伊予国の神社 |
伊予国一宮 大山祇神社(おおやまずみじんじゃ) |
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所在地
愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地 (瀬戸内海の大三島に位置する)
社格
日本総鎮守(平安時代)、伊予国一宮、名神大、国幣大社、山祇神社・三島神社 総本社
祭神
主祭神=大山積神
歴史
三島宮社記より
594年 (推古天皇2年) 創建
701年 (天宝元年) 現在地(大三島宮浦)に移る
719年 (養老3年) 遷宮の儀
1322年(元亨2年) 戦火に遭い本殿、拝殿焼失
1427年(応永34年) 本殿再建(向拝実肘木墨書)
1543年(天文12年) 大三島合戦、鶴姫戦死
1575年(天正3年) 本殿、拝殿再建
1602年(慶長7年) 拝殿建築
1992年(平成4年) 過激派の放火により祖霊殿が全焼
補足
平安時代には朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されている。
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土佐国の神社 |
土佐国一宮 土佐神社(とさじんじゃ) |
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所在地
高知県高知市一宮しなね2丁目16-1
社格
式内社(大)・土佐国一宮・国幣中社・別表神社
神階=正一位
祭神
味鋤高彦根神(アヂスキタカヒコネ) 一言主神
歴史
上記の伝承から社伝では雄略天皇の時代の創建としている。
実際の創建年代は不詳であるが、境内に「礫石」と呼ばれる自然石があり、古代にはこれを磐座として祭祀が行われていたものとみられている。
延喜式神名帳では「土佐国土佐郡 都佐坐神社」と記載されて大社に列している。
海賊平定を祈願し霊験を現したとして天慶3年(935年)に最高位となる正一位の神階を受け、土佐国一宮・土佐国総鎮守として崇敬を受けた。
補足
両神とも古来より賀茂氏により祀られていた神であり、賀茂氏の同族が土佐国造に任ぜられたことから当地で祀られることになったものとみられる。
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讃岐国の神社 |
讃岐国一宮 田村神社 |
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所在地
香川県高松市一宮町286番地
社格
式内社(名神大)・讃岐国一宮・国幣中社・別表神社
祭神
田村大神:倭迹迹日百襲姫命 五十狹芹彦命 猿田彦大神 天隠山命 天五田根命
歴史
はじめは現在の奥殿の下にある定水井(さだみずのい)という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていた。
和銅2年(709年)に行基によって社殿が創建されたという。
補足−1:田村大神
中世の書物では猿田彦大神や五十狭芹彦命のこととされ、近世には、神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。
社伝創建前は井戸の上に神が祀られていたことから、元々は当地の水神であったとする説もある。
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阿波国の神社 |
阿波国一宮 大麻比古神社 |
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所在地
徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13
社格
式内社(名神大社)、阿波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
祭神
主祭神=大麻比古神 - 天太玉命(あめのふとだまのみこと)のこととされる。
配祀神=猿田彦大神 - 古くから大麻山に祀られており、のちに合祀されたされる。
歴史
社伝によれば、神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのが当社の始まりだと言う。
貞観元年(859年)1月27日、従五位下から従五位上へ神階が陞叙されている。
貞観9年(867年)4月23日、正五位上、元慶2年(878年)4月14日、従四位下、元慶7年(883年)11月1日、従四位上に神階を進めている。延長5年(927年)より式内社、名神大社へ列格された。
平安時代から鎌倉時代にかけて、神仏習合思想に基づき神社を実質的に運営する神宮寺が各地で置かれたが、『諸国一の宮』では四国八十八箇所の第一番札所霊山寺が当社の神宮寺であったと述べている。
しかし、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、別当寺は不詳であるとしている。
室町時代に成立したとされる『大日本国一宮記』には当社が阿波国一宮として記載されているが、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、南北朝時代に、伝統的な社格を誇り細川氏の守護所にも近かった当社が、敵対勢力であった一宮氏が神主を世襲していた一宮神社に代わる新たな阿波国一宮としての地位を得ることになった、と考察している。
享保4年(1719年)には最高位の正一位の神階が陞叙されている。
明治6年(1873年)に国幣中社へ列格し、明治13年(1880年)に本殿以下が国費を持って造営された。
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金刀比羅宮 |
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所在地
香川県仲多度郡琴平町892番地1
社格等
国幣中社 別表神社
祭神
主祭神=大物主命 (相殿)崇徳天皇
歴史
金刀比羅宮の由緒については二つの説がある。
@大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするもの。
Aもともと象頭山にあった真言宗の松尾寺に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとするもの。
補足1:
いずれにせよ神仏習合の寺社であった。
海上交通の守り神とされるのは、古代には象頭山の麓まで入江が入り込んでいたことに関係があるとされる。
補足2:階段数
本宮までは785段。奥宮までは1368段。
上るのも大変ですが、それよりこれを作った方々に敬意。
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参考資料 |
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「神社辞典」 (東京堂出版 1997)
Wikipedia 「神社一覧」 |
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