。

副葬品

補足


浅井11号墳
所在地
鳥取県西伯郡南部町(旧会見町)浅井

遺跡概要
前方後円墳
後円部の径29.5m、高さ2.4mで、前方部の最大幅は12.4m、高さ1.4mを測り、墳丘全長は45m。

築造年代
5世紀後半

副葬品
中国製画文帯環状乳神獣鏡、鉄器


日の岡古墳
所在地
鳥取県西伯郡南部町(旧会見町)

遺跡概要
直径10m、高さ約3.5mの円墳
箱式石棺が露出しており、この石棺は、厚い板石5枚を組み合わせてつくられ、1辺約2m、高さ1mの規模。
内部は、天井を除いて朱塗りが施され、床面に日野川産の円礫が敷かれている。

築造年代
古墳時代後期


岩舟古墳
所在地
西伯郡南部町(旧会見町)

遺跡概要
殿山の16基からなる古墳群の西南端、山ろく近くに存在。
墳丘はその跡をとどめず、繁っていた松の大木も枯死し、その太い根がくい込んで多少破壊された石棺がむき出しになっている。
この石棺は、凝灰岩をくり抜き、蓋と身の部分を重ねて造った家型石棺で、伯耆地方ではほかに2例の出土しかなく、現存するものはこの石棺だけ。

築造年代



飛鳥時代以降の遺跡
 上淀廃寺 
所在地  
鳥取県米子市淀江町福岡字櫻田・法行・垣サゴ

遺跡概要
法隆寺金堂壁画と並ぶ日本最古級の仏教壁画が初めて出土。
寺域は天平尺で東西約2町(212メートル)、南北1町(106メートル)の規格とみられ、ほぼ中央に半町(53メートル)四方の中心伽藍が位置する。
伽藍配置は南を正面として、東西棟の金堂の東側に、南北に3基の塔を並べる設計とみられる。
ただし、北塔については心礎と造成のみで基壇は未確認である。
計画のみとしても3塔を配置する例は無く、2塔でも南北に配置する古代寺院は他に無い。
基壇の規模は、金堂が東西14.2メートル、南北12.5メートル、塔はいずれも9.5メートル四方を測る。
金堂及び中・南塔の基壇は瓦積みの周囲に石列を設置する二重基壇で、百済の寺院に多く見られる様式である。

年代
紀年銘瓦等の遺物から飛鳥時代後期(7世紀後葉)の建立、8世紀中頃の改修を経て、平安時代中期(11世紀前葉)に焼失したものと考えられる。

遺構
金堂の東に南北3塔を配する設計(独特の伽藍配置) 
           NHKエンタープライズ作成
遺物
壁土(壁画)片5,500点、塑像片3,300点、鉄製品、青銅製品など。 

補足
国内初の仏教壁画が出土。
当時は仏教壁画では法隆寺と並ぶ国内最古級。



日野川周辺(伯耆町・南部町・日野町・日南町)の遺跡
父原墳丘墓群
所在地  
日野郡溝口町

遺跡概要
父原墳丘墓群は、日野川の中流にある標高140mの尾根の上に造られている。
3基の墳丘墓が見つかっているが、このうち形がわかったのは1号墓と2号墓で、いずれもが四隅突出型墳丘墓。
1号墓では、墳丘の斜面や突出部に板石などの大きな石が貼られていた。
一方、2号墓は、山陰地方では他に例がない貼石のない四隅突出型墳丘墓。

築造年代
出雲地方で王墓として大型の四隅突出型墳丘墓が相次いで造られた時期と一致する。

副葬品

補足


参考資料
 「新修米子市史第7巻 資料編 原始・古代・中世」 (米子市 1999)


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米子周辺および鳥取県西部の遺跡   

図は鳥取県HPより引用
米子市(旧米子市、淀江町)

西伯郡
南部町 (旧会見町、西伯町)
伯耆町 (旧溝口町、岸本町)
大山町 (旧大山町、名和町、中山町)
日吉津村