関東地方の神社  
1:相模国  2:武蔵国  3:上総国  4:下総国  5:常陸国
1:相模国の神社
相模一宮 鶴岡八幡宮
所在地
神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1番31号

社格
国幣中社 別表神社

祭神
主祭神=応神天皇 比売神 神功皇后

歴史
康平6年(11063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。

補足
鶴岡八幡宮の参道は若宮大路と呼ばれる。由比ヶ浜から八幡宮まで鎌倉の中心をほぼ南北に貫いており、京の朱雀大路を模して源頼朝が自らも加わり築いた。


相模一宮 寒川神社
所在地
神奈川県高座郡寒川町宮山3916

社格
式内社 名神大社 旧国幣中社

祭神
主祭神=寒川比古命 寒川比女命

歴史
雄略天皇在位の時期(456年-479年)に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立と伝える記録があるが詳細は不明。
公式には承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授るという記録(続日本後紀)がある。

補足
祭神については八幡神、あるいは菊理媛、素盞鳴命、 稲田姫尊などの諸説あるが、現在は寒川比古命、寒川比女命とされており、 この二柱の神を寒川大明神と奉称している。


武蔵国
武蔵国一宮  氷川神社
所在地
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目407番地

社格
式内社(名神大) 武蔵国一宮 官幣大社 勅祭社 別表神社

祭神
主祭神=須佐之男命 奇稲田姫命 大己貴命

歴史
社伝によれば、孝昭天皇3年(紀元前473年)4月に創建されたという。
景行天皇の皇子・日本武尊が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになったという伝説が残されており、このことから本地域を足立と称するようになったとされる。

補足−1
武蔵国(東京都・埼玉県)各地にある氷川神社の総本社。
大宮の地名は氷川神社を「大いなる宮居」すなわち「大宮」と称えたことに由来する。
多摩市の小野神社を一宮、あきる野市の二宮神社(旧称小河大明神)を二宮、氷川神社を三宮としており、今のところ中世まで氷川神社を一宮とする資料は見つかっていないとされる。
室町時代に成立した『大日本国一宮記』では氷川神社が一宮とされており、室町時代以降、当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したのではないかと考えられている。

補足−2
成務天皇の御代、出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となり、当社を奉崇した。
社名の氷川は、出雲肥河(斐伊川)の川上に鎮座する杵築大社(出雲大社)からの勧請によるものとされる。

しかし出雲大社からの勧請なら大己貴命が主祭神であるべきだが、主祭神は素盞嗚尊。
出雲斐伊神社の由緒では、斐伊神社の分霊が当社へ祀られたとされており、斐伊神社は、斐伊川(肥河)の側にある素盞嗚尊を祀る神社。

補足−3
さらに氷川の「ひ」は、上代特殊仮名遣いでは甲音であるが、斐川あるいは肥川の「ひ」は乙音である。
このように音から考えると、氷川は、日川と考えるべきである。
そうであるならば、氷川は伯耆国を流れる日野川に近いことになる。
        (ひのかわ=日野川説へ)

補足−4
氷川神社の分社、あるいは関連社は武蔵全域に多く、特に埼玉県には、氷川神社が160社以上存在する。



上総国
上総一宮 玉前神社
所在地


社格


祭神
主祭神=

歴史


補足


下総国
下総一宮 香取神宮
所在地


社格


祭神
主祭神=

歴史


補足


常陸国
常陸国一宮 鹿嶋神宮
所在地
茨城県鹿嶋市宮中 2306-1

社格
式内社(名神大) 常陸国一宮 官幣大社 勅祭社 別表神社

祭神
主祭神=武甕槌神

歴史
社伝では神武天皇1年(紀元前660年)に創建。
『常陸国風土記』では、神代の時代に神八井耳命の血を引く肥国造の一族だった多氏が上総国に上陸、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばし、氏神として建立されたのが現在の鹿島神宮の起源だとされている。

補足
延喜式神名帳によると、平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけだった。
また、同県神栖市にある息栖神社、千葉県香取市にある香取神宮と合わせて東国三社と呼ばれる。



参考資料
「神社辞典」(東京堂出版)  
 
ウキペディア 「神社一覧」


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