宮崎市・西都周辺の神社
日向国一宮  都農神社(つの じんじゃ)

所在地
宮崎県児湯郡都農町大字川北13294

社格
式内社 日向国一宮 旧国幣小社 別表神社

祭神
主祭神=大己貴命
配祀=  素盞嗚命 足摩乳命 手摩乳命

歴史
創建年代=不詳

社伝より
神武天皇が東征に向かう際に祭祀を行った場所であり、また神功皇后が三韓征伐に際して舟の守護神として吐乃大明神を勧請したとの『塵添??抄』の記事を引用して、皇后が凱旋後に社殿を建立したのが初めであると伝えている。

補足




鵜戸神宮
  所在地
宮崎県日南市大字宮浦3232

社格
旧官幣大社 別表神社

祭神
 主祭神=日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

 配祀
   大日孁貴(おおひるめのむち)(天照大御神)
   天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
   彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)
   彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
   神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)

歴史
社伝より
本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を産むための産屋を建てた場所で、その縁により崇神天皇の御代に上記6柱の神を「六所権現」と称して創祀された。
推古天皇の御代に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝える。
延暦元年(782年)、光喜坊快久という天台僧が桓武天皇の勅命を蒙って別当となり、神殿を再建するとともに、別当寺院を建立し、天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(うどさんだいごんげんあびらさんにんのうごこくじ)」の勅号を賜わったとも伝える。

補足-1:吾平山陵
境内速日峯(はやひのみね)山上にある前方後円墳で、主祭神の陵墓と伝え、明治29年に陵墓参考地とされ、現在は宮内庁が所管している。
なお、当宮北西2.5kmに鎮座する宮浦神社(大字宮浦688)には、主祭神の妃神である玉依姫の陵墓と伝える円墳(鵜戸古墳)がある




宮崎神宮 
  所在地
宮崎県宮崎市神宮二丁目4-1

社格
旧官幣大社 別表神社

祭神
  主祭神=神日本磐余彦尊(神武天皇)

  配祀=鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命の2柱を配祀する

歴史
創建年代=不詳

社伝より
鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命(阿蘇神社の祭神)がその縁に因んで創祀したといい、崇神天皇の時代に初めて社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、更に応神天皇の時代からは『国造本紀』に載せる日向国造の祖、老男命(おいおのみこと)が祀るようになったと伝える。

補足
古くは「神武天皇宮(社)」、「神武天皇御廟」などと称されたが、明治6年(1873年)に「宮崎神社」と改称し、更に同11年「宮崎宮」と改称、大正2年(1913年)に神宮号が許可されて現社名となった。


日向・延岡・高千穂周辺の神社
天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)
  所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1

社格
旧村社 別表神社

祭神
西本宮
主祭神=大日るめ尊
配祀=  天鈿女命 手力男命 大年神 素盞嗚尊 日子穗穗手見命 豊玉毘売命、菅原道真

東本宮
主祭神=天照皇大神

歴史
西本宮社伝
瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源とされる。
弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興されたが、戦国時代にたびたび焼失した。
その後は宝永4年(1707年)に荒廃した社地を整地し、文政4年(1821年)には延岡藩主の援助で社殿を再建したという。

東本宮
創祀時代不明で、昌泰年間(898-901年)の古記録に、思兼神が天岩戸より出御した天照皇大神に、東本宮の地に造営した社殿への鎮座を願ったのに創まるという。
その後の由緒も詳らかにしえない。

補足
東西両本宮ともに皇祖神天照大神を祀るとはいえ、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。


天岩戸神社
天安河原


高千穂神社
   
 
所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037

社格
国史顕在社(続日本後紀:承和10・9・19) 旧村社 別表神社

祭神
主祭神は一之御殿の高千穂皇神(たかちほすめがみ)と二之御殿の十社大明神

 高千穂皇神
  日本神話の日向三代と称される皇祖神とその配偶神の計6柱の総称である。
    天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命
    彦火火出見尊と豊玉姫命
    彦波瀲武?鵝草葺不合尊と玉依姫命

 十社大明神
  神武天皇の皇兄、三毛入野命(みけぬのみこと)とその妻子神9柱の総称。
    三毛入野命と妃神鵜目姫(うのめひめ)命
    御子太郎(みこたろう)命 二郎(じろう)命 三郎(さぶろう)命 畝見(うねみ)命
    照野(てるの)命 大戸(おおと)命 霊社(れいしゃ)命 浅良部(あさらべ)命

十社大明神の中心である三毛入野命は、「記紀」に浪穂を踏んで常世国に渡ったとあるが、当地の伝承では、高千穂に戻り当時一帯を荒らしていた鬼神の鬼八(きはち)を退治、当地に宮を構えたと伝える。

歴史
社伝より
三毛入野命が神籬を建てて祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。
当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であるとすれば朝廷からの神階授与があったことになるが、『延喜式神名帳』の記載はない。
また、天慶年間(938-47年)に豊後国から大神惟基の長子政次(高知尾太郎政次)が当地に入り高知尾(高千穂)氏を興したが、社伝によると同氏は当神社を高千穂18郷にわたる88社(高千穂八十八社)の総社と位置づけて崇めたといい、以後も当神社に深く関わるようになったと見られている。

補足
古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たが、明治4年(1871年)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895年)現社名に改称した。




参考1:夜神楽
11月から2月にかけて、村々の氏神様を民家に迎え、夜神楽が奉納される。
夜神楽は、それぞれの村が年に一度氏神様を定められた民家に招き、収穫の御礼と来る年の豊作を祈る「まつり」。
夕方から翌日の昼近くまで三十三番の神楽が奉納される。


参考2:高千穂峡
その昔阿蘇火山活動の噴出した溶岩流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却されたために柱状節理の懸崖となった渓谷。
神話によれば、天村雲命が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移した。
これが天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちているといわれている。

 
高千穂 向山神社
    所在地
宮崎県高千穂町向山中尾平1806

社格


祭神
伊弉諾命・伊弉冊命、素戔嗚命、天照大神、田心姫命、端津姫命、市杵島姫命、天忍穂耳命
天穂日命、天津彦根命、沽津彦根命、熊野杼樟日命(くまのくすびのみこと)

歴史
創建は不詳
古文書には「紀州熊野から勧請」とあり、「熊野拾弐社大権現」と呼ばれていた。
「丸小野権現」、「向山権現」とも記され、向山村の大社として三田井家の崇拝が篤く、三田井越前守親武が再建したと伝えられている。





櫛振神社
  所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713番地
古事記に迩迩芸命が降り立った所を「筑紫(九州)の日向の高千穂のくじふる峰」と記され、その場所と考えられている「くしふる峰」の中腹にある。

社格


祭神
主祭神=迩迩芸命(ニニギノミコト)
  天児屋根命、経津主命、天太玉命 武甕槌命 等

歴史
創建年代=不詳
神社創建は不詳、はじめは社殿もなく山そのものをご神体として祀り、高千穂八十八社のひとつに数えられていた。
1694(元禄7年)当時の延岡藩主や村人たちによって社殿が建てられた。



大御(おおみ)神社
  所在地
宮崎県日向市伊勢ヶ浜

社格


祭神
主祭神=天照皇大御神

歴史
創建年代=不詳

社伝より
往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されてと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。

また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、皇大御神を奉斎する御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。

その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神徳を慕って県内外の参拝者が激増している。

補足




鵜戸神社(うどじんじゃ)
  所在地
宮崎県日向市伊勢ヶ浜

社格
大御神社の境内社

祭神
  主祭神=鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)
  配祀=彦火瓊々杵命(ヒコホノニニギノミコト)
       彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)
       豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
       塩筒々大神(シオツツノオオカミ)
 
歴史
創建年代=不詳
鵜戸というのは岩窟のことで、鵜戸神社は岩窟にある神社を指す。

社伝より

補足




参考資料
「神社辞典」 (東京堂出版 1997)

ウキペディア 「神社一覧」


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九州の神社2-宮崎県の神社  
現在の九州は7県であるが、令制下に於いては、以下の12ヶ国1島が存在した。

筑前国(現在の福岡県西部)  筑後国(現在の福岡県南部)
豊前国(現在の福岡県東部,大分県北部)  豊後国(現在の大分県中央部から南部)

肥前国(現在の佐賀県、長崎県の対馬と壱岐以外)
値嘉島(876年に肥前国より分立。数年後に再編入。 現在の長崎県平戸島及び江島、平島を除く五島列島)  
肥後国(現在の熊本県)

日向国(現在の宮崎県、鹿児島県東部)

大隅国(現在の鹿児島県東部、奄美)多禰国(702年から824年、現在の鹿児島県大隅諸島)
薩摩国(現在の鹿児島県西部)

壱岐国(現在の長崎県壱岐島)
対馬国(現在の長崎県対馬)