近江国・丹波国・丹後国・但馬国の神社 (京都府・兵庫県北部)
近江一宮 建部(たけべ)大社
所在地
滋賀県大津市神領1-16-1

社格
近江国一の宮、式内社(名神大社)、官幣大社、別表神社

祭神
主祭神=日本武尊
相殿神=天明玉命  権殿=大己貴命
歴史
景行天皇46年(116年)に神崎郡建部郷(現在の東近江市五個荘付近)に、景行天皇の皇子である日本武尊を建部大神として祀ったのが始まりとされる。
675年(天武天皇4年)に現在地へ移転した


丹波一宮 出雲大神宮
所在地
京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地

社格
式内社(名神大) 丹波国一宮 国幣中社

祭神
主祭神=大国主命 三穂津姫尊

歴史
創建の年代は不詳
社伝では和銅2年(709年)10月21日に社殿を建立したと伝える。

補足
いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで杵築大社を称していたため、江戸時代末までは、出雲神社と言えばこの現・出雲大神宮を指していた。

大国主命については、出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされるが、逆に出雲大社の方が当社より勧請を受けたものとする説もあり、俗に「元出雲」とも呼ばれる。
当社の由緒書きには、『丹波国風土記』に「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」との記述があるとしている。


丹後国一宮 籠神社(このじんじゃ)
所在地
京都府宮津市字大垣430

社格
式内社(名神大) 丹後国一宮 国幣中社 別表神社

祭神
主祭神=彦火明命

歴史
社伝によれば、元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていた。
『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。
4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。
これによって、当社を「元伊勢」という。養老3年(719年)、真名井原から現在地に遷座して主祭神を彦火明命とし、豊受・天照両神を相殿に祀り、社名を籠宮に改めた。
真名井原の元の鎮座地は摂社・奥宮真名井神社とされた。
後に海神・天水分神が配祀された。祭神が籠に乗って雪の中に現れたから「籠宮」という社名になったという伝承がある。

補足
①宝物
籠名神社祝部氏係図(海部氏系図)
1976年国宝指定。
社家である海部氏の系図で、平安時代初期に書写された、日本最古の現存する系図である。

海部直伝世鏡 息津鏡・辺津鏡
息津鏡は約1950年前の後漢代の作で直径175mm、辺津鏡は約2050年前の前漢代の作で直径95mm。
出土品でない伝世鏡としては日本最古。
鏡の名は十種神宝のうち2鏡と一致するが、関係は不明。
神社の伝承では饒速日命が天津神から賜ったものである。



但馬国一宮 出石神社(いずしじんじゃ)
所在地
兵庫県豊岡市出石町宮内

社格
式内社(名神大) 但馬国一宮 国幣中社 別表神社

祭神
天日槍命 出石八前大神

歴史
創建は奈良時代と伝えられており、貞観元年(859年)の日本記畧では但馬第一の大社と記されている。

補足
『古事記』や『日本書紀』によれば、祭神の天日槍命は新羅の王子であったが、八種の神宝を持って渡来し、但馬国に定住したと伝える。
また、八種神宝を八前大神として祀っており、『延喜式神名帳』では八座とされた。


但馬国一宮  粟鹿(あわが)神社
所在地
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152

社格
式内社(名神大) 但馬国一宮 県社

祭神
彦火々出見命あるいは日子坐王

歴史
和銅元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)。

補足
但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。
日下部氏との関係が深い。



播磨国の神社 (兵庫県南部)
播磨一宮 伊和神社
所在地
兵庫県宍粟市一宮町須行名407

社格
式内社(名神大) 播磨国一宮 国幣中社 別表神社
神階=正一位

祭神
主祭神=伊和大神(大己貴神)
配祀=少彦名神 下照姫神

歴史
144年(成務天皇14年)、或いは564年(欽明天皇25年)の創祀と伝わる。
927年(延長5年)の延喜式神名帳には、伊和坐大名持魂神社(いわにいますおおなもちみたまのかみやしろ、伊和に鎮座する大己貴神の社)とある。

補足
神社周辺は豪族・伊和族の根拠地であったと考えられ、伊和族が祭祀したとみられている。
風土記では伊和大神は出雲から来たとしているが、播磨土着の神が後に大国主神に習合されたという見方もある。

伊和の語源について、風土記の伝承は神酒(みわ)から、或いは大己貴神が国作りを終えて「於和(おわ)」(感動詞・終わったの意)と呟いてこの地に鎮まったからとしている。このほか、伊和は岩のことで磐座・山・鉱石などを意味するとも考えられている。


粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ)
所在地
兵庫県たつの市龍野町日山449-1

社格
式内社(名神大社) 県社

祭神
主祭神=天照国照天彦火明命

歴史
創建=推古2年(594年)

補足
伊和神社、粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
社名の「粒(いいぼ)」は「揖保(いぼ)」の地名の語源とされる。 日山(白鷺山)山頂にて推古2年(594年)の創祀と伝わる古社で、現在は中腹から山麓にかけてが社地となっている。


海神社(わたつみじんじゃ)
所在地
兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1

社格
式内社(名神大) 官幣中社 別表神社

祭神
主祭神=上津綿津見神 中津綿津見神 底津綿津見神
配祀=大日孁貴尊

歴史
神功皇后の三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったので、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まった。そこでこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが当社の始まりという。
日本書紀に記される廣田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが、日本書紀の当該箇所に海神社に関する記述はない。

補足
伊和神社、粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
祭神の本来の名称は垂水神であったとされる。


廣田神社(ひろたじんじゃ)
所在地
兵庫県西宮市大社町7-7

社格
式内社(名神大)・二十二社・官幣大社・別表神社

祭神
主祭神=天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命:つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)
配祀=住吉大神・八幡大神・武御名方大神・高皇産霊神

歴史
神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。
皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。
戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。
しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。
そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。
「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。
そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。
これが廣田神社の創建である。
このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。
すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。

補足-1
主祭神の天照大神荒魂とは、瀬織津姫のことであったとする説がある。

補足-2:瀬織津姫(せおりつひめ)
祓戸四神の一柱である。瀬織津媛・瀬織津比売。祓神かつ水神で、穢を川や海に流す役目を持つ。
『倭姫命世記』では八十禍津日神の別名とされ、伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神は、瀬織津姫であることが記されている。
平田篤胤はさらに大禍津日神・大屋毘古神とも同神とする。天照大神の荒御魂とされることもある。
兵庫県西宮市、西宮の地名由来の大社である廣田神社は天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。
宇治の橋姫神社では橋姫と習合(同一視)されている。


西宮神社(にしのみやじんじゃ)
所在地
兵庫県西宮市社家町1番17号

社格
県社・別表神社

祭神
主祭神=西宮大神(蛭子命)
配祀=第二殿に天照大御神と大国主大神 第三殿に須佐之男大神

歴史


補足-1:蛭児命
祭神の蛭児命は伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。
しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。
ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。
社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。

補足-2:大国主西神社
境内末社の式内社・大国主西神社は延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡とは一致しない。
現在のえびす神は大国主であったという説もあったことから、明治3年、『摂津志』などの記載より現在の西宮神社が式内・大国主西神社であるとして「大国主西神社」に改称し、明治7年6月、大国主西神社として県社に列格した。
そのころ、末社・大己貴社が大国主西神社であるとする説が挙がり、同年8月に一旦大国主西神社(現 西宮神社)の県社指定を取り消した上で、同年11月、大国主西神社を西宮神社に、大己貴社を大国主西神社に改称して、共に県社に指定した。
なお、元の末社・大己貴社(現 大国主西神社)にある場所には元は本地阿弥陀堂があったが、享和2年(1802年)に取り壊された。
そして、元は不動堂と称していた建物が享保20年(1735年)に大己貴神・少彦名神を祀る大己貴社に改められ、文化元年(1804年)に本地阿弥陀堂の跡の現在地に移されたものである。
よって本来の式内・大国主西神社ではないが、「大国主西神社の所在が判明するまで」ということで、その名前をつけることになった。


生田神社(いくたじんじゃ)
所在地
兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1

社格
式内社(名神大)・官幣中社・別表神社

祭神
主祭神=稚日女尊
配祀=

歴史
201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った。
その際、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”に居りたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせて欲しい)。」との神託があった。

799年(延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれている。

平城天皇の806年(大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。

補足ー1:稚日女尊(わかひるめのみこと)
「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも和魂であるとも言われる。

補足ー1:生田裔神八社
生田神社を囲むように点在している裔神八社のこと。
近年は港神戸守護神 厄除八社(みなとこうべしゅごしん やくよけはちしゃ)とも呼ばれ、数字の順に巡ることを八宮巡りといい、厄除けになるとされている。
祭られているのは、日本神話のアマテラスとスサノオの誓約の段で産まれた三女神五男神とされているが、七宮神社のみ全く関係のない祭神となっている。





生田裔神八社
一宮神社
所在地 : 兵庫県神戸市中央区山本通1丁目
祭神 : 田心姫命

二宮神社
二宮小学校跡地より、飛鳥時代(西暦600年頃)の鍛冶工房跡と祭祀用の土偶などが発掘され、少なくとも1400年前には祭祀が行われていたことが証明された。
所在地 : 神戸市中央区二宮町3丁目
祭神 : 天忍穂耳尊 ・応神天皇

三宮神社
幕末に、この神社の前で神戸事件が起こった。境内に「神戸事件発生地の碑」が建てられている。
所在地 : 神戸市中央区三宮町2丁目
祭神 : 湍津姫命

四宮神社
所在地 : 神戸市中央区中山手5丁目
祭神 : 市杵島姫命

五宮神社
明治時代、湊川神社の氏子社になりかけたが、生田神社社家先祖である海上五十狭茅の子孫の家が近隣にあった為、住民の申し出により、取り止めとなった。
現在は8社中一番標高の高い場所に鎮座しており、元は宇治川の氾濫原にあったため、現在地に移ったのではとの説がある。
所在地 : 神戸市兵庫区五宮町
祭神 : 天穂日命

六宮神社
所在地 : 神戸市中央区楠町3丁目 八宮神社の境内(明治初期に道路拡張のため八宮神社に合祀)
祭神 : 天津彦根命・応神天皇

七宮神社
生田神社とは関係が無い長田神社の末社ともされ、前身はみぬ売神社とされている。元々は会下山南麓で、北風家が祀っていたといわれている。
所在地 : 神戸市兵庫区七宮2丁目
祭神 : 大己貴尊・天児屋根命

八宮神社
所在地 : 神戸市中央区楠町3丁目
祭神 : 熊野杼樟日命・素盞鳴尊


長田神社(ながたじんじゃ)
所在地
神戸市長田区長田町3-1-1

社格
式内社 名神大社 官幣中社 県社

祭神
主祭神=事代主神
配祀=天照大御神 応神天皇

歴史
日本書紀によると、201年(神功皇后摂政元年)2月、皇后が新羅より帰還中に武庫の水門で神託を受け、創祀されたという。

補足
延喜式神名帳では名神大社、更に祈雨八十五座に列され、社に奉祀する神戸(かんべ)41戸によって護持されていた。
現在まで続く「神戸」の地名は、この神戸職に由来している



淡路国の神社 (兵庫県南部 南海道)
淡路國一宮 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
所在地
兵庫県淡路市多賀740

社格
式内社(名神大)・淡路国一宮・官幣大社・別表神社

祭神
主祭神=伊弉諾尊・伊弉冉尊
配祀=

歴史
国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地に幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)を構えそこに鎮まったと記されており、その幽宮が当社の起源である。

補足


淡路國二宮 大和大國魂神社
所在地
兵庫県南淡路市榎列上幡多857  

社格
式内社 県社

祭神
主祭神=大和大圀魂命
配祀=八千戈命 御年命 素盞嗚尊 大己貴命 土御祖神

歴史
奈良の大和坐大国魂神社(大和神社)を勧請した神社。
勧請年代は不詳だが、5世紀頃だという説もある。

補足



参考資料
「神社辞典」 (東京堂出版 1997)

Wikipedia 「神社一覧」


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  畿内周辺の神社-1  
周辺=近江国、但馬国、丹波国、播磨国