紀伊国の神社
紀伊一宮 國懸(くにかかす)神宮
所在地
和歌山県和歌山市秋月365

社格
式内社(名神大) 紀伊国一宮 官幣大社

祭神
御神体=日矛鏡(ひぼこのかがみ)
主祭神=國懸大神(くにかかすのおおかみ)
相殿神=玉祖命(たまおやのみこと)
      明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
      鈿女命(うづめのみこと)

歴史
社伝より
神武東征の後の神武天皇2年(紀元前659年)、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。
また当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年(紀元前14年)に現在地に遷座したとしている。
なお、伊太祁曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁曽神社があったが、紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁曽神社は現在地に遷座したとしている。

補足
日前神宮・國懸神宮とも、和歌山県和歌山市に鎮座する神社である。
一つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)とも(名草宮とも)呼ばれる。

和歌山市内にある当社と竈山神社(旧官幣大社)、伊太祁曽神社(旧官幣中社)を詣でることを「三社参り」と言う。


紀伊一宮 日前(ひのくま)神宮
所在地
和歌山県和歌山市秋月365

社格
式内社(名神大) 紀伊国一宮 官幣大社
現在は、神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっている。

祭神
御神体=日像鏡(ひがたのかがみ)
主祭神=日前大神(ひのくまのおおかみ)
相殿神=思兼命(おもいかねのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)

歴史
國懸神宮を参照

補足
両神社の鏡はいずれも伊勢神宮内蔵の神宝である八咫鏡と同等のものであり、八咫鏡は伊勢神宮で天照大神の神体とされていることから、日前宮・國懸宮の神はそれだけ重要な神とされ準皇祖神の扱いをうけていた。

『日本書紀』に、天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られているとの記述がある
日神(天照大神)に対する日前神という名称からしても、特別な神であると考えられる。
また、伊勢が大和への東の出口に対し、西の出口であったため、伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたといわれる。日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。
神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。
なお、日前大神は天照大神の別名とされることについては諸説がある。


紀伊一宮 伊太祁曽(いたきそ)神社
所在地
和歌山県和歌山市伊太祈曽558

社格
式内社(名神大) 紀伊国一宮 官幣中社 別表神社

祭神
御神体=五十猛命
配祠=大屋都比賣(おおやつひめ)命 都麻津比賣(つまつひめ)命

歴史
古くは現在の日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を開け渡したと社伝に伝える。
その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷座し、713年(和銅6年)に現在地に遷座したと伝えられる。

補足
五十猛命、大屋都比賣命、都麻津比賣命はいずれも素戔嗚尊の子であり、木の神として信仰される神である。


紀伊一宮 丹生都比賣(にふつひめ/にうつひめ)神社
所在地
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230

社格
式内社(名神大)・紀伊国一宮・官幣大社・別表神社

祭神
以下の四柱の神を祀る。
  第一殿 丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ。丹生明神)
  第二殿 高野御子大神(こうやみこのおおかみ。狩場明神)
  第三殿 大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ。気比明神)
  第四殿 市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ。厳島明神)

歴史
創建の年代は不詳。
『丹生大明神告門』では、祭神の丹生都比売大神は紀の川川辺の菴田の地に降臨し、各地の巡行の後に天野原に鎮座したとしている。
『日本書紀』の神功皇后条に「天野祝」の名があり、当社の神官のことと考えられている。
丹生都比売神の名の国史の初見は、『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条である。

補足
「丹」は朱砂(辰砂-朱色の硫化水銀)のことであり、その鉱脈のある所のことを「丹生」という。
朱砂はそのまま朱色の顔料となり、精製すると水銀がとれる。
丹生都比売大神は、朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている。

『丹生大明神告門(のりと)』では、丹生都比売大神は天照大御神の妹神であるとしており、稚日女尊と同一神とする説もある。


熊野本宮(くまのほんぐう)大社
所在地
和歌山県田辺市本宮町本宮1100

社格
官幣大社、別表神社

祭神
主祭神=家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、別名:熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、
      熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと))

上四社
第一殿(西御前):熊野牟須美大神・事解之男神(千手観音)
第二殿(中御前):速玉之男神(薬師如来)
第三殿(證証殿):家都美御子大神(阿弥陀如来) - 鎌倉時代に一遍が参篭し、神託を受け時宗を開いた。
第四殿(若宮):天照大神(十一面観音)

中四社
第五殿(禅児宮):忍穂耳命(地蔵菩薩)
第六殿(聖宮):瓊々杵尊(龍樹菩薩)
第七殿(児宮):彦火火出見尊(如意輪観音)
第八殿(子守宮):鵜葺草葺不合命(聖観音)

下四社
第九殿(一万十万):軻遇突智命(文殊菩薩・普賢菩薩)
第十殿(米持金剛):埴山姫命(毘沙門天)
第十一殿(飛行夜叉):弥都波能売命(不動明王)
第十二殿(勧請十五所):稚産霊命(釈迦如来)

歴史
創建年代=伝崇神天皇65年
伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。

補足
現在の本殿には上四社(上記参照)の4柱が祀られている。
中四社と下四社の神は旧社地である大斎原(おおゆのはら)に小さな祠が建てられて祀られている。

現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあった。


熊野速玉(くまのはやたま)大社
所在地
和歌山県新宮市新宮1

社格
式内社(大) 官幣大社 別表神社

祭神
主祭神=熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)
      熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)

歴史


補足
熊野速玉大神は伊邪那岐神とされ、熊野夫須美大神は伊邪那美神とされるが、もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。
神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。


熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
所在地
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

社格
官幣中社 別表神社

祭神
主祭神=熊野夫須美大神
かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。
また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。

歴史
創成の詳細は不明(仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられる)
熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。
一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。

補足



伊賀・伊勢・志摩の神社
神宮 (伊勢内宮・外宮)
所在地
三重県伊勢市五十鈴川上

社格
式内社 別格とされたため、格付けはされない。
神階=無し

祭神
内宮(皇大神宮)=天照大御神
ご神体:=八咫鏡(三種の神器の一つ)
相殿神=天手力男神、万幡豊秋津姫命

外宮(豊受大神宮)=豊受大御神
相殿神:御伴神3座


歴史
『日本書紀』によれば、垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とある。
皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたと記されている。
想像を豊かにすれば、倭国から丹波国、倭国、紀乃国、吉備国、倭国、大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動した後、現在の五十鈴川の畔に斎宮(いつきのみや)五十鈴宮という名で鎮座したということになろう。
内宮起源説話である。
この話は崇神天皇6年の条から続いており、『古事記』には崇神記・垂仁記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。
移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止湯気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)によれば、雄略22年7月に丹波(丹後)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源であると伝える。

補足
神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。
ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。

建物は皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)からなる。
通常は皇大神宮を内宮(ないくう)と呼び、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。
内宮は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭る。


志摩一宮 伊雑宮(いざわのみや) (いぞうぐう)
所在地
三重県志摩市磯部町上之郷

社格
式内社(大) 皇大神宮別宮

祭神
天照大御神御魂

歴史
倭姫命世記(鎌倉時代)より
伊勢神宮の内宮を建立した倭姫命が伊勢神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探すために志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎え、倭姫命が御贄地にふさわしい土地であるとして伊雑宮を建立したとされる。
神宮ではこの説を採るが、一般には倭姫命世記自体が史書として捉えられていないこと、また該当箇所は伊雑宮神官が後世に加筆した記述とされることから起源は明らかでないとするのが妥当である。
近世以前の志摩国では、水田による稲作に適した土地は伊雑宮周辺のみであったことが伊雑宮成立に関係する説、志摩国土着の海洋信仰によるとする説など定説はない。

補足
三重県度会郡大紀町にある瀧原宮と伊雑宮は、内宮から遠く離れた場所で天照大神の魂を祀ることから、「天照大神の遙宮」(とおのみや)と呼ばれる。

伊雑宮は内宮(皇大神宮)別宮で、内宮背後の島路山を越えた志摩市磯部町(旧志摩郡磯部町)上之郷にある。伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外では志摩国の伊雑宮1社のみであり、また神田を持つ唯一の別宮でもある。

伊雑宮に関する伝説
①龍宮伝説
伊雑宮の周囲に、浦島太郎や海女が龍宮へ行ったという伝説がいくつかある。派生したと思われる伝説の細部は異なるが、基本的に伊雑宮の宝物の一つに玉手箱があり、海女が持ち帰ったものとされ、その中身は蚊帳で、不幸が続くため伊雑宮に納めたとする部分は一致する。伊雑宮へ蚊帳を納めたのちも不幸が続いたとする話が多い。

②七本鮫と龍宮伝説
御田植え祭の日に、七匹の鮫が的矢湾から川を遡って伊雑宮の大御田橋まで上がってくると云われている。この七本鮫は伊雑宮の使いと云われ、また俗に龍宮の使いと伝える説もある。七本のうち一本は殺されてしまい、今は六本とされる。大御田橋からは蟹や蛙に化身して伊雑宮に参詣するとも云われる。またこの日は志摩一円の海女たちは海に入る事を忌み、伊雑宮に参詣する。

③その他
志摩市阿児町の安乗崎沖の岩礁(大グラ)近くの海底に鳥居に似た岩があり、伊雑宮の鳥居であったと云われる。


瀧原宮(たきはらのみや)
所在地
三重県度会郡大紀町滝原

社格
式内社(大) 皇大神宮別宮

祭神
天照大御神御魂

歴史


補足
瀧原宮は内宮(皇大神宮)別宮で、伊勢神宮のある伊勢市の西部を流れる宮川の河口から約40km上流の、宮川支流大内山川が流れる度会郡大紀町(旧大宮町)滝原にある。

宮域には瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の2つの別宮のほか、瀧原宮所管社が3社がある。
所管社の若宮(わかみや)神社には神体を入れる御船代を納める御船倉(みふなぐら)が併設されているが、御船倉を持つ別宮は瀧原宮のみである。


伊勢一宮  椿大神社(つばきおおかみやしろ)
所在地
三重県鈴鹿市山本町字御旅1871

社格
式内社(小)・伊勢国一宮・県社・別表神社

祭神
主祭神=猿田彦大神
配祠=瓊瓊杵尊 栲幡千千姫命(瓊瓊杵尊の母神) 行満大明神

歴史
社伝より
垂仁天皇27年、倭姫命に下った神託により、猿田彦大神の墳墓の近くに「道別大神の社」として社殿が造営されたのを創始とする。
書物における初見は、天平20年(748年)6月17日の『大安寺伽藍縁起並流記資材帳』である。
『延喜式神名帳』に記載されている「椿大神社」、伊勢国一宮に比定されるが、同市一ノ宮町の都波岐神社が延喜式の椿大神社であるとする説もあり、論争になっている。

補足
別名を猿田彦大本宮といい、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされている。
また別宮の椿岸神社では、猿田彦大神の妻神である天之鈿女命を祀る。


伊勢一宮  都波岐奈加等神社(つばきなかとじんじゃ)
所在地
三重県鈴鹿市一ノ宮町1181

社格
式内社(小) 伊勢国一宮 県社

祭神
都波岐神社=猿田彦大神
奈加等神社=天椹野命 中筒之男命

歴史
社伝より
雄略天皇23年(479年)、勅により造高雄束命(猿田彦の八世の孫という)が現在地の伊勢国河曲郡中跡村に2つの神社を造営し、それぞれ都波岐神社・奈加等神社と称したのが始まりと伝える。
延喜式神名帳では両社とも小社に列している。

補足
明治時代に都波岐神社と奈加等神社の両社をあわせて「都波岐神社奈加等神社」として県社に列格した。
現在は2つの神社の祭神が1つの社殿に相殿に祀られている。


志摩国一宮  伊射波(いざわ)神社
所在地
三重県鳥羽市安楽島町字加布良古1210

社格
式内社(大)・志摩国一宮

祭神
多紀理比売命、伊佐波登美命、玉柱屋姫命、狭依姫命

歴史
鎮座は不明。
創建から1500年以上といわれている。
御崎の先には別に領有神(うしはくがみ)が祭られている。


伊賀一宮  敢國(あえくに)神社
所在地
三重県伊賀市一之宮877

社格
式内社(大) 伊賀国一宮 国幣中社 別表神社

祭神
主祭神=大彦命(敢國津神)
配祀=少彦名命 金山比咩命

歴史
創建年代は不詳である。
元々当地には秦氏が居住しており、秦氏は少彦名命を祀っていた。
また、大彦命の子孫の阿拝氏は祖神として大彦命を祀った。
当初は、当社南方にある現在の南宮山の山頂附近で祀られていたが、後に現在地の南宮山の山麓に移された。
元の社殿の跡地には美濃国一宮・南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られ、そのころより、この山が「南宮山」と呼ばれるようになった。

補足
大彦命は孝元天皇の第一皇子で、四道将軍として北陸を平定した後に、一族とともにこの地に永住し、伊賀国の開拓を行ったと伝えられる。


参考資料
「神社辞典」(東京堂出版 1997)  
 ウキペディア 「神社一覧」


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