上巻(かみつまき) (序・神話)
天地開闢
1:天地の初め
天地初発之時(あめつちのはじめのとき)、最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。
   天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)
   高御産巣日神 (たかみむすひのかみ)
   神産巣日神 (かみむすひのかみ)

続いて、二柱の神が生まれた。
   宇摩志阿斯訶備比古遅神 (うましあしかびひこぢのかみ)
   天之常立神 (あめのとこたちのかみ)
この五柱の神は、特に性別はなく、独身のままに子どもを生まずに身を隠してしまった。
それゆえに、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。
そのため別天神(ことあまつかみ)と呼ぶ。

次に、また二柱の神が生まれた。
   国之常立神 (くにのとこたちのかみ)
   豊雲野神 (とよくもののかみ)
国之常立神と豊雲野神もまた性別はなく、またこれ以降神話には登場しない。

これに引き続いて、五組十柱の神々が生まれた。
五組の神々は、それぞれ男女の対の神々である。
   宇比地邇神 (うひぢにのかみ) 、須比智邇神 (すひぢにのかみ)
   角杙神 (つのぐひのかみ) 、活杙神 (いくぐひのかみ)
   意富斗能地神 (おほとのじのかみ) 、大斗乃弁神 (おほとのべのかみ)
   於母陀流神 (おもだるのかみ) 、阿夜訶志古泥神 (あやかしこねのかみ)
   伊邪那岐神 (いざなぎのかみ) 、伊邪那美神 (いざなみのかみ)
以上の七組十二柱の神々を総称して神世七代(かみのよななよ)という。

2:淤能碁呂嶋
伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)という二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させることを命じられる。
別天津神たちは、天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐・伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で、渾沌とした大地をかき混ぜる。
この時、矛から滴り落ちたものが、積もって島となった。
この島を淤能碁呂島(おのごろじま)という。

3:二神の結婚
二神は淤能碁呂島に降り立って会話をし、結婚する。
最初に産まれた子供は、水蛭子(ひるこ)であり、二神はこの子を葦舟に乗せて流してしまった。
次に産まれたのは淡島(あはしま)であった。
水蛭子と淡島は、伊邪那岐・伊邪那美の子供の内に数えない。
ちゃんとした子供が生まれないので、二神は、別天津神のもとに赴き、どうするべきかを聞いた。
すると、占いによって、女から誘うのがよくなかったとされた。
そのため、二神は淤能碁呂島に戻り、今度は男性の伊邪那岐から誘って再び性交をする。

4:大八嶋國
二神は、大八島を構成する島々を生み出していった。
   
 ①淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)::淡路島
 ②伊予之二名島(いよのふたなのしま): 四国・・・胴体が1つで、顔が4つある。
      愛比売(えひめ)::伊予国
      飯依比古(いひよりひこ)::讃岐国
      大宣都比売(おほげつひめ)::阿波国(後に食物神としても登場する)
      建依別(たけよりわけ)::土佐国
 ③隠伎之三子島(おきのみつごのしま): 隠岐島別名は、天之忍許呂別(あめのおしころわけ)
 ④筑紫島(つくしのしま): 九州胴体が1つで、顔が4つある。
      白日別(しらひわけ)::筑紫国
      豊日別(とよひわけ)::豊国
      建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよじひねわけ)::肥国
      建日別(たけひわけ)::熊曽国
      伊伎島(いきのしま)::壱岐島別名は、天比登都柱(あめひとつばしら)
      津島(つしま)::対馬島 別名は、天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)
 ⑤佐度島(さどのしま): 佐渡島
 ⑥大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)::本州 
    別名は、天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)

以上の、八島が最初に生成されたことにより、日本のことを大八島国という。
二神は、続けて、6島を産む。

 ①吉備児島(きびのこじま)::児島半島別名は、建日方別(たけひかたわけ)
 ②小豆島(あづきじま)::小豆島別名は、大野手比売(おほのでひめ)
 ③大島(おほしま)::周防大島別名は、大多麻流別(おほたまるわけ)
 ④女島(ひめじま)::姫島別名は、天一根(あめひとつね) 
 ⑤知訶島(ちかのしま)::五島列島 別名は、天之忍男(あめのおしを)
 ⑥両児島(ふたごのしま)::男女群島別名は、天両屋(あめふたや)


伊邪那岐命と伊邪那美命
1:神産み(神々の生成)
大八洲国およびその他の小さな島々を産み終えたイザナギ・イザナミは、神々を産んだ。
ここで産まれる神は、家宅を表す神および風の神・木の神・野の神といったような自然にまつわる神々である。

2:火神被殺
国産みの途中、伊邪那美は火の神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。
そのなきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた。

3:黄泉國
伊邪那岐は伊邪那美を恋しがり、黄泉の国(死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは未完成のまま終わってしまう。

4:禊ぎと神々の化生
イザナギは、黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗った時に天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗った時に月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に須佐之男命(スサノオノミコト)を産む。
その後、最初に生んだ淡路島の幽宮で過ごした。

5:三貴子(みはしらのうずのみこ)
伊邪那伎命は天照大御神に高天原の統治を委任した。
次に月讀命に、夜之食國の統治を委任した。
次に建速須佐之男命に、海原の統治をを委任した。
月讀命に関しては、その誕生後の記述が一切ない。

6:須佐之男命の涕泣
天照大神と月讀命は命じられた通りに各々の治める国へ去っていった
しかし須佐之男命だけは命令に従わずにその髭が八拳になるほどまで泣き暮らしていた。
その為に、山の木々は悉く枯れ、河海は枯れ、地上に蝿のように騒がしく、あらゆる災害が起きた。
そこで、父神が理由を問うたところ、妣國ははのくにである根の堅州国(ねのかたすくに)に行きたくて泣いていると答えた。
その答えに伊邪那岐命は激怒し、須佐之男を追放した。


天照大神
1:須佐之男命の昇天
追放された須佐之男命はまず天上の天照大神に挨拶をする為に高天原にむかった。
その時、地上の山も川も悉く揺れ動いたので天界の天照大神は非常に驚いた。
弟がこの国を奪おうとして、やってくるにちがいないと考えた天照大神は髪を角髪(みずら)に結い、八尺の勾玉の五百箇の御統の玉(いおつのみすまるのたま)を髪にも左右の手にも巻き持ち、背には矢筒を背負い、勇ましく弓を降りたて、足を踏み鳴らし、雄たけびを上げて、須佐之男命に問いだたした。
姉上に対してなんの謀反心も無く、母の国に行きたいといったところが父に追放されたので、行く前に姉上に挨拶に参っただけですと答えた。
それを証明するために各々で誓約(うけい)により子を産むこととなった。

2:天安河の誓約(うけい)
天照大神と須佐之男命は天の安の河の両岸に立ち、誓約を行うことにした。
まず、天照大神が須佐之男命の十拳剣を受け取り、三つに折り、天の真名井(あまのまない)にて漱ぐと、噛み砕いた。その吹き出す息から次の3柱の女神が誕生した。
  多紀理毘売命(たきりびめのみこと)(またの名を奥津島比売命=おきつしまひめのみこと)
  市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)(またの名は狭依毘売命=さよりひめのみこと)
  多岐都比売命(たきつひめのみこと)

次に須佐之男命が天照大神の八尺の勾玉の五百箇の御統の珠を受け取り、天の真名井にて漱ぐと、噛み砕いた。
その吹き出す息から次の5柱の男神が誕生した。
  正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命=まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
  天之菩比能命(あめのほひのみこと)
  天津日子根命(あまつひこねのみこと)
  活津日子根命(いくつひこねのみこと)
  熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)

天照大神は須佐之男命に向かって次のように言った。
ここで生まれた五柱の男神は私の持ち物から生まれたのだから、私の子である。
先ほど生まれた三柱の女神はおまえの持ち物から生まれたのだから、おまえの子である。

3:須佐之男命の悪態
天照大神の言葉に須佐之男命は勝ち誇って叫んだ。
勝に奢った須佐之男命はとんでもない行動に出る。
天照大神の田の畔を壊し、溝を埋め、神殿の食堂に屎を撒き散らした。
しかし、そのような行いにも天照大神は怒りはしなかった。
須佐之男命の行動は益々エスカレートし、とうとう彼は、神の衣を織る神聖な機織部屋に馬の逆剥ぎの皮を投げこみ、驚いた機織女を死に追いやってしまう。
ここにいたって、とうとう天照大神は須佐之男命の振る舞いに激怒した。

4:天石屋戸
怒りの余り、天照大神は天の岩屋戸に篭り隠れてしまった。
常に夜の世界は、騒々しく禍禍しい災いが頻繁におこり、困り果てた八百万の神は天の安の河原に集まり話し合いをもった。

高御産巣日神の子 思金神(おもいかねのかみ)が妙案をだした。
まず常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて鳴かせた。
次に天の安の河の川上の天の堅石と天の金山の真金とで鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)と、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて、鏡を作らせた。
次に天兒屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)に命じて、天の真男鹿の骨で占いをさせた。
次に天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を根ごと掘り出して上の枝に八尺の勾玉の五百箇の御統の玉を取り付け中の枝に八咫鏡=やたのかがみ取り付け下の枝に木綿と麻を取り付け
この種々の物を布刀玉命が捧げ持った。
次に天兒屋命が太御幣=ふとみてぐら を捧げもち、祝詞を申し上げた。
そこで、戸の影に天手力男神(あめのたじからおのかみ)が隠れ、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が苔や蔓草や笹などを身体に飾り付け、胸も陰もあらわにして、足を踏み鳴らして踊った。
その様子に八百万の神々は声をあげて笑った。

外の余りの賑やかさに不信を覚えた天照大神は岩屋戸を細く開けて様子を伺い、尋ねた。
貴い神がお見えになったと鏡を向けると天照大神はそこに映った自分の姿をその神だと勘違いしてしまう。
そしてもっとよく見ようと、岩屋戸の隙間を広げた所に、すばやく手力男神が手をさし入れて、天照大神の手をつかんで引っ張り出した。
その後、岩屋戸の前にはしめ縄がはられ出入りを禁じたので二度と世界が闇に閉ざされることはなかった。

八百万の神は須佐之男命に千位の置戸を負わせた後、髭をきり、手足の爪を抜いて、高天原から追放した。


須佐之男命
1:五穀の起源
追放された須佐之男命は葦原の中つ国に向かう途中で食物を請いに大気都比売神(おおげつひめ)の処によった。
彼女は鼻・口・尻 等から種々の穀物を取り出し、歓迎したが須佐之男命はそれをわざと汚して出していると勘違いし、怒りに任せて、彼女を殺してしまう。
その後、殺された大気都比売神の身体から五穀が生まれた。
   頭から・・・蚕
   二つの目から・・・稲
   二つの耳から・・・粟
   鼻から・・・小豆
   陰から・・・麦
   尻から・・・大豆
そこで、大気都比売の母神の神産巣日神がそれらをとって種とした。

2:大蛇退治
追放された須佐之男命は、出雲の国の肥の河の川上にある、鳥髪の地に降り立った。
その時川に箸が流れているのを見つける。
上流に沿って登っていくとはたして一軒の人家を発見した。
中を覗いてみると翁と婆が美しい少女を挟んで泣いている。
翁は、国つ神であり、大山津見神の子の足名椎(あしなづち)といった。
妻の名は手名椎(てなづち)、娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。
娘は始めは八人いたのがに、高志(こし)の八俣の大蛇に毎年喰われて、末娘我残っていた。
須佐之男命は足名椎に怪物を私が退治したら、その娘を私に頂けますかと尋ねた。
天照大神の弟の同母弟の須佐之男命と名乗り、承諾を得た。
須佐之男命はまず櫛名田比売の姿を湯津爪櫛(ゆつつまくし)に変えて、自分の頭に差した。
次に足名椎、手名椎に命じて、八鹽折の酒(やしおおりのさけをつくらせた。
次には家の周りに八つの門を持つ垣根を作らせ、門ごとに敷物を敷き、酒舟を置き、なみなみと八鹽折の酒を満たさせた。
そして、足名椎、手名椎を隠れさせると、自分は家の中で大蛇の来るのを待った。

やがて恐ろしい轟音と共に大蛇が現れ、八つの頭をそれぞれ差し入れて、酒を飲み出した。
そこへ須佐之男命が飛び出して、十拳の剣で切りかかり見事に大蛇を倒した。
大蛇から流れ出た川は肥の川を血の色にそめた。
また、尾を切った時に剣が刃こぼれをおこしたのを怪しみ、切り開いてみると、素晴らしい剣が一振り出てきた。
須佐之男命はこの剣を天照大神に献上した。
この剣の名は天之叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という。

3:須賀宮
無事、大蛇を退治した須佐之男命は櫛名田比売と新しい宮殿を造るため、出雲の須賀にやってきた。
(この地は最初に来たときに須佐之男命がすがすがしい所だ、といったことから、須賀と命名された。)
須佐之男命が須賀の宮を造った時に読んだ歌は
   「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

この宮の長官には足名椎を任命した。
また、足名椎には新たに名を賜った。
その名を、「稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という。

4:須佐之男命の系譜
初代=須佐之男命

2代目
その宮で、須佐之男命と櫛名田比売の間に誕生した神は、八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)
また大山津見神の娘、神大市比売(かむおほいちひめ)を娶って誕生した神は、大年神(おおとしのかみ)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

3代目
また八島士奴美神が大山津見神の娘、木花知流比売(このはなちるひめ)を娶って誕生した神は、布波能母遲久奴須奴神(ふはのもじくぬすぬのかみ)

4代目
また布波能母遲久奴須奴神が淤迦美神の娘、日河比売(ひかわひめ)を娶って誕生した神は、深淵之水夜禮花神(ふかぶちのみづやれはなのかみ)

5代目
また深淵之水夜禮花神が天之都度閇知泥神=あめのつどへちねのかみを娶って誕生した神は、淤美豆奴神(おみづぬのかみ)

6代目
また淤美豆奴神が布怒豆奴神(ふのづぬのかみ)の娘、布帝耳神(ふてみみのかみ)を娶って誕生した神は、天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)

7代目
また天之冬衣神が刺国大神の娘、刺国若比売(さしくにわかひめ)を娶って誕生した神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)
またの名を大穴牟遲神=おおなむぢのかみ
またの名を葦原色許男神=あしはらしこおのかみ
またの名を八千矛神=やちほこのかみ
またの名を宇都志国玉神=うつしくにたまのかみ
彼は、あわせて五つの名を持つ神である。


大國主神
1:稲羽の素兎
大国主神には大勢の兄弟(八十神=やそかみ)がいた。
彼らは皆、稲羽の国八上比売(やかみひめ)と婚姻をしたがっていた。
そこで全員で稲羽の国に向かったが、兄神達は先に立って歩き、大国主神は兄神達の袋持ちをさせられ、従者扱いで後からついていった。
気多(けた)の岬を兄神達が通りかかった時、浜に裸(あかはだか)の兎が倒れ伏していた。
それをみた兄神達は兎にこう教えた。
海水に浸かり、その後ひなたで風にあたると良い。
ありがたく思った兎がその通りを実行した所、彼の身体は悉くひび割れ、ひび割れからは血が滲み、海水の潮がひりひりとしみてきた。
兎が余りの痛さに泣き苦しんでいる所に兄神達に遅れて、大国主神が通りかかった。
大国主神は泣いている理由を聞いた。
そこで鮫(わに)達をだまして渡ろうとしたところ、それに気づいた彼らによっては、剥ぎ取られてしまった事を話した。
それを聞いた大国主は、川に行き、真水で身体を優しく洗い、水辺の蒲黄(がまのはな)を取り敷き詰めて、その上を寝転がり回れば必ず治留ると教えた。
感謝した兎は大国主に兄神達は八上比売を得る事は出来ず、大国主神が結婚する事を予言をした。
この時の兎は「稲羽の素兎」という。現在では兎神と呼ぶ。

2:八十神の迫害
兎の予言通り、八神比売は大勢の兄神達に向かって大国主神のもとへ嫁ぎたいと言った。
この言葉に兄神達は非常に腹を立て、大国主を殺してしまおうと考えた。
そして共に謀り、彼を伯伎国(ほうきのくに)の手間に呼び出した。
山の赤い猪が暴れ回り民が困っているので捕まえる事を命令した。
承知した大国主神を残し、山に上がった兄神達は山上で猪に似た大岩を火で真っ赤に焼き、これを転がり落とした。下でこれを受けた大国主は石に焼かれ死んだ。

この様子を見た母神である刺国若比売(さしくにわかひめ)は非常に嘆き、天界に行くと神産巣日之神(かんむすびのかみ)にわが子の命を助けてくれるように懇願した。
その願いは聞き入れられ、早速にキサ貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむぎひめ)とが遣わされた。
この女神達の治療で大国主は復活し、前にもまして、麗しい男となった

3:根堅州國
大国主が復活した事をしった兄神達は次には大木を組み、氷目矢(ひめや)で固定すると、その中に大国主を呼びこんだ。
そして大国主が中に入った時に氷目矢を抜き、かれを圧死させた。
母神はまたもや大国主を復活させると、木国(きのくに)の大屋毘古神(おおやひこのかみ)のもとへ匿った。
しかし、すぐに居場所を嗅ぎ付けた兄神達は大屋毘古神に矢を向けると、大国主を引き渡すよう迫った。
大屋毘古神は大国主に須佐之男命の居られる根の堅州国へ行きなさいと言うと、木の股からこっそりと逃がしてくれた。
根の国にやってきた大国主命は始めに須佐之男命の娘である、須勢理毘売(すせりひめ)に出会った。
二人はお互いに顔を見ただけで一目で心を通じ合わせた。
須勢理毘売は早速、館にもどると父神に彼に嫁ぎたいと伝えた。
娘の言葉におどろいた父神は、大国主に試練を与える事にした。
そして試練のすべてを乗り越えれば須勢理毘売との結婚を許してやろうと、約束した。
大国主はそれを承知した。

最初の試練は、蛇の室(へびのむろ)で一晩過ごすというものだった。
だが、須勢理毘売がこっそりと渡してくれた蛇の領巾(へびのひれ)を蛇達の前で三度振ると彼らはすっかり大人しくなり、大国主は朝までゆっくりと眠った。

次の試練は、呉公と蜂の室(むかでとはちのむろ)で一晩過ごすというものだった。
この時も須勢理毘売のわたしてくれた呉公蜂の領巾(むかではちのひれ)を三度振ると彼らは大人しくなった。

次の試練は、草原に放った鳴鏑の矢(なりかぶらのや)を取ってくるというものだった。
しかも大国主が草原に入るとそこに火を放った。
すっかり周りを火に取り囲まれて絶望している大国主を助けたのは鼠だった。
鼠の言葉に足もとの小さな穴を踏みしめるとボコリと大きな穴が現れ、その中に入って火の難を避けた。
しかもそこに先ほどの鼠がすっかり矢羽のなくなってしまった矢をくわえてやってきた。

そのころ須勢理毘売はきっと大国主は死んでしまったのだろうと嘆きながら弔いの用意をして草原にやってきた。
父神である須佐之男命もまさかあの中で生きてはいないだろうと思っていた。
ところがそこに大国主が矢を持って現れ、畏まって父神に矢を献上したので、すっかり感心した須佐之男命は彼をようやく自分の屋敷に招き入れた。

機嫌よく席についた須佐之男命は大国主を側に呼ぶと頭についた虱を取ってくれと頼んだ。
承知した大国主が父神の後ろに廻って見ると、虱に見えたものは百足であった。
そこで大国主はかねて須勢理毘売に教わっていた通り、椋の木の実と赤土を口に含み噛み砕いて唾と共に吐き出した。
それを見た須佐之男命は百足を噛み砕くとはなんと勇敢な奴と嬉しく思い安心して眠り込んでしまった。

さて、大国主は須佐之男命がぐっすり眠ったのを確認すると、彼の髪を部屋の垂木に結びつけると五百引(いおびき)の岩で部屋の入口を塞いだ。
そして須勢理毘売を背負い、須佐之男命の生大刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、天の詔琴(あまののりごと)を、持って逃げた。
その時琴が木に触れて激しく音を鳴らした。
その音に飛び起きた須佐之男命は柱を引き倒し、部屋を崩壊させたが、髪の毛の結び目がなかなか解けずに手間取っている内に、大国主達は黄泉津比良坂まで逃げてしまった。
諦めた須佐之男命は、逃げる大国主の背に向かって、叫んだ。
「その太刀と弓矢をもって、兄神達を打ち払え!そして、【大国主命】となって、また【宇都志国玉神】となってこの地を治めよ!わが娘 須勢理比売は正妻として迎え、宇迦の山(出雲郡宇賀郷)の山本に壮大な宮殿を建てて住まえ!高天原には常に気をくばれ!!」

須佐之男命の言葉通り兄神達を打ち払った大国主はその地に国をたてた。
そして かねてからの約束通り八上比売を娶った。
しかし、八上比売は正妻の須勢理毘売に遠慮し、恐れ、せっかく生まれてきた子を木の俣に挟むと実家に帰ってしまった。
それゆえ、その子を木俣神(きのまたのかみ)、またの名を御井神(みいのかみ)という。

4:沼河比賣への求婚
さて、八千矛神(大国主神)は高志国=こしのくに の沼河比売=ぬなかわひめ を妻に迎えようと思い、比売の家へ向かった。
そこで次の歌を歌った。

「八千矛の 神の命は 八島国 妻枕きかねて 遠遠し 高志国に 賢し女を ありと聞かして麗し女を ありと聞こして さ婚ひにありたたし 婚ひに あり通わせ 太刀が緒もいまだ解かずて 襲をも いまだ解かねば 乙女の 寝すや板戸を 押そぶらひ我たたせれば 引こずらひ 我たたせれば 青山に 鵺はなきぬ さ野つ鳥 雉はとよむ庭つ鳥 鶏はなく 心痛くも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ち止めこせね いしたふや天馳使 ことの 語りごとも 是をば」

(ヤチホコの神である私が妻を娶ろうと国中をさがしたら、遠い高志国に賢く、美しい乙女がいると聞いたよ。だからこうしてやってきたのに、あなたは会ってもくれない。上着も着たまま、太刀もつるしたまま、旅装束のままで、待っているのにあなたは戸を締めきったままだ。あなたが寝ている間に戸を押したり引いたりしていたら、山では鵺が、野では雉が、庭では鶏が、私を哀れんで鳴いていた。ああ鳥たちよ。鳴くのはもうやめておくれ。それよりも空を飛んで、この哀しい出来事を伝える語り部となっておくれ。)

そこで沼河比売は戸を隔てた家の中から歌を返した。

「八千矛の 神の命 ぬえくさの 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ後は 汝鳥にあらむを 命は な殺せたまひそ いしたふや 天馳使 ことの 語りごとも 是をば青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜はいでなむ 朝日の 笑み栄えきて たくづのの 白き腕沫雪の 若やる胸を そだたき まながり 真玉出 玉出さし枕き 百長に 寝は寝さむを あやにな恋い聞こし 八千矛の 神の命 ことの 語りごとも 是をば」

(ヤチホコの神さまったら、風になよなよとなびく女でもあるまいし、情けない事を言うのはおよしなさいませ。私の心は浜の鳥ですよ。今鳴いている憎らしい鳥達は私の心ではありません。殺しておしまいなさい。そして、青山に日が隠れて夜がやってきたら、朝日のような笑顔でおいでなさい。その白い腕も白い胸も優しくたたいて、いついつまでも一緒に添い寝いたしましょう。愛しいヤチホコの神様。)

八千矛神(大国主神)はその日は会わずに帰り、次の日の晩に婚礼をあげた。

5:須勢理比売の嫉妬(うわなりねたみ)
彼の正妻である須勢理比売は非常に嫉妬ぶかい人であった。
ある日、大国主神が倭国へ向うと知った時も、彼女は非常に心乱れていた。
そこで大国主は出掛けに歌をおくった。

「ぬばたまの 黒き御衣を まつぶさに とり装い 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも これは適はず 邊つ波 そに脱きうて そに鳥の 蒼き御衣を まつぶさに とり装い 沖つ鳥 胸見るときはたたぎも これは 適はず 邊つ波 そに脱きうて 山縣に あたね舂き 染木が汁に しめ衣をまつぶさに とり装い 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも 比し宣し いとこやの 妹の命 群鳥の我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 泣かじとは 汝は言うとも 山處の 一本薄 項傾し汝が泣かさまく 朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命の ことの 語りごとも 是をば」

(夜の闇のような黒い素晴らしい衣(誰??)を完璧に装っても私には似合わない、波に流してしまおう。翡翠のような蒼い素晴らしい衣(これは多分沼河比売)を完璧に装っても私には似合わない、波に流してしまおう。山の畑の茜草で染めた赤い素晴らしい衣(須勢力比売のこと)が私には一番似合うようだ。渡り鳥のように私が旅立ってしまったら君は泣かないといっていても、きっと泣くのだろうな。それを思うと哀しくて霧のように溜息が出てしまうよ。)

これを聞いた須勢理比売は杯になみなみと酒を満たして大国主にかけより、歌を捧げた。

「八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の崎崎 かき廻る 磯の崎落ちず若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除きて 男は無し 汝を除きて 夫は無し綾垣の ふはやが下に 苧衾 柔やが下に たく衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を たくづのの白き腕 そだたき たたきまながり 真玉出 玉出さし枕き 百長に 寝をし寝せ 豊御酒 奉らせ」

(あなたは男だから行く先々に若い可愛い妻達が待っているのでしょうけれど、私は女だからあなたの他には誰も居ないのです。どうぞあなたは旅先で彼女達と柔らかい暖かい布団でお休みになられませ。でも、何時までも心は私のところにあるとこの御酒を召して誓ってくださいませ。)
そして、二人は酒盃を交わして心が変わらぬ様に誓い固めた。
これを神語りという。

6:大國主神の系譜
初代=大国主命

2代目
大国主が胸形の奥津宮に坐す神、多紀理比売神(たきりひめ)を娶って誕生した神は、阿遲すき高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)。この神は今は迦毛大御神(かものおおみかみ)という。
次に妹高比売命(たかひめのみこと)。またの名を下光比売命(したてるひめのみこと)
神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)を娶って誕生した神は、事代主神(ことしろぬしのかみ)
八島牟遲能神の娘、鳥耳神(とりみみのかみ)を娶って誕生した神は、鳥鳴海神(とりなるみのかみ)

3代目
鳥鳴海神と日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてりぬかたびちをいこちにおかみ)に誕生した神は、国忍富神(くにおしとみのかみ)

4代目
国忍富神と葦那陀迦神=あしなだかのかみ(またの名を八河江比売(やがわえひめ)に誕生した神は、速甕の多氣佐波夜遲奴美神(はやみかのたけさはやぢぬみのかみ)

5代目
速甕の多氣佐波夜遲奴美神と
天之甕主神(あめのみかぬし)の娘、前玉比売(さきたまひめ)に誕生した神は、甕主日子神(みかぬしひこのかみ)

6代目
甕主日子神と淤加美神(おかみのかみ)の娘、比那良志比売(ひならしひめ)に誕生した神は、多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)

7代目
多比理岐志麻流美神と比比羅木の其花麻豆美神(ひひらぎのそのはなまづみのかみ)の娘、活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめのかみ)に誕生した神は、美呂浪神(みろなみのかみ)

8代目
美呂浪神と敷山主神(しきやまぬしのかみ)の娘、青沼馬沼押比売(あおぬまうまぬまおしひめ)に誕生した神は、
布忍富鳥鳴海神(ぬのおしとみとりなるみのかみ)

9代目
布忍富鳥鳴海神と若盡女神(わかつくしめのかみ)に誕生した神は、天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)

10代目
天日腹大科度美神と天狭霧神(あめのさぎりのかみ)の娘、遠津待根神(とおつまちねのかみ)に誕生した神は、
遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらつのかみ)

ここまでの神を一七世の神という。

7:少名毘古那神
ある日大国主神は海岸で一人の小さな神と出会った。
波の中を天の羅摩船(あめのかがみぶね)に乗り、鵝(が)の皮をはいだようなものを着物にしている不思議な神であった。
名を聞いても答えず、また誰もその名を知らなかった。
そこへ谷蟆(たにくく)がやって来て、崩彦(くえひこ)ならきっと知っているでしょうと告げた。
崩彦は足が不自由でその場から動く事は出来ないが、世の中の事を悉く知っている神である。
早速、崩彦に尋ねてみると、この神は神産巣日神の御子、少名毘古那神さまであるという。
そこで神産巣日神に確認してみると、間違いなく自分の子で大国主と協力してこの国の国作りを行いなさいといった。
この後二人は協力して国作りを進めていった。
しかし・・・ある日突然、少名毘古那神は常世の国へ帰ってしまう。
大国主の落胆は大きく、彼は一人海岸で嘆き悲しんでいた。
その時沖から海を照らして二つの光る玉がやってきた。
そして大国主に向って自分をを祭ったなら、この国の将来は安泰だが、祭らなかったら、国は滅びると言った。
大国主何処にお祭りさせて頂けば良いのが問うと、玉は答えた。
大和の国をぐるりと青垣のように囲む、山の上に祭りなさい。
この神は今、御諸山の上に祭られている。

8:大年神の系譜
初代=大年神(おおとしのかみ)

2代目
大年神(おおとしのかみ)と神活須毘神の娘、伊怒比売(いのひめ)との間に誕生した神は、大国御魂神(おおくにみたまのかみ)
次に韓神(からのかみ)
次に曾富理神(そおりのかみ)
次に白日神(しろひのかみ)
次に聖神(ひじりのかみ)

また香用比売(かよひめ)との間に誕生した神は、大香山戸臣神(おおかがやまとおみのかみ)
次に御年神(みとしのかみ)

また天知迦流美豆比売=あまちかるみずひめ)との間に誕生した神は、奥津日子神(おきつひこのかみ)
次に奥津比売神(おきつひめのかみ)。またの名は大戸比売神(おおべひめのかみ)
この神はすべての民がお世話になっている、竈(かまど)の神である。
次に大山咋神=おおやまくいのかみ、またの名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)
この神は淡海国の日枝の山に坐し、また葛野の松尾に坐し、鳴鏑(なりかぶら)を持つ神である。
次に庭津日神(にわつひのかみ)
次に阿須波神(あすはのかみ)
次に波比岐神(はきひのかみ)
次に香山戸臣神(おおかがやまとおみのかみ)
次に羽山戸神(はやまとのかみ)
次に庭高津日神(にわたかつひのかみ)
次に大土神(おおつちのかみ)。またの名は土之御親神(つちのみおやのかみ)
以上、十六柱は大年神の子である。

3代目
羽山戸神と大氣都比売神(おおげつひめ)との間に誕生した神は、若山咋神(わかやまくいのかみ)
次に若年神(わかとしのかみ)
次に妹、若沙那売神(わかさなめのかみ)
次に彌豆麻岐神(みずまきのかみ
次に夏高津日神(なつたかつひのかみ)。またの名は夏之売神(なつめのかみ)
次に秋比売神=あきひめのかみ
次に久久年神(くくとしのかみ)
次に久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)
以上、八柱は羽山戸神の子である。


葦原中国の平定(=国譲り)
1:天菩比神(あめのほひのかみ)の派遣
天照大神は地上の葦原中国を見て、豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は本来私の子供が治めるはずのものである
と言った。
そこで御子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を呼んで地上を見に行かせた。
そこで正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は天の浮橋に立って地上を観察したところ、地上が随分騒がしいようなのですぐに高天原に帰ってきてしまった。

そこで高御産巣日神と天照大神は天の安の河の河原に八百万の神を集めて話し合いをした。
すると思金神(おもいかねのかみ)が天菩比神(あめのほひのかみ)を遣わして説得させたらよろしいと提案したので、早速この神を地上に向わせた。
しかし天菩比神は大国主神にへつらい従って、三年たっても復命しようとしなかった。

2:天若日子(あめのわかひこ)の派遣
天照大神と高御産巣日神は再び八百万神を集めて談義した。
すると思金神が天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子、天若日子(あめのわかひこ)を遣わしたら宜しいのではと、提案した。

天若日子は天之麻迦古弓(あめのわかこゆみ)と、天之波波矢(あめのははや)とを賜り、地上に向った。
しかし、天若日子も大国主の子、下照比売(したてるひめ)を娶ると、住み着いてしまい、八年たっても復命しようとしなかった。

天若日子からの連絡がないので高天原は雉鳴女(きじのなきめ)を伝令に出すことにした。
雉鳴女は天若日子の家の庭の湯津楓(ゆつかつら)の木にとまると大声で天つ神の伝言を叫び始めた。
それを聞きつけた天佐具売(あめのさぐめ)は、大変不吉な鳥でございます。射殺しておしまいくださいと天若日子に告げたので、彼は天照大神より授かった弓と矢で雉を力いっぱい射た。
その矢は雉を射ぬいた後も勢いを失わず、天にまで届き、高木神(高御産巣日神の別名)の足元に落ちた。
高木神はその矢がすぐに誰の物であるかを見抜き、この矢が若日子のものであり、正しき心で射たのなら当たらないだろう、邪き心で射たのなら必ず若日子の命を奪うだろうと言うと、地上に投げ返した。
矢は真直ぐに若日子の胸を貫き、まだ朝の床についていた彼を死に至らしめた。

天若日子の妻である下照比売の嘆きは激しかった。
その泣き声は風にながれて、天までも届き、そのお蔭で若日子の父神である天津国玉神とその家族は若日子の死を知る事ができた。

彼らは嘆き悲しみ、すぐに地上に降りてくると、喪屋をたて、八日八晩の間、歌舞を催した。

3:阿遅志貴高日子根神
この時阿遲志貴高日子根神が、友人である若日子のための弔いにやってきた。
この二人は容姿が非常によく似ていたので、若日子の家族達は我が子が生き戻ったかといって、阿遲志貴高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)に取りすがって喜んだ。
この事に阿遲志貴高日子根神はいたく腹を立て、自分を死者と間違えるとは許しがたしというなり、剣を抜くと喪屋を切り伏せ、足で蹴飛ばした。

この時出来た山が美濃国の藍見河の川上の喪山である。
またこの時の剣は大量(おおはかり)、またの名を神度剣(かむどのつるぎ)と言う。

その後、阿遲志貴高日子根神は怒りの余り、何処かへ飛び去ってしまった。
そんな兄を思い、同母妹の高比売命(たかひめのみこと)は歌を残した。

 「天なるや 弟棚機の うながせる 玉の御統 御統に 穴玉はや み谷 二渡らす 阿遲志貴高日子根神ぞ」

(天の国の機織の女(天照大神?)が首にかけた玉の首飾りの光りよりも輝き、谷を二つ渡ってもまだ輝きがみえるような、阿遲志貴高日子根神はそんなすばらしい神だったわ)

4:建御雷神の派遣
再び八百万の神を集めた天照大神は思金神に知恵を求めた。
思金神は、天の安の河の河上の天の石屋に居る、伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)、また、その神の子である、建御雷之男神(たけみかずちおのかみ)を勧めた。
しかし、この神々は河の水を逆流させて塞き止めて隠れているので、天迦久神(あめのかくのかみ)を伝令にして遣わして問うてみた。
伊都之尾羽張神は子の建御雷行かせることを了解した。
天照大神は喜んで、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を添えて、地上に遣わした。

5:事代主の服従
出雲国の伊那佐の小浜(いなさのおばま)に降り立った二柱の神は十拳剣を逆さに波にたて、その剣先にあぐらをかき、大国主神に向って言った。
この国はもともと天照大神の国である。
汝が治めるより、天照大神の子が治めるのが正しい事だと思うが、汝はどう思うかと問うた。
これに対し、そう思うと大国主は答えた。
しかし、今は子の事代主が国主であるので、彼の意見を聞かなくてはならない。
彼はいま御大の前(みほのさき)に釣りにいっており、まだ帰ってきていない。
そこで建御雷神は天鳥船神を遣わして、事代主をつれてきて聞いた。
事代主は父神に向って、わかりました。この国は天つ神の御子に差し上げましょうと言うと逆手を打ち、その乗った船を青垣に変えるてその中に隠れてしまった。

6:建御名方神の服従
再び建御雷神は事代主以外に意見を聞くべき子はいるかどうか、大国主に聞いた。
建御名方神が居ると、大国主が答えた。
その時、建御名方神が千引の石(ちびきのいわ)を携えてやってきた。
そして、建御雷神に向って、私と力比べをしろというなり、建御雷神の手をつかんだ。
するとたちまち、建御雷神の手は、氷のように堅く冷たく、また剣のように鋭い刃となった。
そして、ひるんだ建御名方の腕を取ると葦の茎のように握りつぶし、投げ飛ばした。
恐れた建御名方が逃げ出すと、何処までも追いかけ、とうとう科野国の州羽の海(しなののくにのすわのうみ)で追い詰めた。
そこで、建御名方神は、恐れ入りました、私はこの地から今後一切出ませんので、命だけは助けてください、大国主神と事代主のおっしゃる通りにします、葦原中国は天つ神の御子に差し上げます、こう言って約束した。

7:大国主の国譲り
天津神は大国主に国を譲るか否か佐かを問うた。
大国主は自分の住処として広大な宮殿をたてて頂きければその奥深く隠れて二度とでてこない事を約束した。
またこの国の国つ神達は事代主に従うので、反抗する物はいないであろうとも言った。
そこで出雲国の多藝志の小濱(いずものたぎしのおばま)に天の御舎(あめのみあらか)(=出雲大社)を造った。
また水戸神(みなとのかみ)の孫の櫛八玉神(くしやたまのかみ)が料理人になって、鵜に変化して海の底に入り、海底の赤土で多くの皿をつくり、若布やその多の海草で火を起こしてこう言った。

「この我がきれる火は 高天原には 神産巣日神の御親命の とだる 天の新巣の煤の 八拳垂れるまで 焼きあげ 地の下は 底つ石根に 焼きこらして たく縄の 千尋縄打ち延べ 釣せし海人の 口大の 尾翼鱸さわさわに ひきよせあげて 打竹の とををとををに 天の眞魚咋 獻る」

(この私が起こした火は高天原の神産巣日神の竈の煤が八拳ほども垂れるほど、地の底に岩となってたまるほども燃えつづけ、白縄で海人が吊り上げた口の大きなスズキを料理して、盛った籠がたわむほどになるでしょう)

この後、建御雷神は高天原にもどり、葦原中国を平定した事を報告した。


天孫降臨
1:邇邇藝命の生誕
天照大神と高木神(高御産巣日神)は太子(ひつぎのみこ)である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)に対し、すぐに降臨して葦原中国を平定するように命令を下した。
だが、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、下界に降りる用意をしている間に子供が生まれたと言った。
その子の名は天邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと)といい、彼を降臨させたいと、天照大神と高木神に告げた。
そしてこれが承認された。

天邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと)は、天火明命(あめのほあかりのみこと)の次に髙木神の娘、萬幡豊秋津師比売命(よろずはたあきつしひめのみこと)との間に誕生した子である。

2:猿田毘古神
さて、天降りの途中の分かれ道に上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす一人の神がいた。
天照大神と高木神は天宇受売神(あめのうずめのかみ)を呼ぶと、お前は、女ではあるが、誰に対峙しても引けを取らない強い精神の持ち主である。
その力を持って、あの道を塞ぐ神に、ここは天孫の通り道であるゆえどくようにと伝えてくるよう命令をした。
早速、天宇受売神は道を塞ぐ神に天照大神らの言葉を伝えた。
するとその神は、自分は国つ神の猿田毘古神(さるたひこのかみ)といい天つ神の御子が天降りますとお聞きして、先導をさせていただこうと、ここでお待ちしておりますとのことであった。

3:天孫降臨
かくしてここに、天兒屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとたまのみこと)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまおやのみこと)の五柱の神を伴って天孫の降臨が行われることとなった。
また、このとき天照大神は、八尺の勾玉草薙剣を渡した。
さらに、常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)、手力男神(たじからおのかみ)、天石門別神(あまのいわとわけのかみ)、またの名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、またの名を豊石窓神(とよいわまどのかみ)をお供に加えて、
「この鏡を私だと思って、大切に祭りなさい。思金神は政事を全般に引き受けるように。」
と、申し渡した。

いよいよ天津日子番能邇邇芸命(あまつひこほのににぎのみことは)、天の石位(いわくら)を離れ、八重重なる雲を押し分けて、天の浮橋に立ち、筑紫の日向の高千穂のくしふる岳(ちくしのひむかのたかちほのくしふるたけ)に下り降った。
降りた地では、天忍日命(あめのおしひのみこと)、天津久米命(あまつくめのみこと)の二柱の神が完全武装でお迎えし、天つ御子に忠誠を誓った。

邇邇芸命は、ここは韓国に向い、笠沙の御前をまきとおり、朝日の直さすところ、夕日の照るところ、とてもきにいった、と言い、この地に広大な宮殿をたてた。

4:天宇受賣命(猿女の君)と猿田毘古神
さて、降臨するにあたって功績をあげた天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、猿女の君(さるめのきみ)と名乗る事となった。
その名の由来となった、猿田毘古神(さるたひこのかみ)はある日、阿邪訶(あざか)で潜って漁をしているとき、海底で比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれて溺れてしまった。
その時底に沈んでいる時の名を、底どく御魂(そこどくみたま)といい、海水に立つ泡の名をつぶたつ御魂といい、
その泡の割れるときの名をあわさく御魂という。

猿女の君はある時、海に住む大小の生き物を集めて、問い質した。
「お前達は天つ神の御子に仕えたもうか?」
口々に海の生き物達が「仕えます。」と言う中で、海鼠(なまこ)だけは答えなかった。
猿女の君は大変怒り「この口は、答えられぬ口か」といい、海鼠の口を小刀で切り落としてしまった。
海鼠の口が裂けているのはそう言うわけである。
このことがあって、この後ずっと、海からの貢物は猿女の君の子孫に賜るようになった。

5:木花之佐久夜毘賣
ある日、天津日高日子番能邇邇芸能命は笠沙の岬で麗しい乙女にであった。
どこの娘だと問えば、大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、名は神阿多都比売(かむあたつひめ)、またの名を木花の佐久夜毘売(このはのさくやひめ)と答えた。
お前には他に姉妹がいるのかと問えば、姉が一人おります、名は石長比売(いわながひめ)といいますと答えた。
邇邇芸能命は彼女に求婚をしたが、比売は父神の許しがなければわからないと答えた。
そこで、大山津見神に使いを出してみたところ、彼の神は大変喜び、その姉石長比売と様々な贈り物とを添えて、木花佐久夜比売を送り出した。
しかし姉の石長比売は大層醜かったので邇邇芸命は彼女を実家に送り返して木花佐久夜比売だけと婚姻を結んだ。

この事に大山津見神は大変憤慨して、姉妹を二人とも送り届けたわけは、石長比売を娶れば、その御世は風雪にも耐えその姿を変えぬ岩のように長く続くように。
木花佐久夜比売を娶れば、木の花の栄えるが如く華やかに栄えるようにとの願いを込めてのことである。
しかし、石長比売を返したからには御子の御世は花のようにはかない物となるだろう、といった。
この時から、天皇のお命は永く続かなくなった。

さて、ある日木花佐久夜比売が申し出て言った。、
私は、妊娠したようですが、この腹の子は天つ神の御子でありますゆえ、私の実家で生む事はなりません。
どうしたらよいでしょうか。
しかし邇邇芸命は、たった一晩の契りで妊娠するとは信じられない。
私の子ではないのではないか。誰か他の国つ神の子ではないのかと、信用してはくれなかった。
そこで、比売は、私の産む子が国つ神の子であれば、私は子もろとも死んでしまうでしょう。
しかし天つ神の子であれば必ず無事に生まれるでしょうと、言い放つと扉のない産屋を建て、中に篭もり、回りを土で蓋をして、火を放った。
その燃え盛る炎の中で無事何事もなく誕生した神は火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)、またの名を天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)である。


海幸彦と山幸彦
海幸彦と山幸彦
火照命(ほでりのみこと)は海幸彦として、大小の魚を捕り、火遠理命は山幸彦として、色々な獣を捕って暮らしていた。
ある日火遠理命はその兄、火照命に、一度でいいから、お互いの道具を取り替えて見ないかと、頼んでみた。
初めは兄神も全く相手にしていなかったが、余りのしつこさに四度目にはとうとう1日だけという条件でしぶしぶ承知した。
火遠理命は勇んで、海に出かけていったが、全く魚を捕れないばかりか、兄神に借りた大切な道具である釣り針を無くしてしまった。
兄神である火照命は大変怒り、どんなに弟神が謝っても許してはくれなかった。
火遠理命が自分の剣を溶かし、五百もの釣り針を作って献上しても、1千作って献上しても火照命は、元の釣り針をかえせといって、受け取ってはくれなかった。

海神の宮
途方にくれた火遠理命が海岸で泣いていると、
鹽椎神(しおつちのかみ)という老人がやってきて、聞いた。
虚空津日高(そらつひこ)よ、何故ないておるのだ。
火遠理命は突然現れた老人を怪しみながら、これまでの事を説明した。
鹽椎神は无間勝間の小船(まなしかつまのこぶね)を造るとその船に火遠理命をのせ言った。
この船で潮の流れに乗って、どこまでもゆけば魚の鱗で屋根をふいた宮殿に到着します。
そこは綿津見神の宮殿です。その宮殿にある井戸の側の木に登りなさい。きっと良い事が起きるでしょう。

火遠理命が老人の言うままに船に乗ると、確かに素晴らしい宮殿に到着した。
そこで、彼は言われたとおりに井戸の側の木に登って、待っていると綿津見神の娘、豊玉比売(とよたまひめ)の侍女が井戸に水を汲みにやってきた。
侍女は水を汲もうと井戸を覗いた時、そこに麗しい男性が映っているのに気がついた。
火遠理命は木の上から彼女に水を一杯欲しいと言い、侍女の持っている比売専用の玉器を受け取った。
そして彼は首飾りの珠をはずし、口に含むと侍女の差し出した玉器に吐き入れた。
その珠は器の底に貼りついてどんなに取ろうとしても取れなかったので、侍女は仕方なく珠をそのままに豊玉比売のところへもどった。
器の底に不思議な珠をみつけた豊玉比売は不信に思い、侍女に問いただした。
井戸の側の木の上に我が君の綿津見神さまよりも、なお尊く見える男性がおります。
これはその方の所業でございます。
早速、出かけていった豊玉比売は一目で火遠理命と恋に落ちてしまった。
急いで宮殿に戻り、父神をつれてくると綿津見神は大変驚いて、言った。
この方は、天津日高(あまつひこ)の御子、虚空津日高(そらつひこ)さまであるぞ。
そう言うと盛大なもてなしをし、豊玉比売と婚姻をさせた。
火遠理命はこの国で3年を過ごした。

火照命の服従
ある日、火遠理命は自分がここに来たのは釣り針の件だった事を思い出し大きな溜息をついた。
綿津見神と豊玉比売がその溜息を聞きとがめ理由を聞いた。
火遠理命がそのわけを説明すると、綿津見神は海の大小の魚をすべて呼び集めて、魚達に釣り針のことをたずねた。
すると一匹の魚が、鯛がのどに何かが詰まって物が食えぬと嘆いておりましたと言うので、その赤鯛を呼び、喉を見てみるとはたしてそこには御子の探す釣り針がかかっていた。
綿津見神はその釣り針を綺麗に洗い、御子に献上すると、ある呪の言葉をを授けた。
「この釣り針を兄神に御渡しする時には【この針はおぼち、すすぢ、まぢち、うるぢ、とおっしゃってから、後ろ手に渡してください。」
さらに二つの珠を渡すと、兄神が高台に田を作れば、御子は低地に。兄神が低地に作れば、御子は高台に田を作ってください。
私は水を司る物ですから、必ず兄神を苦しめる事でしょう。
その事で兄神が怒り戦をしかけてきたなら、この鹽盈珠(しおみつたま)を使い溺れさせ、謝ってきたなら、この鹽乾珠(しおふるたま)を使い、助けておあげなさい。
と言って、鮫の背に乗せて地上に送り届けてくれた。
その時の鮫は御子より褒美として、その身につけていた小刀を賜ったので、名を佐比持神(さいもちのかみ)という。

さて地上にもどった火遠理神は綿津見神に教えられた通りに行動し兄神を苦しめたので、火照命はとうとう弟神に忠誠を誓う事となった。
その子孫はこの時の溺れる様を舞にして、毎年奉納する事となっている。*

豊玉毘賣命の出産(
鵜葺草葺不合命)
ある日、突然、豊玉比売が地上にやってきた。
お腹の子が生まれそうなのだが天子の子は地上で生むべきだという。
そこで火遠理命は彼女の為に海岸に鵜の羽を葺いた産殿を建てた。
しかしまだ完成しないうちに豊玉比売は産気づき、決して中を覗かないで下さい、というと、産殿に入ってしまった。
しかし気になってしかたがない火遠理命は禁じていられるにもかかわらずそっと覗いてしまった。
すると其処には八尋ほどもある鮫(わに)がのたうち回っていた。
余りの事に火遠理命は驚き恐れ逃げ出してしまった。
姿を見られたことに気付いた、豊玉比売はそのことを大変恥じて産み落とした子を残して、海へ帰ってしまった。
この時誕生した御子の名を天津日高日子波限鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)という。

後に豊玉比売は覗き見た火遠理命を恨みはしたが、恋しい気持ちが忘れられず、妹である、玉依比売(たまよりひめ)に歌をたくして、地上に遣わした。

その時の歌は
  「赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり」
   (どんなに美しい赤い玉をみても白玉のような尊いあなたのお姿が思い出されてなりません)

火遠理命の返歌
  「沖つ鳥 鴨薯く島に 我率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに」
    (鴨が飛んでいく遠い島で私が添い寝をした大切な人よ。一生忘れはしないよ)

この日子穂穂手見命(火遠理命)は高千穂の宮で五百八十歳まで世を治めた。
御陵はその高千穂の山の西にある。

御子、天津日高日子波限鵜葺草葺不合命は伯母である玉依比売を娶った。
この二人の間に誕生した御子は、五瀬命(いつせのみこと)という。
次に、稲氷命(いなひのみこと)
次に、御毛沼命みけぬのみこと
次に、若御毛沼命=わかみけぬのみこと)、またの名を豊御毛沼命(とよみけぬまのみこと)、またの名を神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれひこのみこと)

後に、御毛沼命は常世国に渡り、稲氷命は母の国である海原に入ってしまった。



中巻(なかつまき) (初代から十五代天皇まで)
初代 神武天皇
神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)畝火の白檮原宮(かしはらのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県畝火山の東南の地)。
一百三十七歳(ももあまりみそぢまりななとせ)で没。
御陵(みはか)は畝傍山の北の方の白檮(かし)の尾の上にあり(奈良県橿原市)。


2代 綏靖天皇
神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)、葛城の高岡宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県御所市)。四十五歳(よそぢまりいつとせ)で没。
御陵は衝田(つきだの)岡にあり(奈良県橿原市)。


3代 安寧天皇
師木津日子玉手見命(しきつひこたまでみのみこと)、片鹽の浮穴宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県大和高田市)。
四十九歳(よそぢまりここのとせ)で没。
御陵は畝傍山の御陰(みほと)にあり(奈良県橿原市)。


4代 懿徳天皇
大倭日子鉏友命(おほやまとひこすきとものみこと)、軽の境岡宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県橿原市)。
四十五歳(よそぢまりいつとせ)で没。
御陵は畝傍山の真名子(まなご)谷の上にあり(奈良県橿原市)。


5代 孝昭天皇
御眞津日子訶惠志泥命(みまつひこかゑしねのみこと)、葛城の掖上宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県御所市)。
九十三歳(ここのそぢまりみとせ)で没。
御陵は掖上(わきがみ)の博多(はかた)山の上にあり(奈良県御所市)。


6代 孝安天皇
大倭帯日子國押人命(おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)、葛城の室の秋津島に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県御所市)。
一百二十三歳(ももあまりはたちまりみとせ)で没。
御陵は玉手(たまで)の岡の上にあり(奈良県御所市)。


7代 孝霊天皇
大倭根子日子賦斗邇命(おほやまとねこひこふとこのみこと)、黒田の庵戸宮(廬戸宮)(いほとのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県田原本町)。
一百六歳(ももあまりむとせ)で没。
御陵は片岡の馬坂の上にあり(奈良県王寺町)。


8代孝元天皇
大倭根子日子國玖琉命(おほやまとねこひこくにくるのもこと)、軽の境原宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県橿原市)。
五十七歳(いそぢまりななとせ)で没。
御陵は剣池の中の岡の上にあり(奈良県橿原市)。


9代 開化天皇
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおほびびのみこと)、春日の伊邪河宮(いざかはのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良市)。
六十三歳(むそぢまりみとせ)で没。
御陵は伊邪(いざ)河の坂の上にあり(奈良県奈良市)。


10代 崇神天皇
御眞木入日子印惠命(みまきいりひこいにゑのみこと)、師木(しき)の水垣宮(みずがきのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県桜井市)。
一百六十八歳(ももあまりむそぢまりやとせ)で没。戌寅の十二月に崩りましき。
御陵は山邊(やまのべ)の道の勾(まがり)の岡の上にあり(奈良県天理市)。


11代 垂仁天皇
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)、師木の玉垣宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県桜井市)。
一百五十三歳(ももあまりいそぢまりみとせ)で没。
御陵は菅原の御立野の中にあり(奈良市)。


12代 景行天皇
大帯日子淤斯呂和氣天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)、纏向(まきむく)の日代宮に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県桜井市)。
一百三十七歳(ももあまりみそぢまりななとせ)で没。
御陵は山邊の道の上にあり(奈良県天理市)。


     倭建命
能煩野(のぼの、三重県鈴鹿郡)に至りまし、歌ひ竟(を)ふる即ち崩りましき。御陵を作る。ここに八尋白智鳥(やひろしろちどり)に化りて、天に翔りて濱に向きて飛び行でましき。・・・・・河内国の志磯(しき)に留まりましき。
故、其地に御陵を作りて鎮まり坐さしめき。
すなわちその御陵を号けて、白鳥の御陵と謂う。


13代 成務天皇
若帯日子天皇(わかたらしひこのすめらみこと)、志賀の高穴穂宮(たかあなほのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(滋賀県大津市)。
九十五歳(ここのそぢまりいつとせ)で没。
乙卯の年の三月十五日に崩りましき。御陵は沙紀の多他那美(たたなみ)にあり(奈良県奈良市)。


14代 仲哀天皇
帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、穴門(あなど、下関市長府)、また筑紫の詞志比宮(かしひのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(福岡市香椎)。
九十五歳(ここのそぢまりいつとせ)で没。壬戌の年の六月十一日に崩りましき。
御陵は河内の恵賀の長江(ながえ)にあり(大阪府南河内郡)。


     神功皇后
息長帯日(比)売命(おきながたらしひめのみこと)。
皇后は御年一百歳にして崩りましき。
狭城の楯列の稜に葬りまつりき(奈良県奈良市)。


15代 応神天皇
品蛇和氣命(ほむだわけのみこと)、軽島の明宮(あきらのみや)に坐してまして、天の下治(し)らしめしき(奈良県橿原市)。
一百三十歳(ももあまりみそとせ)で没。甲午の年の九月九日に崩りましき。
御陵は川内(かふち)の恵賀の裳伏(もふし)の岡にあり(大阪府南河内郡)。


下巻(しもつまき) (第十六代から三十三代天皇まで)
16代 仁徳天皇
大雀命(おほさざきのみこと)、難波の高津宮に坐(ま)してまして、天の下治(し)らしめしき(大阪市)。八十三歳(やそぢまりみとせ)で没。丁卯の年の八月十五日に崩りましき。
御陵は毛受(もず)の耳原(みみはら)にあり(大阪府堺市)。


17代 履中天皇
伊邪本和氣命(いざほわけのみこと)、伊波禮(いはれ)の若櫻宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県桜井市)。
六十四歳(むそじまりよとせ)で没。
壬申の年の正月三日に崩りましき。御陵は毛受にあり(大阪府堺市)。


18代 反正天皇
水歯別命(みづはわけのみこと)、多治比(たじひ)の柴垣宮に坐してまして、天の下治らしめしき(大阪府南河内郡)。六十歳(むそとせ)で没。
丁丑の年の七月崩りましき。
御陵は毛受野(もずの)にあり。


19代 允恭天皇
男淺津間若子宿禰命(をあさづまわくごのすくねのみこと)、遠飛鳥宮(とほつあすかのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県明日香村)。七十八歳(ななそぢまりやとせ)で没。
甲乙の年の正月十五日に崩りましき。
御陵は河内の恵賀の長枝(ながえ)にあり(大阪府南河内郡)。


20代 安康天皇
穴穂御命(あなほのみこと)、石上(いそのかみ)の穴穂宮(あなほのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県天理市)。
五十六歳(いそぢまりむとせ)で没。
御陵は菅原の伏見の岡にあり(奈良市)。


21代 雄略天皇
大長谷若健命(おほはつせわかたけのみこと)、長谷(はつせ)の朝倉宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県桜井市)。一百二十四歳(ももあまりはたちまりよとせ)で没。
己巳の年の八月九日に崩りましき。
御陵は河内の多治比の高鸇(たかわし)にあり(大阪府南河内郡)。


22代 清寧天皇
白髪大倭根子命(しらにのおほやまとねこのみこと)、伊波禮(いはれ)の甕栗宮(みかくりのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県橿原市)。
没年、御年の記載なし。


23代 顕宗天皇
袁・之石巣別命(をけのいはすわけのみこと)、近飛鳥宮(ちかつあすかのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと八歳なりき(大阪府南河内郡)。
三十八歳(みそぢまりやとせ)で没。
御陵は片岡の石坏(いはつき)の岡の上にあり(奈良県香芝市)。


24代 仁賢天皇
意・命(おけのみこと)、石上の廣高宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県天理市)。
没年、御年の記載なし。


25代 武烈天皇
小長谷若雀(おはつせのわかささのみことぎ)、長谷の列木宮(なみきのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと八歳なりき。
没年記載なし。御陵は片岡の石坏のおかにあり(奈良県桜井市)。


26代 継体天皇
哀本柕(おほとのみこと)、伊波禮の玉穂宮(たまほのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県桜井市)。
四十三歳(よそじまりみとせ)丁未の年の四月九日に崩りましき。丁未の年の四月九日に崩りましき。
御陵は三島の藍の御陵なり(大阪府三島郡)。


27代 安閑天皇
広国押建金目(ひろくにおしたけかなひのみこと)、勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県橿原市)。
乙卯の年の三月十三に崩りましき。
御陵は河内の古市(ふるち)の高屋村にあり(大阪府南河内郡)。


28代 宣化天皇
広国押建金目(ひろくにおしたけかなひのみこと)、勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県橿原市)。
乙卯の年の三月十三に崩りましき。
御陵は河内の古市(ふるち)の高屋村にあり(大阪府南河内郡)。


29代 欽明天皇
天国押波流岐広庭(あめくにおしはるきひろにわのみこと)、師木島の大宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県桜井市)。
没年、御年の記載なし。


30代 敏達天皇
沼名倉太玉敷(ぬなくらふとたましきのみこと)、他田宮(をさだのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと、十四歳なりき(奈良県桜井市)。
甲辰の年の四月六日に崩りましき。
御陵は川内の科長(しなが)にあり(大阪府南河内郡)。


31代 用明天皇
橘豊日(たちばなのとよひのみこと)、池邊宮に坐してまして、天の下治らしめすこと、三歳なりき(奈良県桜井市)。
丁未の年の四月十五日に崩りましき。
御陵は石寸(いはれ)の掖上(いけのうえ)にありしを、後に科長の中の稜に遷しき(大阪府南河内郡)。


32代 崇峻天皇
長谷部若雀(はつせべのわかささぎのみこと)、倉橋の柴垣宮(しばかきのみや)に坐してまして、天の下治らしめおと、四歳なりき(奈良県桜井市)。
壬子の年の十一月十三日に崩りましき。
御陵は倉椅の岡の上にあり(奈良県桜井市)。


33代 推古天皇
長谷部若雀(はつせべのわかささぎのみこと)、小治田宮(をわりたのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと、三十七歳なりき(奈良県明日香村)。
壬子の年の十一月十三日に崩りましき。
御陵は大野の岡の上にありしを、後に科長の大き稜に遷しき(大阪府南河内郡)。



参考資料
「古事記 祝詞」 (岩波書店 日本古典文学大系〈第1〉 1958年)
「古事記 上・中・下」 (講談社学術文庫 1977 次田真幸著)
「口語訳古事記」 (文藝春秋社 2002 三浦佑之著)
「歴史読本 完全検証 古事記・日本書紀」 (新人物往来社 1999)

ウキペディア 「古事記」、「天地開闢」、「国産み」、「神産み」


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古事記-B(内容)
古事記と日本書紀の内容には重複する部分も多い。
よって古事記では神代を詳細に、日本書紀では人代を詳細に記載する。
双方の差異について別項(古事記・日本書紀・出雲風土記の相違点)で比較することとする。