鳥取市周辺の神社
旧鳥取市 旧岩美郡国府町
因幡国一宮  宇倍神社
所在地
鳥取市国府町宮ノ下

社格
式内社 名神大社 因幡国一宮 国弊中社 正三位

祭神
主祭神 武内宿禰

歴史
社殿では、孝徳天皇大化4年(648)の創建と伝えられている。

吉田家本『延喜式神名帳』に、仁徳天皇55年、360余歳の武内宿禰が因幡国に下降し、当社の鎮座地である宇倍山中腹の亀金山に双履を残して行方知れずとなったとの註があり、武内宿禰の終焉の地とされる。
現在の本殿裏にも「双履石」と呼ばれる2つの石が残っているが、これは古墳の一部が露出したもので、武内宿禰に関する伝説は後世の付会であろうとされる。

『因幡国伊福部臣古志』には伊福部氏の第16世、伊其和斯彦宿禰(いきわしひこのすくね)が成務天皇の御代に因幡国造になり、同天皇から賜った太刀等を神として祀ったとの記述があり、同書には当社に関する記載がないので、この記事を当社のことと仮定すれば、この時の創祀であるかもしれない。

補足
本殿の後の丘は亀金(かめがね)と呼ばれ、古来、祭神ご昇天の霊跡であるといわれ、宿禰双履の跡と伝えられている。
先年この双履の跡の下から粘土床を有する古墳が発見された。
地下1.2mの所から竪穴式石室が発見され、古墳時代前期末から中期の円墳(もしくは前方後円墳)の1部であることが判明した。
古鏡一・管玉一・小玉一が出土した。


白兎神社
所在地
鳥取県鳥取市白兎603番

社格 村社


祭神
主祭神=白兎神
合祀=豊玉姫命及び保食神

歴史
創建年代 不明
かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた。戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興された。
現在の本殿は明治時代の再建。

補足1:御身洗池
鎮座地は身干山と呼ばれる丘で、因幡の白兎が身を乾かした山と伝えられる。
境内には、白兎が体を洗った御身洗池がある。
御身洗池は旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされ「不増不減の池」とも呼ばれている。

補足2:八頭町の白兎神社
かつての八上の中心地、八頭町には3つの白兎神社がある。
その地には天照大神が行幸の際、白兎が現れて天照大神に行宮にふさわしい場所(現霊石山の伊勢ヶ平(いせがなる)まで案内したという伝承が地元の青龍寺(城光寺縁起)、慈住寺(慈住寺記録)に記されている。
天照大神はしばらく八上にとどまり、伊勢ヶ平近くの御冠石(みこいわ)で、因幡の国見をし、その石の上に冠を置かれた、と伝わっている。
この伝承には、続きがある。八頭町の隣、兵庫県境に近い若桜町舂米(つくよね)には天照大神の行幸伝承とともに、天照大神の御製といわれる和歌が伝わっている。
八上の3つの白兎神社の鎮座する地点はかつての八上の中心部で、近くには、全国最大規模の八上郡衙(やかみぐんが)跡も発掘、確認されている。
3つの白兎神社はかつては、夏至の日の出、冬至の日没を一直線に結ぶライン上にあったと考えられる事から、復活再生を願う信仰、太陽神、月神信仰をも示していると考えられる。
また、このラインの南西の延長上に八上姫を祀る賣沼神社および、八上姫の奥都城(おくつき)とされる簗瀬山(やなせやま)嶽(だけ)古墳があること、北東の延長上に胞衣塚(えなづか)が存在していることも単なる偶然ではないようである。
古代の人々の英知を感じさせる配列になっている。


聖神社
所在地
鳥取市行徳2丁目7055

社格
神階 正一位

祭神
天津日高日子番熊邇々芸命 
日子穂々手見命(邇々芸命の御子で神話の海彦の神)
事代主神(大国主命の御子)

歴史
創立年代は明らかでないが、現在の本殿は宝永7年(1710)8月に建立されたもの。

補足
事代主神は、最初、聖神社の摂社として境内に社殿があり、恵美須神社の祭として毎年10月20日祭典を奉仕していたが明治3年(1870)本社に合祀された。


大森神社
所在地
鳥取市相生町4-404

社格

祭神
主祭神 大己貴神、少名毘古那神、事代主神


歴史
創建年代 不明

補足
1961年(昭和36年、)聖神社神幸行列と大森神社の祭礼、傘踊りを基にして今の「鳥取しゃんしゃん祭り」が始められた。


倉田八幡宮
所在地
鳥取市馬場宮田

社格

祭神
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

歴史
社伝によると元正天皇の養老年間(七一七〜七二四)、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三柱の神を宇佐八幡宮から勧請し、因幡平野開拓の守護神として奉祭したと伝えられている。

補足


意上奴(いがみぬ)神社
所在地
鳥取市香取

社格
式内社(小社) 神階 正六位上

祭神
「意上奴」は、古事記や万葉集・日本書紀などの読みでは、「オカミノ」と呼ばれていたと考えられる。
「オカミ」とは、岡や水辺にすむ龍蛇の神で、水を司る神と信じられていた(岩波・古語辞典)。
以上のようなことから、意上奴神社の祭神は、水を司る水神と解される。

歴史
周辺の村の総社として七社大明神と呼ばれていた。

補足


賀露(かろ)神社
所在地
鳥取県鳥取市賀露町北1丁目21−3

社格
神階 従四位上(878年)

祭神
大山祇命、吉備真備など五神

歴史
創建は不明。
吉備真備が唐から帰国する時に流され賀露港に漂着し、その縁で祭神となったと伝えられている。

補足
賀露神社が急速にその神階を上げていったのは、その頃の日本海沿岸防備に関わり、国にとっても大切な神社であったためと考えられる。



天日名鳥命神社
所在地
鳥取県鳥取市大畑874番

社格


祭神


歴史


補足


天穂日命神社
所在地


社格


祭神


歴史


補足


阿太賀津健御熊命(あたかつたけみくま)神社
所在地


社格


祭神


歴史


補足


大野見宿禰命(おおのみのすくねのみこと)神社
所在地
鳥取市徳尾80

社格
式内社

祭神
大野見宿禰

歴史


補足
日本書紀』によれば、この神は、垂仁天皇の時代に大和国の当麻蹴速と相撲をとって勝ったという相撲起源伝承の神である。
また皇后の葬儀
の時、殉死の風習を禁じて埴輪を墳墓にたてることを言上した。
社伝ではその功績によって、この地を朝廷から与えられたという。
この神を主に祀ったのは因幡の土師部であった。



旧気高郡: 気高町 鹿野町 青谷町
加知弥(かちみ)神社
所在地
鳥取県鳥取市鹿野町寺内152


社格
式内社

祭神
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、鵜萱葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫命

歴史
創建年代不明

補足
遺瓦は奈良後期のもので、昔、勝宿大明神の別当寺の旧跡だといわれている。


板井神社
所在地
鳥取市気高町奥沢見

社格
式内社

祭神
天明玉命

歴史
天明玉命が、方六尺余の青石に乗って当社に降臨されたといわれる。
この青石は、神体石として本殿地下に埋っており板囲がしてある。
中世の一時期に当地は「宮石」と呼ばれた。
社伝によると、神功皇后が朝鮮出兵に際し武功を祈願して祀った神社で、天武帝の頃まで勅使の派遣が続
いたと伝えられている。

補足
建武二年(1335)、隠岐島を脱出された後醍醐天皇は勅使を派遣し当社に祈願されたという。


姫路神社
所在地


社格


祭神


歴史


補足


神前(かんざき)神社
所在地
鳥取市青谷町鳴滝

社格
神階 従五位下

祭神
猿田彦命(さるたひこのみこと) 天宇受売命(あめのうずめのみこと)など

歴史
社伝によると、慶雲四年(707)地内の美古峰に勧請したが、至徳二年(1385)に現在地に移されたといわれる。

補足
元弘三年(1333)、隠岐島を脱出された後醍醐天皇は、当社に代参を派遣して武運長久を祈られたといい、その折の短冊などが社宝として残るという。


幡井神社
所在地
鳥取市青谷町絹見

社格
式内社

祭神
天照大御神 栲幡千千姫命(たくはちぢのひめみこと)など

歴史
社伝によると、宝亀三年(772)に勧請され、その後三度遷座され、寛政九年(1797)に現在地に落着いた。
古くは西に接する笏賀(くつが)庄(現泊村筒地・園・泊・石脇・宇谷)と当町長和(なごう)瀬・絹見(きぬみ)の因伯にまたがる産土神であった。



旧八頭郡:河原町 用瀬町 佐治村
八上比売神社
所在地
鳥取市河原町曳田

社格
式内社

祭神


歴史

補足
古事記によると、大国主命はこの地の八上比売に求婚し、八十神たちとここに来たという。
ワニに皮をむかれた白兎を救ったのはその途中のことである。


都波只知上(つばきちかみ)神社
所在地
鳥取県鳥取市河原町佐貫511番

社格
式内社 村社

祭神


歴史


補足


売沼(めぬま)神社
所在地


社格


祭神


歴史


補足


都波奈弥(つわなみ)神社
所在地
鳥取県鳥取市河原町和奈見475番

社格


祭神


歴史


補足



岩美郡周辺の神社
許野乃兵主(こやのひょうず)神社
所在地
岩美郡岩美町新井

社格
式内社

祭神
大国主命 素盞鳴命

歴史


補足
兵主(ひょうず)神は、大陸渡来の製鉄・軍事の神といわれている。
兵主神を祀る式内社は、全国で十九社二十一座があり、その内但馬に八社、因幡に二社ある。
日本海側の限られた地域に集中していることが、伝来径路を暗示するようで注目される。

同町河崎に佐弥乃兵主神社がある。

境内一帯から弥生式土器などが多く出土していて、昔の祭祀跡をうかがわせる。


荒坂神社
所在地
鳥取市福部村八重原

社格
式内社 法美郡九座の一つ

祭神
大己貴命 少彦名命など

歴史
貞観五年(八六三)に「新羅国の人が因幡国荒坂浜に漂着した」とあり、当社はその頃は荒坂浜近くに鎮座していたと推定されるが、現在その地がどこであるかはわからない。

補足



八頭郡周辺の神社
和多理(わたり)神社
所在地
八頭郡八頭町(旧郡家町)殿

社格
式内社

祭神
猿田彦命

歴史
社伝によると、景行天皇のときに創社され、大同二年(807)に、和多理山(越山)から現在地に移されたといわれている。


大江神社
所在地
八頭郡八頭町(旧船岡町)橋本

社格
式内社

祭神
天穂日命、三穂津姫命など

歴史
当社は、古い文書の記載からみて因幡一宮・宇倍神社に次ぐ社格があったようで、因幡二宮とする説もあ
る。
『因幡民談記』によると、当社の嘉元三年(一三〇五)銘の棟札には、「正一位権現」「地頭 平宗泰」の文字が見える

補足


伊蘇乃佐只(いそのさき)神社
所在地
八頭郡八東町安井宿

社格
式内社

祭神
神直毘神 大直毘神など

歴史
『因幡志』には、祭神はこの地の浅崎の瀬から出現したと記され、そこにでてくる「伊蘇乃佐只」は「磯の崎」のことで、「浅崎」と同義と考えられている。

補足
当社の祭神が、当地を開墾していた時、笹で目を突かれて痛められたという伝説があり、氏子の安井宿では端午の節供の笹餅は作らない。


若桜神社
所在地
八頭郡若桜町若桜

社格
郷社

祭神
国常立命、伊弉冊命、誉田別命など

歴史
武内宿彌がこの地方に下向したときに参拝した古社と伝えられる。


虫井(むしい)神社
所在地
八頭郡智頭町大呂

社格


祭神
里人大明神(妙見社)、都々良麻大明神、(三滝さん・蔵王権現社)荒海大明神(同社)の三神三社を祀る

歴史
景行天皇の時代に、この地の夷住(いすみ)山に住む夷が天皇の命令に背いた。
そこで、天皇の命により武牟口命(たけむくちのみこと)が平定した。
このとき武牟口命に槻の弓と八枝を献じたと伝えられる「荒海」、「里人」、「都々良麻」のことであるといわれる。

補足



参考資料
「鳥取県神社誌」(澤田文精堂 1934)   
「神社辞典」(東京堂出版 1997) 
「日本の神々 神社と聖地 第7巻 山陰」 (白水社 2007 谷川健一 坂田友宏 川上迪彦他)

 Wikipedia 「神社一覧」


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 因幡国の神社  

図は鳥取県HPより引用
 鳥取市
   (旧鳥取市 国府町、福部村、河原町、用瀬町
    佐治村、気高町、鹿野町、青谷町)

 岩美郡-岩美町

 八頭郡ー八頭町(旧郡家町、船岡町、八東町)
       智頭町、若桜町
 因幡国
   巨濃郡(この)、法美郡、八上郡、智頭郡
   邑美郡(おうみ)、高草郡、気多郡

 式内社 42社 50座(大1座・小49座)