出雲国風土記の概要 |
成立経過 |
|
成立経過
編年
713年に出された勅命に基づき、733年に完成。聖武天皇に奏上された。
編者
最終筆録者 秋鹿(あいか)郡の神宅臣金太理(みやけのおみ・かなたり)
総責任者 国造で意宇(おう)郡の大領でもあった外正六位上・出雲臣広島
多治比真人県守(? 732に山陰道の節度使として派遣されている。
その任期中、733に『出雲国風土記』が撰進されている)
構成
総記、意宇・島根・秋鹿・楯縫・出雲・神門・飯石・仁多・大原の各郡の条、巻末条から成る。
|
風土記中の用語 |
|
行政区域
国−−郡−−郷−−里
一郷=民戸が50戸の集まり。
余戸=50戸に余る、または50戸に満たない明戸の区画構成単位。
郡衙(ぐんが)あるいは郡家(ぐうけ・ぐんげ・こおげ)
日本の古代律令制度のもとで、郡の官人(郡司)が政務をとった役所.
郡司が政務にあたる正殿・脇殿のほか、田租・正税出挙稲を保管する正倉、宿泊用の建築などから構成される。
国司の所在する国府から間接支配程度の統制が行われ、郡司は旧国造などの在地有力豪族であることが多い。
国府が整備されるまでは、郡衙がその地域の行政の中心であった。
駅(えき、うまや)
各国の連絡のために東海道・山陽道などの官道を整備し、駅を各所に設けた。
駅は官道を騎乗で往来する人々に便宜を図ると共に、駅備え付けの駅馬によって早馬を走らせて手紙や荷物を運ぶ役割を果たした。
30里ごとに置くのが原則。
神戸(かんべ、じんこ)
古代から中世の日本において特定の神社の祭祀を維持するために神社に付属した民戸のこと。
租税はその神社に納める。
|
出雲国風土記の内容 |
内容全般 |
|
総記、意宇・島根・秋鹿・楯縫・出雲・神門・飯石・仁多・大原の各郡の条、巻末記から成る。
1:総記
国の大まかな地勢、編集方針、国名由来、神社や郡、郷、里などの統計。
2:各郡
出雲9郡に関する統計、郡名由来、伝承、地勢、神社、産物など。
3:巻末記
主要道路の順路と路程、軍制など。
|
説話 |
|
すべての郷に地名起源の説話が掲載されているが、ほとんどが断片的にのみ収録されている。
ある程度まとまった形で収録された説話には以下のものがある。
国引き神話
意宇郡の条の冒頭に記載され、郡名の由来に結び付けられている。
詳細は「出雲国風土記−B(内容) 国引き神話」を参照のこと。
毘売埼伝承
安来郷のスサノオの地名説話に続けて記載されている。
語臣猪麻呂の娘が埼で遊んでいる時に和爾に襲われてしまった。猪麻呂は娘の死を悲しみ数日間泣き崩れた後、和爾に復讐することを決心する。
武器を持って埼に座り込み、神々に一心に祈ると和爾の大群がやって来て1匹の和爾を取り囲んでいた。猪麻呂がその和爾を討ち取り腹を割くと娘の足が出てきた。
和爾は串刺しにされて路傍に立て掛けられた。
加賀神埼(かかのかんざき)
現在の加賀の潜戸にあたる。
ここで枳佐加比売命が佐太大神を産む時に弓矢をなくした。
この時「生まれてくる子が麻須羅神の子ならば、なくなった弓矢よ出てこい」とうけいをした。
すると弓矢が出てきたが、「これは違う」と言ってやり直した。
再び出てきた弓矢を枳佐加比売命が手に取り、岩屋を射通した。
いわゆる丹塗り矢型神話の変形といえる。
恋山(したいやま)
現在の鬼の舌震にあたる。
和爾が阿井村の玉日女命を慕って川を遡上したが、玉日女命は嫌がって岩で川を塞いでしまった。
阿用郷
ある男が畑仕事をしていると突然目一つの鬼が現れて食われてしまった。
その時彼の両親は竹薮の中に身を隠していた。
男は「動動(あよあよ)」と叫んだ。
|
登場する神々 |
|
50神余りの神々が登場する。
このうち「大神」と称えられているのが「佐太大神」、「野木大神」(のきおおかみ)、「熊野大神」、「大穴持命(おおなもち)」の四神。
八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)
「八雲立つ」の言葉を発し、この国を出雲と命名したとされる
。国引き神話において遠方の土地を引っ張って出雲国を形成した。
『古事記』のスサノオの系譜に名の見える「淤美豆奴命」と同一神と見る向きもある。
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)大穴持命(おおなもち)
布都努志命(ふつぬし)
神須佐乃烏命(かむすさのお)
記紀と異なり自身の登場回数は少なく、大穴持命との血縁関係は伺えない。
|
出雲国風土記成立に関する疑問 |
|
|
詳細は、「出雲国風土記考察」、へ
|
|
参考資料 |
|
「出雲国風土記」(講談社学術文庫1999萩原千鶴)
「出雲国風土記と古代遺跡」(山川出版 2002)
|
|
|
「ファンタジ−米子・山陰の古代史」は、よなごキッズ.COMの姉妹サイトです |
|
|