干支と紀年法
干支紀日法
西洋では1月を4分割して「週」(7日)というサイクルを編み出したが、古代中国では1月を3分割して「旬」(10日)というサイクルを考案し、十干という順序符号をつけた。
甲骨文には「卜旬(ぼくじゅん)」があり、これは、ある特定の日(癸の日)から向こう10日間の吉凶を占ったものである。
10日、すなわち十干を3回繰り返すと1か月(30日)になるので、十干と十二支を組み合わせると、2か月(60日)周期で日付を記録することになる。

干支によって日付を記述する干支紀日法は、すでに殷代の甲骨文に現れている。
殷代においては、干支はもっぱら紀日法として用いられ、年に関しては1より始まる順序数(自然数)を使用しており、月に関しても順序数を基本としていた。
ただし、月名を十二支で表記することはあったとされる。

現在のような1日、2日、3日…という順序数による紀日法がいつ始まったかはわかっていないが、現在のところ、山東省臨沂県(りんぎけん)から出土した銀雀山漢墓竹簡、および武帝7年(元光元年、紀元前134年)の暦譜竹簡の例が最古とされている。


干支紀月法
上述のとおり、月名を十二支で表現することは殷代にさかのぼる可能性がある。
古くより中国では冬至を含む月を11月とする習わしがあり、この月を「子月」と呼び、以下12月を「丑月」、正月を「寅月」と呼んだ。

月の十二支 中気 旧暦の月 新暦の月
寅月 雨水 正月 2月
卯月 春分 二月 3月
辰月 穀雨 三月 4月
巳月 小満 四月 5月
午月 夏至 五月 6月
未月 大暑 六月 7月
申月 処暑 七月 8月
酉月 秋分 八月 9月
戌月 霜降 九月 10月
亥月 小雪 十月 11月
子月 冬至 十一月 12月
丑月 大寒 十二月 1月


干支紀年法
紀年法とは
年を記したり数えたりするための方法のことで、中国を中心とした漢字文化圏では年号紀元にもとづく紀年法とともに、60年周期の干支による干支紀年法が併用されてきた。
その起源は木星の観測と深い関わりがある。

日本における干支紀年
日本に中国の暦本が百済を通じて渡来したのは欽明天皇15年(554年)とされるが、実際には、それ以前にさかのぼる可能性が高い。



干支と時刻
日本で初めて中国伝来の暦日を遵用して、時刻に十二支を配し、子を真夜中としたのは推古天皇12年(604年、甲子の年)の正月のことであったとされる。

現代の23時から翌1時までを子の刻とし、以下、丑、寅、…と続いて、11時から13時までを午の刻とした。
現在、夜0時を「子夜」、昼12時を「正午」、正午より前を「午前」、正午より後を「午後」と称するのは、これに由来する。
       子の刻   23時-1時          午の刻   11時-13時
       丑の刻    1時-3時          未の刻   13時-15時
       寅の刻    3時-5時          申の刻   15時-17時
       卯の刻    5時-7時          酉の刻   17時-19時
       辰の刻    7時-9時          戌の刻   19時-21時
       巳の刻    9時-11時         亥の刻   21時-23時



干支と方位方角
十二支や、易における八卦を交えて細かい二十四方が用いられるようになった。
十二支では、東を卯、西を酉、南を午、北を子の方位としている。
緯線を「卯酉線(ぼうゆうせん)」、経線を「子午線」、経度0度のロンドンのグリニッジ天文台を通る経線を「本初子午線」と呼ぶのは、これに由来する。

四隅については、北東・南東・南西・北西がそれぞれ「うしとら」、「たつみ」、「ひつじさる」、「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮(ごん)」、「巽(そん)」、「坤(こん)」、「乾(けん)」の字を充当している。





参考資料
Wikipedia「干支」


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干支(えと、かんし)の利用
十干と十二支を組み合わせた、60回ごとに一周する周期の暦。